1741年、遭難したロシア船ピョートル号に乗っていたベーリングに見つかるまで、ラッコはアリューシャン列島界隈でうようよ泳いでいた。肉は固くて食べられたものではないが、寒い海に住むラッコの毛皮は保温能力が高い。毛皮商人がほうっておくわけがない。人間の恐ろしさを知らなかったラッコは、おもしろいように狩られていった。 乱獲がたたり、捕獲すら難しい状況となった1911年、ようやく保護のための国際条約ができ、個体数は徐々に回復していった。60年代には、ケルプ(コンブやワカメ、ヒジキといった褐藻類)が海中の森林のように繁っている場所では、オットセイその他のさまざまな生き物にまじってラッコが住むようになった。ところが、ケルプが生育していない禿げ山のような海域では、ラッコの生存は認められなかった。 生態学者エステスは、このような観察事実に基づいて、アリューシャン列島では、ケルプがラッコの生存を助けていると