タグ

ブックマーク / inri.client.jp (5)

  • 元ソ連外交官が語る「ロシア−ユダヤ闘争史」の全貌|「ヘブライの館 2」(THE HEXAGON)

    ■■第1章:ロシア vs ハザール王国 ■ロシア人はハザール王国と戦った 6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(英語で「Khazar」、カザールともいう)王国を形成するハザール人である。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。 6世紀から8世紀にかけて、ハザール人はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されていたという。 8世紀に入り、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール人は、王から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールはユダヤ国家になった(799~809年頃)

  • 東欧ユダヤ人のルーツを探る ~定説となっている「出ドイツ仮説」の検証~

    ■■序章:はじめに ●現在、世界に存在するユダヤ人の90%以上はアシュケナジー系ユダヤ人と呼ばれ、オリエントやアラブ出身のスファラディ系ユダヤ人とは区別されている。 ※ アシュケナジー(アシュケナージともいう)の複数形は「アシュケナジム」で、スファラディの複数形は「スファラディム」である。 ●一般にアシュケナジー系ユダヤ人のルーツについて“定説”とされてきたのは、西欧のユダヤ人が東部へ向かって流れ出して、ドイツ・ラインラントから東部へ移住したというものであった。 いわゆる「出ドイツ仮説」と呼ばれるもので、東欧のユダヤ人の祖先は西ヨーロッパ、特にドイツからの移住民であったと信じられてきたのである。 ●しかしこの伝統的「出ドイツ仮説」は、ラインラントのコミュニティーの規模の小ささ、ラインの谷間から出て行くほどの積極性のなさ、逆境下でのあまりにも紋切り型な対応の仕方、そして、当時の年代記などにそ

    hotsuma
    hotsuma 2008/01/19
    "精神分析学者フロイトの患者アンナ・O(本名ベルタ・パッペンハイム)は、ユダヤ女性解放運動の草分けとして知られる。"
  • 「ハザール問題」に関する注意事項

    ●長い間、謎とされてきた「ハザール王国」──。 しかし、学術的な分野での研究は着実に進んでおり、様々な実態が明らかにされ続けている。今後、ますます「ハザール王国」を研究する学者や研究機関は増え、「ハザール王国」の実態はさらに解明されていくだろう。一般人の間でも「ハザール王国」の知名度は急速に高まっていくだろう。 こうした傾向は歓迎すべきことだが、ある問題に関して懸念していることがある。 それについて、簡単にまとめてみたい。 「ハザール王国」は7世紀にハザール人によって カスピ海から黒海沿岸にかけて築かれた巨大国家である。 9世紀初めにユダヤ教に改宗して、世界史上、類を見ない ユダヤ人以外のユダヤ教国家となった。 ●祖国を失ったハザール人は、“ユダヤ人”として生きることになった。もちろん、中にはオリジナル・ユダヤ人と混血した人もいるだろう。ハザール王国時代、地中海やオリエント出自のユダヤ人(

  • ユダヤ問題特集 ver.2.0

    <ユダヤ問題特集 第1章> はじめに (最初に読んでね) ●「ユダヤ問題」という言葉を耳にして、皆さんは真っ先に何をイメージするでしょうか? 「ゴルゴタの丘」でしょうか? 「ヴェニスの商人」でしょうか? 「アウシュヴィッツ」でしょうか? 「パレスチナ紛争」でしょうか? ●いずれにせよ多くの方が「ユダヤ問題」を口にすることも考えることも、忌み嫌っているような気がします。ユダヤ問題は、あたかも触れるとヤケドするかのような様相を帯びているかのように受け止められているようです。そのため、ユダヤ問題を考えるとき、議論が当たり触りのない常識論派と、極端な感情論派(陰謀主義系)に二極化される傾向にあるといえます。 ●常にニュースに流れる中東問題は、ユダヤ問題の根幹を探っていかないと、正しく理解できないと思います。単なる民族争いだと思ってしまっては、賢明な解決策を打ち出せないでしょう。ユダヤ問題の根幹には

  • スファラディ系とアシュケナジー系の2つの異なるユダヤ人の実態 ~複雑なイスラエル国内の現実~

    ■■第1章:スファラディ系ユダヤ人とアシュケナジー系ユダヤ人の格差 ●1967年の6日戦争(第三次中東戦争)後の経済的繁栄と資主義的発展にともなって、イスラエルでは急激な社会的変化が表面化した。二代目、三代目の若者達が、清教徒的態度で国造りに励んできた初代開拓者たちにとって想像を絶したラディカルな造反を起こしたのである。 シオニズムによって建てられたイスラエルの指導者階級は、ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)とその子孫である。これに対し中東と北アフリカのアラブ諸国から難民として流入してきたユダヤ人(スファラディム)は、イスラエル社会の底辺を形成する。建国直後は全員貧しかったため問題はなかったが、イスラエルが経済的成長を遂げると両者間のギャップは社会的差別となって表面化した。 ●この「スファラディム」とは、ヘブライ語で「スペイン」の意味。来はイベリア半島のユダ

  • 1