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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (5)

  • 大瀬良大地がようやく本格化。恩師と積み重ねた大学4年間の研鑽|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    「ほかの鶏が鳴いても、威嚇してきても、まるで木彫りの鶏のように泰然自若としています。最強の闘鶏になった証です」 そんな故事に由来する言葉である。 「どうです、大瀬良にぴったりの言葉だと思いませんか? これを書いて、広島に行く時にあいつに渡してやろうと思うんです」 九州共立大時代の大瀬良は、入学と同時に投手陣の軸として投げていた。リーグ戦通算38勝6敗、防御率1.07。全国大会にも4回出場して5勝をマーク。日米大学野球選手権大会にも2度選出。2013年のドラフトでは3球団から1位指名を受け、抽選の結果、広島が引き当てた。文字通りの"大器"である。 「ようやく木鶏になってきました。そう思って、こうやって書いているんですよ」 4年間手塩にかけて、すべてを注ぎ込んだかわいい"愛弟子"が、まもなく巣立っていく。喜びと同時に寂しさもあるものだ。 「オオカミを飼いならして、ヒツジにしてはいけない。これ、

    大瀬良大地がようやく本格化。恩師と積み重ねた大学4年間の研鑽|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2018/10/20
    「ほかの鶏が鳴いても、威嚇してきても、まるで木彫りの鶏のように泰然自若としています。最強の闘鶏になった証です」
  • 【イップスの深層】先輩の舌打ちから始まった、ガンちゃんの制御不能

    連載第1回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち 証言者・岩勉(1) イップス――これまで普通にやれていたことが突然できなくなってしまう。野球界においても例外ではなく、なかでも自分の投げ方を忘れてしまう"送球イップス"に苦しむ選手は多い。ある者はポジションを追われ、ある者は選手生命にピリオドを打たざるを得なくなった。まさに野球選手にとって"イップス"は地獄のような言葉である。その"地獄のイップス"を経験したことのあるプロ野球選手、関係者の証言から、イップスの深刻な症状や改善策を探っていきたいと思う。最初に登場いただくのは、かつて日ハムのエースとして一時代を築いた岩勉氏。 小学生の頃からイップスに苦しんでいたと明かす岩勉氏 背中越しに舌打ちが聞こえてきた。 マウンドから後ろを振り返る。二軍に落ちてきたばかりの内野手が、敵意をむき出しにして「おい、お前何回走らすねん」とすご

    【イップスの深層】先輩の舌打ちから始まった、ガンちゃんの制御不能
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2017/05/27
    ふとしたきっかけでかかる病…。おっかない。
  • やっぱり牧田はすごかった。浮き上がる「魔球」でオランダ打線を制圧

    ひとりだけ、違う次元で野球をやっているようだった。 4時間46分にわたる死闘、日とオランダの両チーム合わせて16人の投手がマウンドに上がり、そのうち150キロを超える球速を計測した投手は9人もいた。しかし、侍ジャパンの最後にマウンドに上がった牧田和久の投じたスピードボールは、最速でも133キロ。誰よりも遅い速球を投げ、そして誰よりもオランダ打線を詰まらせた。 オランダ戦で延長10回から登板し2イニングを完璧に抑えた牧田和久 オランダ代表のヘンスリー・ミューレン監督は試合後にこんなコメントを残している。 「私たちは高めに浮いてくる最後のボールを仕留めることができなかった。そこが勝負のアヤだったと思っています」 オランダ打線の脅威は、この試合を観戦した誰もが感じたはずだ。「メジャー最高の遊撃手」と評されるアンドレルトン・シモンズをはじめ、メジャーリーグのレギュラークラスを多数そろえ、4番には

    やっぱり牧田はすごかった。浮き上がる「魔球」でオランダ打線を制圧
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2017/03/13
    圧巻だったなぁ。球辞苑ファミリー(?)の活躍は素直にうれしい。
  • 【根本陸夫伝】 「清原には余計なことを言うな」をコーチに厳命した男|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball

    陸夫伝~証言で綴る「球界の革命児」の真実 連載第7回証言者・土井正博(3) 1981年に現役を引退した土井正博は、西武の管理部長だった根陸夫から「3年間、西武の野球を勉強して来い!」の言葉を受け、テレビ埼玉の解説者となった。その通り、3年間、西武の野球を見続けた土井は85年に西武の二軍打撃コーチに就任。86年から一軍の打撃コーチに昇格。そこで土井が指導を任されたのが、西武のゴールデン・ルーキー、清原和博だった。どう指導すればいいのか悩む土井に、根流の指導法を伝授。そしてゴールデン・ルーキーは、1年目にしてチームの4番へと上り詰めた。 (前回の記事はこちら)清原和博には絶対に余計なことを言うな!「根さんにまず言われたのは、『清原には絶対に余計なことを言うな。黙って見とけ』ということでした。たいていのコーチは、新人が入ってくるといろいろと教えたくなるんです。それで『これはアカン』と言

    【根本陸夫伝】 「清原には余計なことを言うな」をコーチに厳命した男|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball
    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2016/02/09
    この時期、改めて読みたくなった。
  • ダルビッシュ有も田中将大も転機は「プロ2年目」だった|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    hitoriyokozuna
    hitoriyokozuna 2013/08/16
    調子が悪かろうが、自分の勝ちパターン、決め球のストレートで確実に勝ちにつなげる。ぅうむ。すごい。
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