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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (8)

  • 電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2005.07 千束(東京都台東区) 「道徳などというものは、そうですね、土曜日の午後、発売されたばかりの村上春樹の新著をさっそく読んでいる、そういう余裕のある人たちに任せればいいのだと想いますよ。社会は彼らのものですし、世間とは彼らのことですから」 (杉並区・会社員) 「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ。」 (小林秀雄「イデオロギイの問題」より) 「もう昭和のものを残さなければなりません。」 (小沢昭一「日遊廓建築残骸大全」 『芸術新潮』1987年6月号) ○ 2003.06〜2006.04 千束(東京都台東区)

    電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋
  • 夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋

    書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁) ある夜、会社をたたんだ男、それはかつての上司でもあるのだが、誘われて大井にいった。ちょうど御神訓史がやってきた頃のこと。この縁起のよい名字のジョッキーは島根県益田市にある小さな競馬場にいたのだが、そこが廃止となったので大井競馬場に移籍したのである。遅れて到着した私に、男は御神を応援しているんだよと言って、多点買いした馬券を見せる。男が御神の境遇に自分を重ねていたのは言うまでもない。だから私も御神から買いまくった。 御神は馬券に絡めなかった。ああ、はずれましたね。そういって馬券をちぎる私。あっそう、ぼくは馬連とったよ、と男。男は御神以外も買っていたのだ。私は御神からの馬単流しだったというのに。つまるところ、私はお人好しの愚か者である。 その数年前、就職も決まらぬままに大学を出て六

    夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋
  • 京都市と、まるで関係のない話。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2007-01 京都府京都市 その女は四年であったこともあり、あまり学校へは来ず、そのために顔を合わせるのは久しぶりであった。女の顔を見るなり、まぶたに目がいった。何か違うとの直感により、まぶたに目がいったのである。要するに整形である。就職期に軽い美容整形を施すのが流行った時期であった。立ち話をする間、どうしても目がいってしまう。女は女で、私が整形に気づいていると気づいているのだが、気づいていることを気づいてないふりをしていた。あの時の女の表情に、私は多くのものを見た。 隠そうにも隠しきれない、そんなもののみが語り得るリアリティがある。それは欠けた指だったり、妊娠腺の跡だったり、注射針の痕跡だったり。うっかり見てしまったならば、見ないふりをしながらもついつい目がいってしまうもの、それに気づかれたことを気づかないふりをするようなもの。それは表情や身体に限るまい。 これは、隈研吾の話にも通

    京都市と、まるで関係のない話。 - 北小路ゲバ子の恋
    hinemosu_notari
    hinemosu_notari 2009/03/25
    なんという牧歌的な指名手配
  • 安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 なんとかかんとかed by 関内関外日記「『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー/中川五郎訳」(2005-08-09) ←のリンクこそ、このエントリのすべてである。以下に書かれるものは、まったくの余談に過ぎない。 みじめったらしい部屋で読むのも何だしなと、ブコウスキーの「死をポケットに入れて」をわしづかみにして、サンマルクカフェに入る。私の中では色川武大「狂人日記」と並ぶものになるかもしれない。そんな書籍を読むのだから、タリーズに行ってもいいくらいだ。 河出文庫を買ったのはいつ以来であろうか。背のデザインが変な黄色になってからは初めてのはず。以前の白の"ぬめっ"としたカバーは好きだったのだが。松浦理英子の小説には、あの"ぬめっ"としたカバーがほんとうによく似合っていたじゃないか。 はじめて買った河出文庫は何だったかといえば、「ブルックリン最終出口」。著者の名前はなんど目にし

    安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋
    hinemosu_notari
    hinemosu_notari 2009/03/08
    "みんないい客である。他にすること、行く場所があるから、長居などしないわけで、すなわち、いい人生でもある。"
  • 菊坂・白山その辺り - 北小路ゲバ子の恋

    ●2004-12-18 菊坂(東京都文京区) 地方者にとって、どこもかしこも坂や通りに名前が附けられた東京は新鮮であった。どこにいくにもタクシーに乗っていた頃、お陰で行き先を伝えやすくもあった。オムニバスジャパンに行くならば「青山通りからコロンビア坂に入って三分坂を下りて真っ直ぐでお願いします」でよい … という具合。目黒と五反田のなか程にソニーPCLというポスプロがある。ここに行く際は「目黒通りからドレメ通りで」。このドレメ通りを知らないと話がややこしい。「目黒通りから権之助坂を下りずに、行人坂の方にいってすぐ左折してください」となり、運転手はたいてい左折できずに往生してしまう。ちなみにドレメ通りとは杉野ドレスメーカー学院なる専門学校が散在することに由来する。 久世光彦「陛下」に次の一節がある。舞台の白山に"坂"なる坂はなく、久世のことだから萩原朔太郎「町」を意識してのことであろうか

    菊坂・白山その辺り - 北小路ゲバ子の恋
    hinemosu_notari
    hinemosu_notari 2009/03/07
    「目黒通りからドレメ通りで」
  • 青山墓地 - 北小路ゲバ子の恋

    ● 2004.04 2005.03 青山霊園(東京都港区) 色のバリエーションが少ないので、こうして並べると詰まらない。彼岸花などの赤が欲しいところ。/ ここに限らず、霊園の楽しみは外国人の墓である。/ ここを六木側に抜けたところにある「かおたんラーメン」(リンク先はfotolife)の店構えがそそる。タクシーで通る度に下車したい衝動にかられながら、いまだに喰うたことなし。 「警部補小川侘吉郎墓」は日初の拳銃強盗犯・清水定吉を逮捕した小川侘吉のものと想われる。 著名人 *1 *2 *3 *4 *5 *6 *7 *8 *9 *10 *11 *12*13 *14 1990年、頭山満の孫で大学教授の頭山統一はこの墓の前で拳銃自殺する。/ 「男子の懐」の浜口雄幸と井上準之助の墓は隣あっている。/ 吉田茂は知られるようにクリスチャンであるが、その葬儀は東京カテドラルで行われた。 *1: wik

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  • 神泉☆円山 - 北小路ゲバ子の恋

    ● 2005.04 神泉・円山町(東京都渋谷区) 横浜の寿町や台東区の玉姫と同じく、皮肉を含んで聞こえる地名の神泉。それに隣接するのが円山町。 ラブホテル街で知られる円山町は階段の街でもある。あちこちに組まれたそれをあがったり降りたりしながらふらついていると、神泉の駅前に出た。するとアパートの階段、想わず写真に収める。後になって、これが殺人現場のアパートの階段と知る。 いつも女が男に声をかけていた場所、たびたび女が買い物をした青果店も写真に収めていた。霊が呼んだ、と言いたのではなく、ひとを寄せる場所があるのだと想う。適当にふらついていると、自然と辿り着くような場所、目がいく場所、フレームに入れ込む場所が。 「日の暮れきるのも待ちかねて交わる男女がいた。」 (古井由吉「野川」) 「目を閉じると陽炎の坂道を狂女がやってくる。」 (久世光彦「昭和幻燈館」) 「我に帰る必要などない。私はどこまでも

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  • 町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて - 北小路ゲバ子の恋

    ピクニックもろくにいけないような人生になんの意味があるのだ。そう思って俺は就職しなかった。ところが大抵の者は就職した。そのことは俺がこの世界にばまりごんで、ついにはおばはんになってしまっていることに深い関係があるのではないかとおもう。だって、普通の奴はこんな目に遭わないからね。つまり、自業自得。普通の人がするようなことをしないから、普通の人が遭わないような目に遭うのだ。結局、ピクニックは一回もいかなかったし。  (町田康「宿屋めぐり」560-561頁) いかんせん602頁もあるために、サンマルクカフェにて1杯のコーヒーとサービスの水でもって読み切るのは難儀と想い、わざわざジョナサンに出向いて、そこのドリンクバーに頼りながら町田康「宿屋めぐり」(08年刊行)を読む。ちょうど上述の引用箇所を読み過ぎた頃、椎名林檎の「閃光少女」が有線から流れてきて、せっかくなので目を瞑って、あれこれ想うた。*1

    町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて - 北小路ゲバ子の恋
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