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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (5)

  • 別に本なんか読まなくてもいいから,「自由になるために」知識を得ることには貪欲であってほしい - 諏訪耕平の研究メモ

    を読むヤツは賢くなる――と、一般には言われている。 私もこの考え方におおむね同意だ。なかには読書が好きなのにスットコドッコイの私のような失敗品もあるけれど、基的にを読む習慣のある子供は、そうでない子供よりも賢くなる。らしい。 問題は、どのようにして読書習慣をつけさせるかだ。 ネットを見ていると非常に頻繁にこの「を読め」系の話を聞くのですが,そのたび違和感をぬぐえません。僕は大学院という恐らく世の中で一番「」というものの価値が高く評価される環境で5年間過ごしましたが,その間それなりに多くのを読んで感じたのは,「というのはそれほどすごいものではない」ということでした。少し僕がそう感じた理由を大別してみようと思います。 1,長い 2,分かりづらい 3,高い なんか馬鹿みたいな整理になりましたが(笑)1個ずつ見ていきます。 1,長い これが一番不満でした。は商品なので,ある程度の分

    別に本なんか読まなくてもいいから,「自由になるために」知識を得ることには貪欲であってほしい - 諏訪耕平の研究メモ
  • 文句ばかり言う人 - 諏訪耕平の研究メモ

    文句ばかり言う人がなぜ文句ばかり言うのかというと,何かしらの他者,あるいは現象に接したときまず悪いところを探そうとしてしまうから。なぜ悪いところを探そうとしてしまうかというと,自分が周囲から悪いところばかり指摘されているから。周囲が自分のよいところに目を向けてくれないので,自分も周囲のよいところに目を向けようと思えない。 僕はその人の置かれたそういう状況を「居場所がない」と呼ぼうと思う。何度も書いてきたが,居場所の定義は「環境からの要求と当人の欲求が一致したときに得られる場所」。文句ばかり言う人,居場所がない人は,何かしら当人の欲求が環境からの要求と一致していないのだろうと思う。 以前出会ったある中学3年生が,とにかく文句ばかり言っていた。当に,二言目には誰かの悪口を言う。どんな話題を振っても,何かしら悪口につながってしまう。 「巨人今何位?」 「あー,あかんわ。原監督が駄目。」 「AK

    文句ばかり言う人 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ

    ある20代半ばの友人との会話。 友人「最近どう?」 僕「そうねえ,最近はまあのんびりだね」 友人「でも忙しいんでしょ?」 僕「いや,別に・・・好きでやってることだし」 友人「でもほら,やっぱ塾講師とか色々時間とられるしさ,論文書くのも大変でしょ」 僕「まあ大変だけど」 友人「そうかあ。頑張ってるんだなあ」 最近思うことだが,20代においては「忙しい」というのは褒め言葉になっている。彼らはすぐに人を忙しくしたがる。忙しいの対象は,当然仕事である。仕事において忙しい人間は偉い,立派,そんな風潮があるように思う。 まあ無理もないかもしれない。仕事をしているやつが一番偉い。我々が生きてきたここ10年間,そんな風潮を我々はひしひしと感じてきた。忙しければ忙しいほど偉い。始発で会社に向かい,終電で帰るという日々は自慢話となる。「不幸自慢」という言葉があるが,彼らにとって忙しいということは誇るべきことで

    「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ

    「当事者性」みたいな視点から議論すると,今回の民主党や公明党のマニフェストを「ばらまき」であるとして批判する人とかは,「金持ってんだろうなー」とか思ってしまうわけです。実際に保育や教育において苦労している人はなかなかそういう発想になれない。 心のどこかで,「持っている人」がいるから,自分たちは「持たざる人」のままなんだという気持ちがあるのかもしれませんね。持っている人たちは「自分は努力したからこそ持ってるんだ」と思うかもしれませんが,じゃあ持たざる人たちが「自分は努力が足らなかったから持ってないんだ」と思えるかというとこれはなかなか難しくて,何せ「努力」ということで言うと,持たざる人ってある意味で努力せざるをえない環境にありますからね。 少なくとも,例えば現在30歳の「持たざる人」が,同世代の持っている人と自分を比較して,「自分はあの人に比べて努力が足らなかったから持っていないんだ」と確信

    「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
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