Lesson406 いきやすい関係 「生きづらい」と感じる人が多い世の中で、 もうちょっと、「息のしやすい」「生きやすい」環境に、 自分のまわりをできないものか。 そんな問題意識をこめて、きょうは、 「いきやすい」居場所について考えてみたい。 「行くも仁義。一次会だけでも顔をだしなさい」 社会人になりたてのころ、 よく母から注意をうけた。 人見知りなのだ、私は。 よその人がうちにくると、ぷっ、とふてくされて 2階の自分の部屋に行ってしまうような子どもだった。 ちいさい子どもにとって、 あまりよく知らないおばさんと話すのは、 おもしろくない、をとおりこして苦痛だ。 はやく、この知らないおばちゃんが帰って、 母と姉と私だけのいつもの楽しい時間になればいいのに といつも思っていた。 姉は正反対で、 いつ、どんな人がきても、嫌な顔ひとつせず、 わけへだてなく社交した。 だから、なにかの集まりにいっ
Twitterにふと興味をもって初めて見た。 ネット内の友達もいてフォローしあった。 最初は自分の発言に友達が返してくれるのがうれしくて ただ楽しかった。 だんだん、自分の発言はどう思われているのか 今返事がかえってこなかったのは、自分の発言が悪かったのか 自分が相手の発言に返して、その返しがないということは余計なお世話だったのか 私が発言をいれたことで場の空気が悪くなってるのじゃないか そういう苦しい思いに日々何度も襲われるようになる。 日常生活で私が逃げてきたことと同じことが Twitter世界でも同じようにつきまとう。 結局、人とつきあう以上 自分は「他人から疎まれている恐怖」から逃れられない。 日常生活では、その思いの苦しさから 何度も何度も何度も、友人関係を絶ってきた。 むこうにしてみれば、数ある知り合いの中の一人で 私がいようがいなかろうがたいした影響はない。 私からしたら、自
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