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考え方に関するhomer_wellsのブックマーク (176)

  • 父親のかなしみ - 内田樹の研究室

    小学館の取材で「家族」についてお話しをする。 もう何度も書いていることだが、親族制度というのは言語や経済活動と同じだけ古く、それを営むことができるという事実が人間の人間性を基礎づけている。 と書くと「ああ、そうですか」と退屈そうなリアクションをする人がいそうだが、人間とサルを分岐するのがその点であるということは、見方を逆にすれば「およそ人間であれば、誰でもできる」ということを意味している。 そこのところを当今の家族論は見落としているのではないか。 家族について論じている言説に触れて、つねに感じることは「そんなむずかしいことが『ふつうの人間』にできるわけないでしょ」ということである。 かつて「アダルト・チルドレン」という言葉がはやったことがあった(死語になってくれたようでうれしい)。 機能不全な家族で育った子どもがその後社会的能力が劣化する現象をいうのだが、そのとき列挙されていた機能不全家族

  • 多数決はなぜ「正しい」のか : 404 Blog Not Found

    2010年05月14日23:30 カテゴリPsychoengineering書評/画評/品評 多数決はなぜ「正しい」のか 以下は全くもっておっしゃるとおり。 詭弁-△△の支持者の方が多いから、△△が正しい(多数論証) 多数論証は次の形式をしています。 前提1.Aの支持者は多数派だ。 前提2.多数派は常に正しい。 1と2ゆえ.Aは正しい。...(結論) これの前提2は誤りです。「多数派」は「正しい」の意味を含んではいません。 にも関わらず、なぜ多数決がこれほど多用されるのか。 多数決で「負ける」ことが多い私も考えてみた。 結論から言うと、こうなる。 我々が正誤を損得と結びつけずにはいられないからだ。 あるいは「罪を憎んで人を憎まず」が出来ないからだ。 論理病をなおす! 香西秀信 結果として結論が正しかった場合、結論をどう導きだしたかは実はどうでもいい。多数決だろうが賽の目だろうが、はたまたき

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  • IDEA * IDEA

    ドットインストール代表のライフハックブログ

    IDEA * IDEA
  • 「大反論」に反論(じゃないけど)(内田樹の研究室)

    週刊ポストの中吊り広告を見て、びっくりした話は昨日ツイッターに書いた。 「上野千鶴子に内田樹が大反論!」というアオリの効いたタイトルがつけてあるけれども、もちろんこれはポスト編集部の客寄せ「羊頭狗肉」タイトルであって、中身は「大反論」などいうほど気合いの入っていない「いつもの話」である。 その中の上野「おひとりさま」論に直接言及した箇所は以下の通り。 『おひとりさまの老後』には強い違和感を持ちました。あのの核心は「家族が嫌い」ということをカミングアウトした部分でしょう。「家族に何の愛情も感じてないから、世話になる気もないし、世話をする気もない」と考えている人が現に大量に存在している。でも、その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことがひろく共感を呼んだのだと思います。でも、ぼくはそれは「それを言っちゃあ、おしまいだよ」という言葉だったと思います。 「ひとりで生きる」ことが可能だ

  • ソーシャルメディア - Wikipedia

    ソーシャルメディア(英語: social media)とは、誰もが参加できる広範的な情報発信技術を用いて、社会的相互性を通じて広がっていくように設計されたメディアである。双方向のコミュニケーションができることが特徴である。しばしば、ティム・オライリーによって提唱されたWeb 2.0の概念を具現化した一つの形として考えられる[1]。 個人と個人、個人と組織、組織と組織の間の情報発信が、ウェブサイトを経由することによってそれ自体が意味を持つコミュニティとなり、実社会に広く拡散されるようになった。影響力を持ち始めたメディアは、YouTubeやTwitter、Facebookなどのプラットフォームによって、個人間の情報発信が可視化されやすくなったことにより、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のネットワーク的な概念を超えて、新たなメディアとして浸透しつつある。 ソーシャルメディアは、イ

  • 自分を変えたいときに、まずやるべきこと - My Life After MIT Sloan

    一部の人は意外に思うかもしれないが、私は自分が当にダメな人間だと思うことがしばしばあり、 よく、自分を変えよう、と努力している。 しかし、意志が弱いため、うまく行かないことがたびたびある。 そんななか、昨日Twitterで@ohmaebot (大前研一の言葉を流している)から、なるほどと思う言葉が流れていた。 人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。 全くその通りだと思ったので、自分のメモがてら解説。 1. 時間配分を変える 自分を変えようと思ったとき、単に「これからは○○しよう」と思っても、ほとんどの場合意味がない。 ちゃんと自分の生活の中で、○○するための時間をちゃんと確保しないとダメだ。 例えば「これからはちゃんと運動しよう」と

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ギャップ・イヤー

    東京の某所のカフェで、仕事をしていた。たくさんやらなくてはならないことがあって、ちょっとあせっていた。 ふと顔を上げると、ヨーロッパから来たらしい青年が、前のテーブルに座っていた。バックパックを背負い、真剣な顔をしてを読んでいる。そのが、Roger PenroseのEmperor's New Mindだったので、思わずはっとした。 ちょっと背伸びをするふりをして、テーブルを立って、滅多にそんなことはしないのだけれども、声をかけてみた。 「こんにちは、失礼ですが。ペンローズを読んでいるんですね?」 「ああ、はい。」 「学生さんですか?」 「いや、そうではありません?」 「旅行中?」 「はい。去年、大学を卒業ました。」 「どこの大学を出たのですか?」 「ケンブリッジ大学です。」 「ああ、ぼくもケンブリッジに留学していました! 何を専攻していたんですか?」 「物理学です。」 「じゃあ、ぼくと

  • 中国のない世界 : 404 Blog Not Found

    2010年03月25日12:00 カテゴリNews 中国のない世界 問題は、なぜGoogle中国からたたき出されたか、ではない。 グーグルのない世界 (内田樹の研究室) 中国政府の検閲の停止を求める交渉が決裂して、グーグル中国から撤退することになった。 中国が、なぜ一歩も譲らなかったか、だ。 それを理解するには、中南海からの視点が必要なのだが、その視点を持とうとする先進国の「識者」が見当たらないので、能力の決定的な不足を承知しつつ私がそのまねごとをしてみることにする。 想像してみよう。たった今国境というものがなくなった世界を。 そこは John Lennon が Imagine で歌った世界では残念ながらない。チャンスを求めて都市に押し寄せてくる途上国の人々を追い返す国境がなくなった世界だ。都市にすむあなたならこの事態をどうするか。自由の名の下に彼らが来るにまかせるか。それとも何らかの

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  • グーグルの存在する世界にて - 内田樹の研究室

    木曜日、学士会館で目覚めて、ぼんやり窓の外を見ながら朝ごはん。 「学士会館朝ごはん、なう。」と Tweet すると、見知らぬ読者から「いま白山通りを歩いています」という reply が入る。 不思議なガジェットだなあ。 mixiとも携帯メールとも、機能がどこか根的に違うような気がする。 「ダイレクトメッセージ」ではなく、「宛名のないつぶやき」に反応する人がいるということが「広大な共生感」(@大江健三郎)をもたらすのであろうか。 よくわかんないけど、とりあえずは「精神衛生上よい」機能を果たしていることは間違いない。 だから、Twitter では「反論」とか「事実誤認の指摘」とかは遠慮してほしいですね。 「グーグル問題」について、いろいろ意見を訊かれる。 私の基的態度は「テクノロジーの進化は止められない」というものである。 とくにグーグルのビジネスモデルは「利用者はサービスに課金されない」

  • 出口なし - 内田樹の研究室

    『日辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党部のすでに知るところであろうから、「ウチダは代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ

    homer_wells
    homer_wells 2010/02/28
    知は一つの精神がおのれの外部にある別の精神に触れるのに使用しうる唯一の手段である
  • 相対的貧困は解決できるか - 内田樹の研究室

    晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)というの背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して

  • ずるいとunfairの違い - 書評 - ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか : 404 Blog Not Found

    2009年12月25日21:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 ずるいとunfairの違い - 書評 - ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか ディスカヴァーより献御礼。 ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか 青木高夫 今年もあと余すところ一週間。仕事納めは28日のところが多いようだが、一日だけ出社するならいっそと事実上今日が今年の最終勤務日という人も少なくないのではないだろうか。ちなみに我が娘たちは日が終業式。 そして来年始業式を迎える前に、必ず読んでおいて欲しいのが書だ。来年、いや次の10年こそは「新たなルール」から逃れようのない(1|10)年になるのだから。 書「ずるい!?なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」は、ルールとは何のためにあるのかを説いた一冊。 目次 - Discover: ショッピングカートより 目次 第1章 なぜ私たちはル

    ずるいとunfairの違い - 書評 - ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか : 404 Blog Not Found
  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

  • 学歴インフレへの処方箋 井上晃宏

    学歴社会 新しい文明病」(R.P.ドーア) いささか古いだが、著者はまだ健在だ。 ドーアは「学歴インフレ」という病が世界中で蔓延していると書く。 最初は初等学校卒だけで十分に威信の高い職業に就けたのに、教育が整備されるにしたがって、初等学校卒だけでは差別化できなくなる。このため、社会上層部への移動を目指す人々は、中等学校に進学するようになる。同じことが、高等学校、大学でも繰り返される。 学校定員を増やさないことは政治的に困難であるが、財政的な制約がある。また、野放図に高等教育を整備すれば、教育の効率低下を招く。農夫に細菌学はいらない。何らかの方法で、「高等教育が必要な人」を選抜しなくてはならない。 学力試験、知能テスト、くじ引きなど、さまざまな方法を比較検討した上で、ドーアは、どれも一長一短があるという。 ドーアの提案する選抜方法は、「職場における選抜」だ。義務教育終了時点で、全員をい

    学歴インフレへの処方箋 井上晃宏
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 五十年分の空虚と毒虫飼育

  • 鳥取で核について考える - 内田樹の研究室

    水曜日はオフだけれど、毎週講演が入っている。 日は鳥取西高校。 高校生相手の講演が二週続く。 三ノ宮(JRの駅名は「ノ」が入る)から「スーパーはくと3号」で鳥取へ向かう。 「はくと」って何の意味だろうと考える。 ぜんぜん思いつかない。 みどりの窓口でもつい「スーパー北斗」と言いそうになる。 あとで調べたら「白兎」であった。 帰り道に半睡状態でいるときに、「大黒さまが来かかると・・・」というメロディが頭の中を流れて、「どうしてこんな曲が?」と思ったら、駅に着く度に「因幡の白兎」のメロディーが車中に流されていたのである。 「スーパーしろうさぎ3号」でいいじゃないか。 なんで、「はくと」なんだよお。 その「はくと3号」の行きの車中でメールをチェックしていたら、日経から「原稿まだですか」という督促メールが来ている。 げ。 月曜締め切りの書評の原稿を忘れていた。 月曜火曜と『日の論点』と司馬遼太

  • AO 入試が始まった - 内田樹の研究室

    AO入試の第一次選考。 これから3月半ばの後期試験の判定教授会まで、半年にわたる長い入試シーズンが始まる。 入試部長として、この入試業務の全体を統括しなければならない。 もちろん実務は入学センターの職員がやってくれるので、決定したことについて(とくに失敗したことについて)責任を取るのが私の仕事である。 立場上責任を取ったり謝ったりすることはさっぱり気にならない。 世の中には、「立場上」であれ、責任をとることを好まぬ人もおられるけれど、「立場上」というのは要するに「命までは取らない」ということである。 そういう機会に「取れるものは取っておく」というのはずいぶんと大事なことである。 予定納税のようなものである。 そのうち「どかん」と来るかもしれないものを小出しに払っておくと後で助かる。 私が「わりとどうでもいい局面」ですぐに謝るのは、「絶対譲れない局面」で絶対謝らないための「貯金」をしているの

    homer_wells
    homer_wells 2009/09/29
    「私が「わりとどうでもいい局面」ですぐに謝るのは、「絶対譲れない局面」で絶対謝らないための「貯金」をしているのである。」
  • 新学期がそろそろ始まる (内田樹の研究室)

    三宅接骨院で治療。 週一ペースで三宅先生に身体のメンテナンスをしていただいている。 少し前に右の背中が痛かったのだけれど(体調が悪くなると、必ずここが痛み出す)、歪みをなおしてもらったら右膝と右背中の痛みが消えた。 『Sportiva』の取材で御影の高杉で刈部さんインタビューを受ける。 お題はイチロー。 先日、9年連続200安打の記録を立てた偉大なベースボールプレイヤーであるが、記録に言及されることをあまり喜ばないのはどういうわけか。 それは彼の卓越したパフォーマンスを数値的にしか表示しようとしない日のスポーツメディアの能力の低さにうんざりしているからではないかという話をする。 アスリートのパフォーマンスを数値でしか語れないというのは、現代日を覆い尽くしている「幼児化」の端的な徴候である。 スポーツメディアが書くのは「数字」と「どろどろ人間模様」だけである。 アスリートについて書かれ

    homer_wells
    homer_wells 2009/09/19
    「99%の人間は、そのラインをみつけると、そこに居着く。 1%(もっと少ないかも知れない)の人だけが、それを超える。」
  • ウェブと書籍とコピーライト - 内田樹の研究室

    ひさしぶりに(ほんとうにひさしぶりに)日曜の午後にぶらりと能を見に行く。 長田の上田能楽堂で神戸観世会。 能は『東方朔』と『花筐』。仕舞で下川先生の『山姥』と家元の『井筒』を見ているうちになんだか、急に稽古がしたくなる。 家に戻って、『考える人』のアンケートに回答。 「インターネットと出版と著作権」について。 いつものようなことを書いて送る。 質問のうちに、これまで考えたことのなかったことがあった。 ひとつは「読む媒体」としてネットは使えるかという問い。 私の答えは以下の如くである。 「個人的な趣味で言えば、小説や哲学書を電車の中でモバイルで読む気にはなりません。どうしてなのかはわかりません。何となくです。文庫の形をしていて、縦書きで読める読書専用モバイルができたら、とりあえず買うとは思いますけれど。」 新聞は将来消えるのではないかという見通しについて。 「ウェブと新聞の一番の違いは、新

  • 夏の終わりに - 内田樹の研究室

    毎日締め切りに追われている。 『日辺境論』の締め切りまであと3日だが、明日は稽古、明後日は歌仙会で終日ふさがっているので、書けるのは実質今日一日しかない。 でも、今日締め切りの『プレジデント』の書評があるので、それをまず書かなければいけない。 毎日のように講演依頼と取材依頼と寄稿依頼が来る。手紙で来て、ファックスで来て、メールで来て、電話で来て、人が来る。 もちろん片端から断っているのだが、それでも断り切れないものが澱のように堆積して、気がつくとスケジュール表は醜く汚れている。 結果的にひとつひとつの仕事の質は劣化するばかりで、こんな手抜き仕事ばかりしていれば、遠からず私に対する業界的評価は地に落ちるであろう。 それで仕事の依頼が減るのは大歓迎なのであるが、が売れなくなると退職後のたずきの道が立ちゆかぬ。 仕事は減らしたいが、は売りたい。 「痩せたい、でも、べたい」という二律背反