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ブックマーク / www.nippon.com (3)

  • 台湾を愛し愛された新聞記者

    9月17日の朝、驚きのあまり動けなくなった。フェイスブック上で、とある友人に宛てられたメッセージを見つけたからだ。内容は「ご友人の皆様へ。中川博之様が、今朝早く台北市内にて交通事故のため、ご逝去されました」から始まる一文だった。 中川さんと私は、その3日後に共通の友人と3人で事をする約束をしていた。つい一昨日まで、LINEやフェイスブック上でもやりとりをしていたではないか。信じられない気持ちでいっぱいだった。悪い冗談だと思った。 日台の各界から葬儀に参列中川さんは、九州で販売される「西日新聞」に所属する記者だった。2016年の9月から台北支局長として赴任し、ちょうど1年目が過ぎた頃に事故は起こった。9月17日未明、故郷の熊県と宮崎県との合同県人会のために集まった帰り、中山北路上の横断歩道ではないところを横切った中川さんは、街路樹が植えられた二つの中央分離帯のうち、一つ目を越えたところ

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  • 「世界のミフネ」と呼ばれた男—三船敏郎

    ゴジラに次いでハリウッド殿堂入り 2016年、没後20年近くを経て、日の戦後映画界を代表する大スター・三船敏郎は米ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェイム」に名を刻む。日関連では、早川雪州、マコ岩松、ゴジラに続く殿堂入りである。また、今年は三船が主演した映画『赤ひげ』がベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞してから50年になる。それを記念して9月に開催された同映画祭でデジタルリマスター版が上映され、再び三船の評価が高まっている。 撮影の合間にタバコを加える姿がよく見られた。晩年もタバコを手放すことはなかった。 三船敏郎(1920~97年)は77年間の生涯で150もの映像作品を残した。その間、国内外で数多くの賞を授かり、国際的スターになったが、彼の人生は決して幸せなものとはいえなかった。信頼していた部下の造反にあい、女性問題でスキャンダルにまみれてマスコミの恰好の餌になったこともある

    「世界のミフネ」と呼ばれた男—三船敏郎
  • スティーブ・ジョブズと日本

    生前、日嫌いなのではないかともいわれたスティーブ・ジョブズは、実は日と深い関わりを持っていた。長年アップルとジョブズを取材してきたジャーナリストの林信行氏が、禅との出会いに始まるジョブズと日の関係の軌跡をたどる。 2011年10月5日、世界は不世出の偉大な人物を失った。米アップル社の創業者、スティーブ・ジョブズのことだ。 ジョブズは、その死後、1度は潰れかかったアップル社を、わずか15年で時価総額世界一にまで大躍進させた比類なき経営者として大きな注目を集めている。 また名スピーカーとしても名高く、スタンフォード大学で卒業生に向けて行ったスピーチは、世界中の人々を感動させ、日では高校の英語の教科書のテキストにも採用された。 21世紀初頭という時代をつくった偉人 だが、ジョブズをただの辣腕経営者、名スピーカーとして見るのは狭い見方だ。彼の当の偉大さは、21世紀初頭という時代の文化や新

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