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思想と論に関するhighcampusのブックマーク (66)

  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • エロゲーにおけるセカイ系とは - 帰ってきたへんじゃぱSS

    セカイ系とはポストエヴァンゲリオン症候群のことだ、と言ったのは宇野常寛であり、そもそもぷるにえブックマークで提唱された時から、セカイ系とはエヴァ以降の、という問題意識がその根底に据えられていた概念だったはずだ。 超然主義的セカイ系論は、まずもって多様な方向の模索されたポストエヴァ的想像力*1が三大セカイ系*2的セカイ系へと収斂していく過程*3のダイナミズムを捨象してしまっており、セカイ系が来持っていた最も美味しい部分を失った、絞りかすだけを問題にする退廃的な態度であり、従って、ポストエヴァ性という時代的・文脈的制約を外したセカイ系論はすべて無価値であると言ってそう大きな取りこぼしはない。 このような切断を積極的に進めた笠井潔が一方で有栖川有栖のパズラー超然論を批判し大量死/大量生理論に拘って見せた、時代的・文脈的制約をこそ重視して見せたのは解せないのだが、バズワードをきっちり自分の守備範

    エロゲーにおけるセカイ系とは - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • サブカル自由主義 ケネディの演説を読んだことないの?片山さつき先生?

    なぜか真逆の意味で引用する片山先生 片山さつき先生が大変面白いツイートをされています。 片山さつき認証済み ‏@katayama_s @taiyonokokoro50国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました! わかる人にはわかると思いますが、これは有名な1961年のジョン・F・ケネディ大統領の演説からの引用でしょうね。 当時、就任演説でケネディ大統領はこう述べています。 米国大使館リファレンス資料室「アメリカ早分かり」(About the USA) より 米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい

  • ココロコネクトの「理解」と「解釈」第一回 - ЯeoN_Hoff blog*センスない人々

    その壱:私たちを取り巻く世界の「イマ」 イマ、を片仮名にしたのはロミオ信者だからではありません。あくまで強調としての今=イマです。 さて、「涼宮ハルヒ」から読み取った「経験」の後姿(背中)以降、私は長きに渡って沈黙していましたが、最近メディアに出始めた、とある作品を見て、物言わずには居れませんでした。今から始めるのは作品の推薦ではなく、よりよい理解と解釈のための言葉遊びです。私の個人的趣味とはいえ、あえて言葉を重ねると、ユングとマルクスに洒落込めて、「【深層】【構造】」なるものがあるとすれば、物語を使用した深層構造の注視、ということになるかもしれません。 「孤立化と自閉化への地滑り的な傾斜」の中で、私が希望を見出した物語、それは庵田定夏著 「ココロコネクト」シリーズです。 そして今回はこの作品を、主に市村弘正と、一部藤田省三の著作を補助線として、数ある言葉たちをモザイク状に継ぎ剥ぐことで、

    ココロコネクトの「理解」と「解釈」第一回 - ЯeoN_Hoff blog*センスない人々
  • 誰が弱者か?: 極東ブログ

    2ちゃんねるのまとめサイトだろうか、「どっちが弱者ですか?」(参照)というネタが上がっていた。ネタだというのは一目見ればわかるが、この絵はちょっと奇妙な後味を残す。誰が弱者か?という難問の、どこかしら質を突いているからだろう。 5人の人がいる。左から。 (a)貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人。 (b)年収300万円の疲れ切ったブラック会社員。 (c)年収250万円の派遣社員。 (d)年収200万円のフリーター。 (e)旦那が年収1000万円の専業鬼女。 もちろん、ネタ元の「あなたの優しさで席をゆずりましょう」というときは、妊婦(e)や老人(a)に席を譲ろうという話だったのだが、これを「弱者」に問題をすり替えたとき、譲られるべき老人(a)も妊婦(e)も社会的な「強者」ではないのかというアイロニーである。 もちろん、とまた言うが、この局面では座っている権利を持っている人が身体的な

  • わたし、気になります - 脳髄にアイスピック

    タイトルから勘の良い方は察せられるだろうが、古典部のステマである。 それは置いといて何が気になるかと言えば、id:fujiponさんのことである。 氏は最近のエントリーでこのような記事を書いている。 2012-01-22 ここでの主張をまとめるならば、「出来が良ければ、嘘か当かなんてどうでもいいじゃないか」といった内容である。 個人的には首肯しかねるものの、そのような考えの人間がいるのは悪くない。騙されたい人が騙されるのはかまわない。ただ、fujipon氏は少し前のエントリーでこのような記事を書いている。 2011-04-13 2012-01-21 スマイリーキクチと言えば、僕の中学時代の友人の東(仮)くんにそっくりな男であり、当時大ブームだったボキャブラ天国にスマイリーが初登場した翌日から、彼のあだ名はそれまでの「アズマッチ」から「スマイリー」へと変貌していき、一時期は「アズマッチ」派

    わたし、気になります - 脳髄にアイスピック
    highcampus
    highcampus 2012/05/28
    ダブスタ
  • 深澤真紀氏の至言「結婚=自意識の発表会」ではなく、制度として参加すべき

    “リアルな結婚”を容赦なく語って くれた深澤真紀氏 婚活がブームから定番化し始めている。女性誌は”結婚によって輝ける私”をうたうマシーンと化し、そもそも「結婚」とは何であるかを見えにくくしている。深澤真紀氏の近著『結婚問題』で描き出されるのは、歴史的な考察とデータを用い、希望的観測を排したところにある、制度としての結婚。「結婚=制度」という思想は、結婚市場でさまようウエディングジプシーにどんな影響をもたらすのか、話を伺った。 ――結婚の「参考書」と銘打たれた書『結婚問題』。客観的な結婚制度についての話を書こうと思ったきっかけは? 深澤真紀氏(以下、深澤) 私自身、結婚にはあまり興味がないんですが、「草男子」を名付けたせいで「結婚できないのは草男子が増えたからですか?」などと、皆さんからよく結婚相談をされるんですね。話を聞いてみると、「理想の相手にめぐり合えない」「尊敬し合えないと無

    深澤真紀氏の至言「結婚=自意識の発表会」ではなく、制度として参加すべき
  • 内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか 他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人 自己の正当性ばかりをやたら主張する。他人の揚げ足を取っては喜ぶ。他者の痛みに思いが至らず、幼稚な論理を振り回す。気持ち悪い、変な人間がこの国を跋扈している。あなたの周囲にもいますよね。 呪いをかける人たち 現代日社会は「呪い」の言葉が巷間に溢れ返っています。さまざまなメディアで、攻撃的な言葉が節度なく吐き散らされている。 現実に、ネット掲示板に「死ね」と書かれ、それにショックを受けて自殺する人たちがいる。これを「呪殺」と呼ばずにどう呼べばいいのでしょう。 中世までの日人は、呪いの実効性を信じていました。実際に呪いや祟りで人は死に、それに対する呪鎮の技法も存在した。現代人は、呪いなどというものは存在しないと思っています。でも、私たちの社会でもやはり呪いは活発に機能しています。

    内田樹「呪いの時代に」~異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(週刊現代) @gendai_biz
  • ネット・イデオロギー

    1 冒頭にくる補遺 普通、補遺というのは論文の末尾に置かれるもの。でも、 編の議論でもっとも解釈がゆれた点について整理しておかないと、 編を読む人の時間を浪費することになると考えたので、冒頭に置くことにしました。 1.1 物語・非物語・メタ物語... 編で私は、次世代の大きな物語として「ハッカー倫理」が有望ですよ、 と主張している。これに対するほとんど全員からの批判は、 「ハッカー倫理は物語を超越したものだ」と「ハッカー倫理は大きな非物語だ」 というものだった。確かにハッカーはコードを疑い、 コードを書き換える人たちだから、固定した「コード」を「物語」 に置き直せばハッカーは物語を超越すべきだろうし、ハッカー倫理は、 物語を外から観察する態度であるべきことになる。うーん...そのとおり。 そこで、ここでは、 『動物化するポストモダン』の著者である 東 氏 に敬意を表して、 彼から頂い

  • SYNODOS JOURNAL : 「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?(1)東浩紀× 荻上チキ 

    2011/12/150:5 「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?(1)東浩紀× 荻上チキ  一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 著者:東 浩紀 販売元:講談社 (2011-11-22) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る 「ひとつの誤解はまず、民主主義2.0とは、情報技術に支援された、新しい熟議民主主義だというものである(……)すべての市民が政策決定に電子的手段で参加する新たな直接民主主義の実現。ネットにそのような夢を託しているひとは、いまでもじつに多い。 他方でもうひとつの誤解は、民主主義2.0とは、市民の個人情報を徹底的に収集し分析し、それをもとに最適解を数理的に決定していくような、いわば「データベース民主主義」だというものである(……) しかし書が主題としてきた一般意志2.0の構想は、それら両者の組み合わせとして考えられている。人間と動物、

  • 忸怩たるループ0309 『痕』についての総括。『To Heart』とのあいだの切断について。

    ▼ http://sto-2.cside7.com/200309_3.html#29_t1 でも、ギャルゲやっちょるときだって「ゲーム」的ななにかを感ずるときはあるではないですか。 (ない? ないか? いや、あるはずだ) なんというか「フラグが立つのが見える瞬間」ってない? そんなシステムが実装されてなくとも、ルート分岐ツリーが脳内に構成されていると実感する瞬間ってあると思うのだけど。 「来た! っっっここが分岐点!」 みたいな。 否定的。とりあえず三点。 そのいち。そういう瞬間がないとは言わない。だが、「非ゲーム的ななにか」を感ずるときも多い。たとえば「攻略」という言葉に抵抗を覚える(ことがある)。 そのに。『「ゲーム」的ななにか』ではなく『「ギャルゲー」的ななにか』(あるいは『分岐型アドベンチャーゲーム的ななにか』、『「ノベルゲーム」的ななにか』)であるように感じられる。少なくとも、無

    highcampus
    highcampus 2011/11/13
    「トゥルーエンド」関連
  • エロゲーのテーマ性の問題点 - おとなのじかん

    私はエロゲーに飽きていました。いや、飽き飽きしていた。私は純愛系と言われるジャンルが好きなので、そればっかりやってるのですが、純愛系はノベルゲームが主体です。だから、純愛ノベルゲームばっかりやることになったわけですが、その展開がなかなかにワンパターン。告白して、いちゃいちゃして、セックスして、エンディング。別のキャラクターに変えて、告白して、いちゃいちゃして、セックスして、エンディング。それで5人くらいやったらゲーム終了。これは恣意的な言い方でしょうし、この構造自体に文句はないです。2人の男女の恋物語をゲームにするならこうなって当然でしょう。メインはその間にあった2人の物語がなわけですから、そういう展開に以外に展開のさせようがないですしね。ただ、私は昨今の物語がどうにも好きになれない。純愛系のエロゲーは結構なものが、高校を舞台にしているわけですが、そこで展開される物語に新鮮味がない。もうや

    highcampus
    highcampus 2011/11/05
    「30x30」で永倉さんが書いたトノイケダイスケ論はこれと真逆のこと(約10年前に「水月」でマヨヒガを描き、「Garden」までの作品でマヨヒガ的解法を否定した)を言ってるわけで、そういう意味では面白い。/社会反映論
  • 成功について - 内田樹の研究室

    イギリスに留学している学生から、質問がメールで届いた。「成功」についての論文を準備していて、各界のひと 50 人にアンケートして、その中の一人に指名されたのだそうである。 若い人が外国でがんばって論文を書いているのを支援するのは、大人の仕事のひとつであるから、質問に回答を書いた。 しかし、趣旨が今一つよくわからない。 論点はいくつかある。 一つは、「成功」には客観的指標があるのかどうか。 一つは、「成功」するには何をすればいいのか。 一つは、「みんなが成功する」ということはありうるのかどうか。 むずかしい問いだと思いませんか? とりあえず、第一問にはすぐに答えられる。 「成功に客観的指標はない」 例えば、「年収2000万円を以て成功者とみなす」といった外形的ルールを定めた場合、年収1990万円の人は納得せぬであろう。 「テレビ出演年20回以上」でも「一部上場企業の部長以上」でもなんでもいい

  • CARNIVAL - Skinerrian's blog

    シナリオライター瀬戸口廉也氏のデビュー作であるこのゲームには、父親からの性的暴力のせいで心が歪んでしまったヒロインが登場する。物語は全三部構成で、第三部「トロイメライ」はヒロインのモノローグになっていて、複雑な内面の動きが淡々と語られる*1。 ヒロインが中学三年生のときのクリスマス、仲の良い友達に連れられてカトリックの教会に行く場面がある。この友達は両親が信者なので、生まれたときに洗礼を受けてはいるが、実際には信仰は既に失っている。ミサの後のパーティで、ヒロインが「つまりキリスト教ってどういうもの?」と素朴に質問する。ここのくだりは対話篇みたいで面白い。まず、友達の答えは要約すると大体こういう感じだ。 道徳のネモトを神様に結びつけたものだと思う。他人を殺してやりたいとか死んでしまえばいいのに、と思うことは誰にでもある。思っただけでは逮捕されないが、キリスト教では罪になる。罪の規準は、周りの

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    highcampus 2011/10/09
    キリスト教的思想について
  • 書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」第3信 「人間」と「言語」、あるいは偶有性のアスペクト

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 ■はじめに 茂木さん。2年半のブランクを経て、この往復書簡がゾンビのごとく蘇ったことを、とりあえずはどう受けとめたものでしょう。 ずっと涙目で返信を待ち続けていたものの、私はこの往復書簡はとうに終わったものと考えていました。返信がいただけなかったのは、とても悲しいことではありましたが、その事実もまた「茂木健一郎」という人物の一側面であることを示しえたと考えて、それで満足することにしたのです。 もっともこの企画、茂木さんによるガン無視パフォーマンスによって世間的に有名になったというところもあって、私もずいぶんとおもしろい経験をしました。 いろんな媒体から取材を受けました。たくさんの人たちから「無視されてかわいそうに」と同情していただきました。なかでも、さる著名ミュージシャンは、この企画が往復しないほうに賭けてずいぶん儲けたということで、お礼にとごちそうしてくれま

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    highcampus 2011/09/30
    斎藤環-茂木健一郎/「アバター」"ハリウッド映画に連綿と受けつがれてきたプラトニズム(イデア>現実>虚構)の伝統を、根底からくつがえしちゃった"
  • その話を間違いにするために - 今日から四百

    新自由主義研究会ジジェクの巻。どうも文句を言うばかりになってしまう格好になったが、今回読んだジジェクの著作、現在への介入としてすばらしいと思う、というのが前提での文句でした。述べた通り、新自由主義のイデオロギー的な閉域が、リベラル主義と全体主義(またはそれを含意する社会主義)の鏡像的な二項対立であるなら、ジジェクの「コミュニズム」はその外部として(というか正確にはその外部への志向を稼働させる統制的理念として)おかれる。 コミュニズムというのは、つまり生産するものたちの共同体の理念なわけだが、これはこれまでつぶやいている通り、今回の震災でウィリアムズ的な田舎と都会の問題とともに痛烈に前景化している問題である。生産するものたちの共同体は、「田舎の共同体」であってはならない。つまり、消費者とはべつの一部の生産者の共同体であってはならない。それは田舎/都会、生産者/消費者の分断をこえた、生産す

    その話を間違いにするために - 今日から四百
    highcampus
    highcampus 2011/09/29
    ジャン=ピエール・デュピュイの『津波の小形而上学』/"「だれかが死んだのか?」と尋ねられたノアは、「お前たちだ」と答え[…]それを聞いた町の大工は[…]「その話を間違いにするために[…]」"
  • 戦え!何を!? - rakankaインタビュー

    highcampus
    highcampus 2011/09/19
    「逃走を」"具体的には、たとえば後悔をしないこと"/「シュタインズ・ゲート」"前進するな後退するな移動はつねに平行であれ。"
  • アニメ批評には「ゲロ吐きパフォーマンス」こそが必要だ - あままこのブログ

    吐き出せ吐き出せ 胃から腸まで お前そっくり 裏がえるまで。 P-MODEL「ヘルス・エンジェル」 以前、とらドラについて語る記事を書いたとき(聖なる夜にとらドラ!をdisる - 斜め上から目線)こんなブックマークコメントをもらったことがあった。 はてなブックマーク - 聖なる夜にとらドラ!をdisる - 日常ごっこ id:mae-9 観る前の文章も観た後の文章も、作品をダシにして自分に注目を集めたいという匂いが酷い。せめて見解が画期的ならいいけど、他人の見解をパッチワークして立ち位置ゲームしてるだけで、どうしようもない……。 このコメントについて僕が憤っていると(実際は、このコメントに憤っていたというより、まどマギについての僕の記事*1に対して、id:kanose氏とid:WintterMute氏が、「id:amamako氏はまどマギに対して気で憤っているわけではなく、ただまどマギが絶

    アニメ批評には「ゲロ吐きパフォーマンス」こそが必要だ - あままこのブログ
  • 『小松左京マガジン』39巻に寄稿させていただきました - the deconstruKction of right

    『小松左京マガジン』39巻に、小松左京+ロスジェネ+伊藤計劃論の「二十一世紀に小松左京を読むということ――『未来の思想』再読」を掲載していただきました。問題意識は、「ゼロ年代におけるリアル・フィクション」の延長で、ゼロ年代のSFの「未来」と、小松左京の「未来」とを比較検討するものです。よろしかったらご覧になってください。

    highcampus
    highcampus 2011/08/16
    "問題意識は、「ゼロ年代におけるリアル・フィクション」の延長で、ゼロ年代のSFの「未来」と、小松左京の「未来」とを比較検討するものです"/SF
  • 連載「美少女ゲームの哲学」第二章 地下の風景【2】 - WEBスナイパー

    Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game 第二章 地下の風景【2】 様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。 †鬼畜の論理 アダルトゲームに発露した不謹慎な欲望を『177』は確かに端的に示しているのだが、しかしこれがまだ未発達の表現であることは明らかだろう。性欲のままに女性を襲うさまはむしろ動物的なのであって、そこに垣間見える人間性はなんと

    highcampus
    highcampus 2011/08/03
    "「風景」とは2000年代における印象、とりわけ内容的に言えばノベルゲーム的な印象" "『臭作』は単に盗撮をモチーフにしたからよいのではなく、この『同級生』的システムと合体させたからこそ業界の歴史に残る"