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コミュニケーションに関するhiroyukixhpのブックマーク (9)

  • あなたの性格は直らない。直す必要が無い。 - くろいぬの矛盾メモ

    たとえば、「人間を3種類に分けるなら」というお題に対して、こう分けたとする。 現状を受けいれて生きる人間 理想を探し求めつづける人間 現状を変えようとあがく人間 この並べ方だと、最後のあがく人間ってのがわりと正解のように見えるんだけど、 実際にはどれが正しいってわけでも無い。 有名なホトトギス話になぞらえれば、上から家康、信長、秀吉なのかも知れないが、 誰が成功するかなんて、こんな基的な行動原理だけじゃ全くわからない。 実際には、「何を」「どのように」求め、受けいれ、またはあがくかこそが肝要だ。 基的な行動規範よりも、「行為の対象」と「やり方」の選び方のほうがずっと大事なのだ。 法律やルールや計画や定義や基方針やスローガンを作っただけでは、毒にも薬にもならない。 だから大の方針だけ決めて、あとは「各自対応」とか「ケースバイケース」とか「バランスの問題」とか 「現場の判断」とか「臨機

    あなたの性格は直らない。直す必要が無い。 - くろいぬの矛盾メモ
  • 深いつながりだけが人の絆ですか?

    絆には「きずな」と「ほだし」の2つの読み方がある。 語源は犬などをつなぎとめる手綱。これが転じ,「断つことのできない人と人の深い結びつき」の意味で使われている。 通常,絆は「きずな」と読まれ,深い人間関係を好ましい意味と捉える。しかし,「ほだし」は一転して深い人間関係を束縛と捉え,全く逆の意味となる。 絆が持つ2つの読み方は,深い人間関係における二面性を的確に言い当てている。 若年層における人間関係の希薄化 急速に変化している若年層の交流関係をつなぐ絆からは,深い人間関係を感じづらいことも多い。そのほとんどは,携帯電話やパソコンを使ったコミュニケーション手法に見られる。 コミュニティ・サイトでは,仮想的な恋人や家族として見知らぬ人と交流することが珍しいことではなくなりつつある。代表例としては,ディー・エヌ・エーが運営する「モバゲータウン」で見られる「モバ彼(彼女)」「モバ家族」などがある。

    深いつながりだけが人の絆ですか?
  • フィンランドの5年生がまとめた議論のルールが凄い - タケルンバ卿日記

    フィンランド恐るべしだなあ。トラックバックをいただいた記事の中に、こういう記述がありました。 フィンランドの5年生が作った議論のルール 負けまいとする心でしょう! フィンランドの小学5年生が自分たちで作ったという 議論における10のルールというものがあった。 フィンランドの5年生が作った議論のルール 負けまいとする心でしょう! それがこれ。 図解 フィンランド・メソッド入門 作者: 北川達夫,フィンランドメソッド普及会出版社/メーカー: 経済界発売日: 2005/10/01メディア: 単行購入: 17人 クリック: 575回この商品を含むブログ (61件) を見る 他人の発言をさえぎらない 話すときは、だらだらとしゃべらない 話すときに、怒ったり泣いたりしない わからないことがあったら、すぐに質問する 話を聞くときは、話している人の目を見る 話を聞くときは、他のことをしない 最後まで、き

    フィンランドの5年生がまとめた議論のルールが凄い - タケルンバ卿日記
  • 【第47回】自信のない人とのつき合い方:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 今回は「自信がない人」とつき合う時のメンテナンスを考えます。何かを任せようとしても「自信がありません」と言って、相手に断られてしまう場合があります。こういう人に仕事などを引き受けてもらいたい場合、1つの方法は「いきなり一段上げるのではなくて、半段だけ上げること」です。 例えばいきなり昇進させたり、大きなプロジェクトを任せるのではなく、「自分の補佐をしてほしい」と言って様子を見るのです。そして実際にその仕事を問題なくこなせそうだと人も思えるようになってから、任せるのです。 自信のない人には、むやみに激励しない むやみに「君ならできる」と背中を叩いても、自信がない人にとっては意味がありません。自信がない人にとっては、やったことのないことができる

    【第47回】自信のない人とのつき合い方:日経ビジネスオンライン
  • 『マイミク』は日記を毎日読んで毎日コメントするという契約である - 鼻が赤くなりにくいティッシュです

    ミクシィに入った後のお話。 (ミクシィに入る前のお話はこちら) ミクシィに入ろうと思った理由の一つはコミュニティ。 同じ趣味の人間で集まって話ができる場所というのに興味が引かれたからだ。 日記を書くことはどうでもよかった。 前回の記事のことがあったため、その時のグループのリア友に頼むのは複雑な理由でためらわれる。 *1 そこで思い出したのが、小さめのオタクなイベントで知り合ったお嬢さん。 以前、ミクシィに入ったというメールをもらっていた。 「の表紙を描いてもいいですよ〜」と言われていたので、ここから先の付き合いが長くなりそうなので、マイミクになっても大丈夫ではないかと考えた。 それで、入りたい理由を話して招待して欲しいと頼んだところ、快くOKしてもらえた。 入会したことを同人関係で公表したら読者さん数人からマイミクの申し込みがあり、こじんまりとミクシィをスタート。 入会初日にお嬢さんの日

    『マイミク』は日記を毎日読んで毎日コメントするという契約である - 鼻が赤くなりにくいティッシュです
  • 不快感を与えない、ネットでの馴れ合い術 - ココロ社

    ブログを書いている人にとって悩ましいのが、「馴れ合い」問題。 ―と書くと、「何それ?」と思う方も多いかと思います。このブログを読んでいる方の大半は、自分で積極的にブログを書いたりするのではなく、面白そうなブログを流し読みする感じのネット生活を送られていると思うので、「馴れ合い」が何なのか、「馴れ合い」がどうしてブロガーにとって悩ましい問題なのか、ちょっとピンと来ないかもしれません。ただ、ブログを運営していない人でも、「mixiで日記を書いたときに、特定の人と仲良くしてたら、他の人が読んだらいやかなーと考えちゃう」とか「お気に入りのブロガーに何か言いたいけど図々しいと思われないか心配」とか、そういう気持ちが発生したことがあるかと思います。今回は、ブログ管理人のみならず、読者についても、そういった場合の対処法についてわたしなりのまとめを書かせていただきますので、参考にしていただければ幸いです。

    不快感を与えない、ネットでの馴れ合い術 - ココロ社
  • ブログの未来はどうなる--新しいコミュニケーション手段「ライフストリーミング」

    最近、ブログの様相の変化が話題になっている。ProBloggerのDarren Rowse氏は、ブログは今や関係を重視していないのではないかと問いかけた。Scoble氏は、技術系ブログに人々が失望した理由を説明した。誰もがScoble氏の発言に全面的に賛成したわけではないが、ブログの世界には、「Appleの新製品やIT業界の有名人のちょっとした過ち」について書くよりも、何がおもしろいのかをつづるブログに回帰しようという新たな機運が生まれていた。しかし、少なくとも従来の意味で、人々はいまだにブログを必要としているのだろうか。 かつて自身の個人的な考えや意見をインターネットで公開して、ほかの人たちに読んでもらうための主な手段であったブログは、インターネットを民主化する動きとなった。誰もが発表者になれた。しかし現在、コミュニケーション手段として皆に好まれたブログの時代は終わったのかもしれない。そ

    ブログの未来はどうなる--新しいコミュニケーション手段「ライフストリーミング」
  • 感受性強めの人がうまいこと生きていくための5つの方法

    感受性強め(つまり、自意識過剰)な自分は、自分の精神が毎日磨耗していくのをヒリヒリ感じている。今日は、中2病の我流治療法を紹介するぜ。 1.期待しない他人に期待すると、望みどおり行かなかったときにショックが大きい。だから、最初から期待しないことにした。塩を振ったスイカは甘く感じる、とかそういうのだよね。 2.見ない・聞かない・気づかない(フリをする)周りがいろいろ言ってることに注意を払わない。気づいたことが奴らにバレると面倒に巻き込まれるからな。 3.仕事でやってる「役割」に気を使わない店員、医者、役所、そういう人々は「客の世話をすること」が仕事だから、気を使う必要はない。礼儀を欠かないように注意すれば、わがまま言ってもオッケー。 4.怒ってもいい怒っていることを外に出してもいい。怒る練習をしてもいいぐらいだと思う。 5.他人が言ってることは50%位に受け取る全部気にしない。ハイハイ、っ

  • Twitterでも同じ迷宮から逃れられない

    Twitterにふと興味をもって初めて見た。 ネット内の友達もいてフォローしあった。 最初は自分の発言に友達が返してくれるのがうれしくて ただ楽しかった。 だんだん、自分の発言はどう思われているのか 今返事がかえってこなかったのは、自分の発言が悪かったのか 自分が相手の発言に返して、その返しがないということは余計なお世話だったのか 私が発言をいれたことで場の空気が悪くなってるのじゃないか そういう苦しい思いに日々何度も襲われるようになる。 日常生活で私が逃げてきたことと同じことが Twitter世界でも同じようにつきまとう。 結局、人とつきあう以上 自分は「他人から疎まれている恐怖」から逃れられない。 日常生活では、その思いの苦しさから 何度も何度も何度も、友人関係を絶ってきた。 むこうにしてみれば、数ある知り合いの中の一人で 私がいようがいなかろうがたいした影響はない。 私からしたら、自

    Twitterでも同じ迷宮から逃れられない
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