ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (260)

  • 「よみにくい」というまえに。 - hituziのブログじゃがー

    よみやすさって、なんだろう - hituziのブログじゃがー うえの記事は、はじめて よむ ひとにとっては、なかなか スリリングな 文章だと 自負しています。もう一度よんでみても、やっぱり スリリングだと おもいます。はだかの王様を あばいているからです。 さて。 ひらがな あなーきずむに よーこそ。 - hituziのブログじゃがー うえの記事を よんでも、「よみにくい」で かたづけてしまう ひとが います。 やねごんの日記 うえのブログを、よむ気に ならないという ひとが います。 ひとつ、といかけます。おこたえください。 あべ・やすし 2006 「均質な文字社会という神話-識字率から読書権へ」 『社会言語学』6号、127-141ページ 漢字かなまじり文によって、日社会で生活しているひとびとを「支配」することはできる。しかし、漢字かなまじり文による平等や民主主義というものは、実現でき

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  • ただしい理念と 現場のジレンマ。 - hituziのブログじゃがー

    きょうは ある専門家の おはなしを ききました。おわったあとに、おはなしすることにした。 わかってくださると信じて、対面して なやみを うちあけた。ほとんど すべて、わたしが期待したとおりのことを おっしゃってくださった。ただひとつ、わたしが気づいていなかった点を つかれた。はなしを はじめて すぐに、つっこまれた。状況を はなすと 理解してくださったが、けれども、おっしゃった点は、わたしも じゅうぶん意識してきたつもりだった。けれども、わすれてしまっていた。 どこかに、おもいが通じる ひとが いるということは、ほんとうに ありがたいことだ。うちあければ、すっと こちらの事情やジレンマを くみとりつつ、けれども、ただしい理念を かたってくださる。ほっとする。 ふみこむ。それは こわいこと。でも、 - hituziのブログじゃがー ただしいことって おそろしいものです。それが自分が きめたも

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    hituzinosanpo 2008/12/04
    "なぜって、わたしは よわいからです。"
  • 障害認識を 革命すれば「障害者」の表記など 問題ではない。 - hituziのブログじゃがー

    「障害認識の パラダイムを 転換すれば「障害者」の表記など 問題ではない」と表現しても いいです。 差別のマッチポンプ - E.L.H. Electric Lover Hinagiku うえの記事に 宿題を いただいていたのですが、ずっと反応できずに いました。うえの記事でid:y_arimさんは「障害者」や「障がい者」という表記の問題点を 指摘し、「障碍者」と表記することを 提案されています。 わたしは8月26日に、うえの記事に つぎのようにコメントしました。 「しょーがいしゃ」という ことばは、さまざまな たちばにある ひとが、つかっていますよね。名ざす側も、名ざされる側も。 名ざす側の倫理として議論するのも いいのですが、名ざす/名ざされるという関係を こえて、「名のる」ことばでも ありますよね。自称としてね。 どのように表記するにせよ、音にすれば全部「しょーがいしゃ」です。不具者な

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  • 『社会言語学』8号 - hituziのブログじゃがー

    わたしが 参加している「社会言語学」刊行会から『社会言語学』8号が でました。3000円です。abe.yasusi@gmail.comまで どしどし ご注文ください。よろしく おねがいします。1号を のぞいて、バックナンバー(既刊号)も ございます。あわせて ご注文くださればと おもいます。 それでは、かんたんに紹介します。 仲潔(なか・きよし)「言語観教育序論―ことばのユニバーサルデザインへの架け橋」 なか論文は、『社会言語学』6号の 古賀文子(こが・あやこ)「「ことばのユニバーサルデザイン」序説―知的障害児・者をとりまく言語的諸問題の様相から」と、あべ・やすし「識字のユニバーサルデザインにむけて」の問題意識を ひきつぎ、英語教育という空間で、なにができるかを 論じたもの。「ことばが障壁となってひとびとの情報へのアクセスをさまたげる要因となっているのであれば、それを最大限に軽減すべきであ

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    hituzinosanpo 2008/12/03
    どしどし ご注文ください。よろしく おねがいします。
  • ひらがな あなーきずむに よーこそ。 - hituziのブログじゃがー

    大学生のころ、テレビを よく みていた。よるは、いつも「ニュース23(ツースリー)」を みていた。筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが なくなった。ちくしさんは、23や『週刊金曜日』で漢字について保守的な態度を とっていて、しばしば わたしは いやーな気分にさせられた。 漢字だいすきな サヨクなんて いらないのですよ。社会的障害である漢字を たいせつに おもうっていうのは、車イスで 利用できない公共機関を たいせつに感じるのと おんなじことですからね。「おれは 漢字が すきなんだ」で議論を おわらせようという ひとが いますが、アクセス権の問題ですよ。いかに共存するのかっていう問題ですよ。 漢字が 排除するもの - hituziのブログじゃがー うえの記事を よんで、「でも、少数派のなかにも 漢字が すきな ひとが いる」「漢字が 有効な ひとたちも いる」ということを いう ひとが いらっし

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    hituzinosanpo 2008/11/29
    漢字サヨクの みなさん、ひらがな あなーきすとに 転向しましょー。/「識字のユニバーサルデザインにむけて―表記改革と文字情報サービスをめぐって」を ぜひ よんでください。
  • 漢字という不安。 - hituziのブログじゃがー

    だれもが 漢字という不安を 感じている。まちがったりしないか。わすれてしまうのではないか。その不安を、だれかを わらうことで解消することはできない。 たとえ だれかを わらっても、うちけせない不安に 苦笑しつづけることに なるのだ。「漢字」という キョーハクから 解放されよう。まず、それからだ。 漢字を よみまちがえた、かきまちがえた。そんなことで、だれかを わらうのは、もう やめましょう。まちがえたのが たとえ、権力者であっても。 だれかの まちがいを わらうのであれば、あなたは すでに権力だ。 漢字の知識で ひとを わらうのであれば、あなたは すでに権力の一部だ。 あべ・やすし「漢字という障害」『ことば/権力/差別』三元社、131-163ページ。 文字のよみかきを学習するなかで、漢字にとくに愛着を感じなかったひとであれば、だれしも漢字という困難を経験してきたはずである。そして、なんらか

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    hituzinosanpo 2008/11/24
    じっくり かんがえてみたい。その つゆはらいです。
  • 「漢字の筆順をめぐって―学校教育を批判する」 - hituziのブログじゃがー

    部首って、なあに。 - hituziのブログじゃがー うえの記事は、おまけ程度のものでしたが、おゆるしください。つぎのような文章を サイトにのせましたので、ご紹介します。 漢字の筆順をめぐって―学校教育を批判する 世間は 3連休らしいのに 土曜日しか やすみじゃない わたくしから、みなさんへ 週末のプレゼントです。にゃは。 うえの文章でも紹介しましたが、つぎのドキュメンタリーが ひじょうに すばらしいので、ぜひ ごらんください。 長野県 梓川(あずさがわ)高等学校 放送部 2007 「漢字テストのふしぎ」『第29回東京ビデオフェスティバル』

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    hituzinosanpo 2008/11/23
    「漢字テストのふしぎ」を ぜひ みてくださいねー。
  • 部首って、なあに。 - hituziのブログじゃがー

    わたしは「正しい」という ことばに 敏感なのです。社会言語学の名著に『「正しさ」への問い―批判的社会言語学の試み』三元社というものが ありますが、まさに! それが社会言語学の使命だよ!と おもってしまいます。 ほかにも、たとえば安田敏朗(やすだ・としあき)さんの『辞書の政治学―ことばの規範とはなにか』平凡社とか、ジェームズ・ミルロイ/レズリー・ミルロイ『ことばの権力―規範主義と標準語についての研究』南雲堂なども、だいすきなです。 うえのような社会言語学的研究は、漢字についても適用することが できます。たとえば、野村雅昭(のむら・まさあき)さんの『漢字の未来 新版』三元社などを よむと、いかに漢字の「正しさ」が ゆれているか、それが あやふやなものかを うかがいしることが できます。 ここでは、部首についての議論を、かんたんに みてみたいと おもいます。ご紹介するのは、円満字二郎(えんまん

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    hituzinosanpo 2008/11/22
    うまく まとまらなかった記事を カモノハシで ごまかしたって いわないでよね!(笑)。
  • 独裁の規範を こえて。 - hituziのブログじゃがー

    規範は ふたつに分類できると おもいます。ひとつは、できあいの規範。もうひとつは、つくられつつある規範。 いいかえると、独裁の規範と、民主主義的な規範。 独裁の規範は、日常的ファシズムによって、社会の すみずみまで いきとどいています。そして、そのイデオロギーを ささえる御用学者が 存在します。独裁は、いつも偽装工作をします。独裁の規範は、もっともらしく ふるまいつつも、詳細な研究によって かんたんに くつがえされる しろものです。 独裁の規範は、完成されたものだと おもわれています。 それにたいして 民主主義的な規範は、ゆれうごき、ぶつかりあいながらも、ひびきあうものです。ひとの数だけ規範があるという視点に たち、それぞれの関係性のなかで おりあいをつけたり つけなかったりしながら、かたちを かえていくのが民主主義的な規範です。民主主義的な規範は、完成形ではなく、つくられつつあるものです

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    hituzinosanpo 2008/11/19
    むかし かいた記事。優生思想について かんがえるときにも有効な議論ではないかと。
  • ヤマダカント「ありがたられ効果」 - hituziのブログじゃがー

    「ありがたい」ということ。 - hituziのブログじゃがー うえの記事は、あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー の 続編として かいたものですが、ひとつ理論的 背景が あります。それは、「ありがたい」ということ。の いちばん 最後に 紹介した つぎの文章です。 ヤマダカント「大言語話者による小言語学習/ 教育/研究の陥穽―「ありがたがられ効果」という用語の提案」『社会言語学』1号(追記:PDFが公開された) 一部 引用してみます。 大言語話者が小言語を使用すると、小言語話者集団から意外な行為と受け取られたり、「こんな小言語をわざわざ学んでくれるなんて奇特な人だ」思われたりすることが、少なくともその逆の言語使用と比べると非常に頻繁に起こる。こうした反応の存在は、大言語話者による小言語学習をより一層、快適なものにする。(102ページ) この

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  • 緒方正人(おがた・まさと)『チッソは私であった』 - hituziのブログじゃがー

    緒方正人(おがた・まさと)『チッソは私であった』葦書房(あし しょぼう) ひとことで いえば、おそろしいです。すばらしすぎるという表現が ゆるされるならば、最大限の ほめことばとして、さしだしたい おもいが します。 言葉にすればたったの三文字の水俣病(みなまたびょう)に、人は恐れおののき、逃げ隠れし、狂わされて引き裂かれ、底知れぬ深い人間苦を味わうことになった。そこには、加害者と被害者のみならず、「人間とその社会総体の質があますところなく暴露された」と考えている。つまり「人間とは何か」という存在の根、その意味を問いとして突きつけてきたのである。 私自身、その問いに打ちのめされて85年に狂ったのである。それは、「責任主体としての人間が、チッソにも政治、行政、社会のどこにもない」ということであった。そこにあったのは、システムとしてのチッソ、政治行政、社会にすぎなかった。 それは更に転じ

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    hituzinosanpo 2008/11/17
    じっくり よみなおしたい。
  • 「毎日 うんこ」ですって? - hituziのブログじゃがー

    わたしは うんこと なかよくやってます。たくさんの うんこ。いろんな うんこ。ひとは たべたら、うんこが でます。 黙って他人のうんこの臭いを嗅ぐのも重労働 - いちヘルパーの小規模な日常 ケア労働について ブログを かかれておられる id:sugitasyunsukeさんの記事です。 青い芝の有名な言葉に「寝たっきりの重症者がオムツを変えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働としてみられるべきなのです」というのがあるけど、介助者にとっては時に「黙って他人のうんこの臭いを嗅ぐのも重労働」かもしれないのだ。そういうことを、すこし、思い出してみるのもいい。 そうですねー。わたしなどは、はなづまりなので、だいぶん 得を しているのかもしれません。うんこのケアは、けっこう たのしいです。 はなづまりって、基的に 睡眠が あさくなって、昼間に ねむたくなることが あっ

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    hituzinosanpo 2008/11/17
    かなり だいじなことですよ、これは。ふざけるな 排便教育!!!
  • 「ありがたい」ということ。 - hituziのブログじゃがー

    きょうは、ふたつの「ありがたさ」について。 集団主義をこえて、世界をいきる - hituziのブログじゃがー うえの記事で、定住朝鮮人の かたの つぎのような ご発言を 紹介しました。 韓国に いって同胞(在日)だと いうと、なんだ ことばも しゃべれないのかと非難される。 最近は学習して、日人だと いうことにしている。そしたら、ウリマル(われわれのことば)が わかるのかいと、よろこんでもらえる。 これは、これまで 何度となく くりかえし指摘されてきたことです。たとえば、日人が 韓国に いって 「いきなり日語」を はなすことはあっても、その逆はない。 日人が 朝鮮語を まなんで感謝されることはあっても、その逆は すくない。 夫が 家事を てつだうことで 感謝されることはあっても、が 家事を することは当然であると おもわれている。感謝されるのは、いつも、「ほとんどしない」 ひとた

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    hituzinosanpo 2008/11/15
    当直あけの スーパーテンション。/「ありがたい」の社会的 意味について。
  • ことばの平等を めざして。 - hituziのブログじゃがー

    あのー、韓国でも 2003年に『韓国語が なくなるとしたら』ってが。 - hituziのブログじゃがー 問題を 解決するのは、「なにか」が 幻想であると指摘することでは ない。なんであれ、それが 幻想だと指摘し、固定観念を ひっくりかえすことは、ほんのスタートラインに すぎないのであって、たいせつなのは そのあとの議論である。 「日語」の 名のもとに、なにが おこなわれているのかという、社会の現実に 問題があるのだ。たくさんの ことばたちを たばねて、「ひとつの言語」に まとめあげてしまうもの。それが 言語を 支配するということだ。言語支配とは、たくさんの ことばたちを 一定の ワクに おさめようとすることだ(規範を 支配する)。そして、たくさんの ことばたちの 平等を みとめず、「ひとつの ことば」に 特権を あたえ、コミュニケーションを 支配することである(言語権を 独占する)。

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    hituzinosanpo 2008/11/11
    とりいそぎ。しっくりこなかった 部分について。
  • あのー、韓国でも 2003年に『韓国語が なくなるとしたら』って本が。 - hituziのブログじゃがー

    シ・ヂョンゴンほか 2003 『韓国語が なくなるとしたら―2023年、英語植民地 大韓民国を いく』ハンギョレ新聞社。 写真に うつっているのは 友人の やすえさんです。手に『韓国語が なくなるとしたら』というを もっています。韓国に いくたびに、たくさん を かってくるそうです。うわさによると、やすえさんは 屋の まわしもんだそうです。 ユン・ヂグァン 編 2007 『英語、わが心の植民主義』タンデ。 っていうを このまえ かわずに かえってきたことを ちょっぴり後悔しているそうです。 キム・ヨンミョン『わたしは告発する』ハンギョレ新聞社。 っても あるそうです。英語事大主義を 批判するですってね。 『もし、あなたなら』(輝国山人(てるくにさんじん)の韓国映画 もし,あなたなら 〜6つの視線) これは日でも みれる映画ですね。ふたつ 言語問題を あつかってますよね。 それ

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    hituzinosanpo 2008/11/11
    なにを ねらっているのでしょうか。あはははははははは。/ たいせつなことは「ことばの平等を めざして。」に かきました。よろしくー。http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081111/1226390288
  • ならを あるいて。 - hituziのブログじゃがー

    ひとりで あるいたり、ふたりで あるいたり。たくさんで あるいたり。 いちにちめ。ならを あんない していただきました。 ラディカルウォーキング・ツアー!@なら - はにかみ草 なまえが ついている(笑)。 ならまち文庫 古書喫茶「ちちろ」 すてきな 古喫茶に いざなわれ、あーら びっくり、これは また。おみせの ひとは『殯(もがり)の森』という映画に でていた かたでは ありませんか。宇多滋樹(うだ・しげき)さん。ならを 舞台にした映画でしたのね。しりませんでしたわ。認知症の ひとと 介護者の交流を えがいた 映画でございます。しずかだけれども、いい映画です。 古喫茶なので、が ありました。あら。 守口(もりぐち)夜間中学『不思議な力 夜間中学』編集委員会『不思議な力 夜間中学』 「識字」に関する日韓共同セミナー実行委員会 編『奪い返した文字とコトバが、新たな世界を創造する―日韓識

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    hituzinosanpo 2008/11/10
    さんぽの はなし、なのか?(笑)。
  • 映画『クラッシュ』(主役も わき役も いない)。 - hituziのブログじゃがー

    アメリカのロサンジェルスを 舞台にした映画です。人種差別を テーマにしています。ぶつかりあうことで、うちとけていくという ものがたりです。なにが すばらしいって、エンドロールの「出演者の配列」です。ほとんど すべての映画では、主役から順番に 出演者の なまえを ならべています。ですが、『クラッシュ』では ABC順で ならべているのです! それは、まるで『クラッシュ』には 主役も わき役も いないんだ。それぞれに ドラマが あるんだ。それぞれに、それぞれなりの 生活が あるんだ。そんなふうに、さりげなく、そして つよく うったえているような 気がしたのです。あっぱれなもんだと よろこんでしまいました。こういうの、すきですね。 さて。 それにしても、わたしが いま こうして「人種差別」という表現を 安易に つかってしまうことに、人種を めぐる問題の ねぶかさを 感じます。属性差別(ぞくせい さ

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    hituzinosanpo 2008/11/06
    "であえないのに、どうして ぶつかりあうことが できるでしょうか。" / てゆーか、かきたかったこと かけてなあああい。追記するかも。
  • オーウェル「復讐の味は苦い」(死刑について)。 - hituziのブログじゃがー

    オーウェルの評論集が 平凡社ライブラリーに あります。いまは うりきれの状態です。古で さがすしか ありませんが、ともかく『水晶の精神 オーウェル評論集2』は いいだと おもいます。 7ページほどのエッセイの「復讐の味は苦い」を よみなおしてみました。1945年の文章です。 ドイツ系の、あるいはオーストリア系のユダヤ人がナチスに怒りを向けるのを、非難するのは馬鹿げている。今のこのユダヤ人にしても、いくら腹いせしても飽き足りないほどひどい目にあわされたのかもしれない。彼の家族が皆殺しにされたということも大いにありうる。結局のところ、気ままに捕虜をひとつ蹴とばすというのは、ヒトラー体制が犯した暴虐に比べれば実に些細なことである。にもかかわらず、この情景を含めてドイツでのさまざまな見聞から私が痛感したのは、復讐や懲罰という観念はまったくたわいない白日夢だということだった。そもそも復讐などとい

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    hituzinosanpo 2008/11/05
    "「だれを 死刑に するか、しないか」ではなくて、「死刑制度を みとめるかどうか」"
  • あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー

    わたしは、知的障害者の施設で しごとを しています。きのうは当直でした。2時間くらいは ねむりました。けれども、ずっとずっと かんがえごとを していました。決着が ついたのか。結論は でたのか。なにも わかりません。 わたしは ゴフマンの『アサイラム』を まだ よんでいません。ゴフマンは、精神病院を フィールドワークしました。そして、「トータル・インスティテューション(全制的施設)」という用語を 提示しています。 山田富秋(やまだ・とみあき)「障害学から見た精神障害―精神障害の社会学」『障害学への招待』285-311ページ。 ここでは、うえの論文を 参照します。まず、『アサイラム』というについて。 社会学者ゴッフマンの先駆的研究である『アサイラム』は、1950年代の終わりにアメリカの大規模精神病院を一年間にわたって参与観察した調査結果をもとに、精神病院も含めた「全制的施設(トータル・イン

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    hituzinosanpo 2008/11/05
    わたしには、わらうか なくか しかできない。これからも、ずっと そうだと おもいます。
  • 「非健常者として、健常を問う」 - hituziのブログじゃがー

    こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがー うえの記事で、ハン・チェユン 2003 「ある非異性愛者、異性愛を問う」『当代批評』夏号(22号)、352-365(朝鮮語)という文章を 紹介しました。 そこで 紹介したように、ハンさんの文章は、障害を めぐる問題を かんがえるときにも、とても参考になるものです。たとえば、この「ある非異性愛者、異性愛を問う」題名を まねて表現するなら、「非健常者として、健常を問う」と いうことができます。もちろん、それを いうことができるのは、「あなたは健常ではない」と名ざされてきた ひとです。 とわれる たちばに おかれるのは、もちろん、「自分の からだが 空気のように 感じられる」 ひとたちです。だれしも、サイズの あわない クツを はいていれば、「自分の からだが 空気のように 感じられる」ことは ありません。あるきに

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    hituzinosanpo 2008/10/31
    障害学に さそう。つづく。