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ブックマーク / kaoriha.org (3)

  • 中里一日記: なぜ金融危機は人々を結束させないのか

    なぜ金融危機は人々を結束させないのか ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』(柏書房)を読んだ。 書を読みながら、私は考えた――災厄はしばしば人々を結束させる。天災しかり、戦争しかり。しかし金融危機だけは違う。互いに手を携えて難局に立ち向かうどころか、逆に「万人の万人に対する闘争」の度合いを増し、野蛮状態へと近づいてゆく。なぜなのか? 書は、20世紀アメリカにおける人々の結びつき(=社会関係資、ソーシャル・キャピタル)とその経時変化を論じている。書の主張をおおまかにまとまると、 1. 社会関係資には、「結束型」のものと「橋渡し型」のものがある。「結束型」は、家族、階級、民族などの排他的な枠を持ち、結びつきが強い。結束型の枠を超えて人々を弱く結びつけるもの、たとえば草野球チーム、ロータリークラブ、ボーイスカウトなどが「橋渡し型」である 2. 社会関係資は、人々が互いを強く信

  • 中里一日記: 公営ギャンブルは持続可能か

    公営ギャンブルは持続可能か 私の実家の近くには競輪場がある。控えめに言っても小汚い、有り体に言えば大汚い老人が電車に乗ってきて、競輪場の最寄り駅で降りる光景をよく見かけた。私の子供時代にはまだ競輪場は人の集まるところで、「こんなにカモを集めたらさぞ儲かるだろうな。いつか競輪を開催して儲けたい」と子供心に思っていた。 子供心に――まったく子供らしい話だ。現在の競輪はといえば、マイナス成長を続けて20年、開催自治体の多くを赤字で苦しめている。この世に永遠のものはない。幼い私にはそんな簡単なこともわからなかった。 幼い私には難しすぎた事実は、ほかにもいくつかある。 ひとつは、あの大汚い老人たちは、カモであると同時に恐ろしく賢い、ということだ。 金を損しに集まる人々が恐ろしく賢い、などということがどうしてありうるのか。「賢い」を「高性能」と言い換えれば、わかりやすいかもしれない。あの大汚い老人たち

  • 中里一日記: 人は読まない、人は学ばない、人は変わらない

    人は読まない、人は学ばない、人は変わらない このところ辛いことが続いて、さすがの私もぐったりしている。外聞がよくてわかりやすい件だけ言うと、交通事故に遭って全治6か月、左腕がまったく上がらないし、普通のベッドに横たわると自分ひとりでは起き上がれない。 そんなわけで、『兵士シュヴェイクの冒険』を日々読み返しては心を慰めている。私もシュヴェイクのような謙虚な人間になりたい。ああいう謙虚な人間なら、今の私のこの状況も、赤子のような澄んだ目でやりすごせるだろう。自分がどちらかといえばヘロストラトスの側の人間である――「どちらかといえば」どころか「どこからどう見ても」と言うべきか――ことはよくわかっているのだが。 このぐったりした気分にふさわしく、今日は恐ろしく無駄なことを書こうと思う。私はどうやってもシュヴェイクにはなれないのだから。 昔、男の子がいた。大きくなったら「偉大な」作家になりたいという

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