江戸末期に農民から幕臣となり、明治維新政府の一員を経て実業界に転じた渋沢栄一(1840~1931年)は約500社の企業や約600の社会公共事業団体の設立、運営に関わったとされる。東洋紡や京阪電気鉄道といった関西企業もその流れをくみ、倫理と利益との両立で経済を発展させるという渋沢の精神が今も受け継がれている。(栗川喜典) 渋沢を父に2社合併 大阪市中央区の綿業会館で4月16日に行われたシンポジウム「渋沢栄一と大阪」。渋沢史料館(東京都北区)で5月31日まで開催中の企画展「近代紡績のススメ-渋沢栄一と東洋紡-」の関連事業で、東洋紡や京阪電鉄などの企業関係者、研究者、学生ら約240人の聴衆が詰めかけた。 東洋紡の社長、会長を歴任した津村準二相談役がパネリストを務め、東洋紡本社(大阪市北区)の大会議室の画像をプロジェクターで示しながら「ここには歴代社長の肖像が飾られているが、その先頭にあるのが渋沢