ホームレスを支え 午後10時、雨の東京・池袋駅。家路を急ぐ人々の足元で老女が布団にくるまっていた。そのつぶやきに耳を傾けながら、若き「夜回り先生」は雑踏の暗がりにこの国のいまとこれからを見つめる。 「おばあさん、『お金さえあれば…』と繰り返すばかりで。生活保護を受ければ、お金の心配はいらないと説明しても分かってもらえない。統合失調症で、自分がどんな状況に置かれているのか理解できていないのに、どうして自力で抜け出せるでしょうか」 路上生活者の6割以上がうつ病や統合失調症などの精神疾患を抱え、3割以上が知的障害が疑われる知能指数(IQ)70未満-。 調査結果を発表したのはこの3月。数字が提起するのは、行政による医療支援の必要性だけではない。「自殺者が毎年3万人という、生きづらさを抱えるこの社会をよく表している」。さまざまな事情でつまずき、病気や障害さえも一顧だにされぬ人々と、「怠け者」
北朝鮮で一昨年に行われた貨幣改革以降、「コッチェビ」と呼ばれるホームレスの児童が急増するなど経済混乱が深刻化している。23日、アジアプレスの北朝鮮内部の取材協力者が今年1~4月に平壌などで隠し撮りした映像で明らかになった。 現在、体制を支える「核心層」の軍にさえ食糧が十分に行き渡っていないという。映像の中で、平安北道の男性兵士(26)は「(食糧が枯渇する)春には100人いる部隊の50%が栄養失調になる」と証言した。 また、北朝鮮の石炭業は国営では立ちゆかなくなり、「自土(チャト)」という個人経営の炭鉱が増えつつあり、当局の統制が効かなくなっている実態も明らかになった。 アジアプレスの石丸次郎氏は「貨幣改革後、体制に対して露骨に不平、不満を漏らすケースが増えている。金正日総書記のファミリー支配に対する反発も強まっている」と指摘した。
@hotsuma これは精神遅滞と認知症が混じっていると思う どちらも有病率1%ぐらいだから(認知症は60代の有病率)34%は異様に高いが RT @afcp_01 東京・池袋で臨床心理士らが実施した調査で、路上生活者の34%が知能指数(IQ)70未満 B! http://bit.ly/b51Qfq 2010-03-02 09:45:35 woeswar @woeswar 毎日新聞も本文では他の精神疾患の可能性も言及しつつ、「路上生活者の34%、知的障害の疑い」なる見出しで不適切ですよね。もっと広い意味での障害者福祉の必要性が肝なのに @yugoyuzinhana @ hotsuma @afcp_01 http://bit.ly/aT0rDs 2010-03-02 20:54:28
精神科医らが東京・池袋で路上生活者の実態を調査した。約6割がうつ病や統合失調症の症状などの精神疾患を抱えていた。全国の路上生活者は1月の国の調査で1万5759人。底なしの不況で増加が懸念され、就労・自立支援のあり方が問われる。厚生労働省は「精神疾患の患者や知的障害者がずっと路上にいるのは好ましくない」としつつも、特別な対策はとっていない。初冬の東京を歩いた。 約320人の路上生活者がいる新宿区。11月下旬の午後4時すぎ、頭上のJR中央線ガードを走る電車と、行き交う車の騒音が交差する歩道に男性がうずくまっていた。布切れを縫い合わせた服を着て、穴のあいた帽子をかぶっている。髪やひげは伸び放題だ。 「10年ほど前からここにいる。年齢? 数えたことないが50過ぎかな」。大きなバッグや袋が台車に載せてある。「着物の作り方や絵を教えている。相手が食事をくれる。作品が多くてアパートに入りきれないから路上
2007年6月~12月に当機構が大阪市内・府内で実施しました「若年不安定就労 ・不安定住居者聞取り調査」の報告書が完成しました。 この調査は、ネットカフェ等で寝泊りしている人48人、野宿にいたり自立支援センターに入所している人・釜ヶ崎支援機構に相談に来た人52人の合計100人から、生い立ち・職歴・現状に至る経緯を詳細に聞き取りした調査です。 なお、報告書は、大阪市立大学大学院創造都市研究科と共同で発行しています。 報告書は PDF 形式のため、閲覧には Adobe Reader が必要です。 最新の Adobe Reader は アドビ・システムズ社のWebサイトからダウンロードできます。 タイトル
週末は嫁さんとよく街に食事に出かける。最近は炉辺焼きやさんに凝っており、飽きるまでといった感じで同じ店に行っている。特におでんが美味しいが、他の料理もまあまあだ。値段も安く良心的でけっこう流行っている。お客さんは若い人が多い。ちょっと前はもう少し高級なお店に行っていたのであるが、最近はあまりお金のかからない店にしている。 今日は嫁さんは教え子の結婚式があり帰郷していた。教え子は普通、先生を招待するのだろうか?という素朴な疑問はある。僕が今までに出席した結婚式で小学校の担任の先生が招待されていたのを見たことがないから。彼女はもう3回も招待されているのである。これは彼女によれば、1学年に1クラスしかない小学校だったからだという。つまりは、先生と子供の関係が深いのだろう。結婚式の時にメッセージとたくさんの花を貰ったので感激していたようだ。 彼女の実家は県外なので車で帰って同日戻って来た。夜に街で
「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。 4月30日(金曜日) (第2日・通算第37日目・歩行距離32.6km・歩行歩数46,779歩) 5:45分、起床する。 1階にはもう一人のお遍路さんが寝ているので、物音を立てないように 出立つ準備する。 洗濯物を取り込んで、布団を畳み、ザックに荷物を積める。 ちょうど準備が終わったところへ、「朝食の用意ができました。」と、 女将さんから電話が来る。 食堂へ行き朝食を取っているともう一人の遍路がやってくる。 「今日は、女体山を越えるのか?」と聞かれたので、「女体山を越えると、 いきなり大窪寺の境内に出てしまうので、今回は多和の集落を回って 山門に出るように歩く。」と話す。 「私はどうしょうかな?」などと、ぶつぶつ言っている。 朝食を食べ、宿代を払い出発する。 6:55分、宿
一番乗りで朝食をいただいて、7:10、またも受付けの方に心温まる励ましをいただき、気分よく元気モリモリでUP。下の駐車場で昨日のネコを探すも見当たらず、朝ご飯のお魚を少し彼(女)のためにお持ち帰りしたのを散らばっているお弁当の空箱に入れてきた。蟻さん横取りしないでねー。 内子の町はなかなかハイカラで、歩きながらあちこち目が向くので楽しい。でも古い町並を抜けて、川沿いをひたすら上流に向かう道になると単調で長ーい。今回の旅はいつになくアスファルトが足に堪える。特に足の裏、膝にとっても負担を感じる。1日の距離もいつもよりは長めだし、わりと札所間も長いからかな。ログハウス風のバス停を見つけて休憩していたら、逆の方からお鈴の音がする。一見してすぐに“職業遍路さん”とわかる風貌で、前歯の欠けた笑顔がなかなかカワイイおじい。挨拶を交わすと隣に腰掛けて、何も聞かないのに積極的に説明してくれながら、取り出し
橋本徹馬『四國遍路記』 (紫雲荘出版部,1950年) 本体価格 200円, ISBN 1941年に著者が郷里(愛媛県西条市)近くの前神寺から始めた遍路の日記です。バス、汽車、船などを利用し、仙龍寺、慈眼寺(鶴林寺奥之院)などの奥之院にもお参りしながら30日ほどかけて結願しています。奥之院にわざわざ一日かけて行くのは容易な問題ではないが、慈眼寺にはそれだけの価値があるといっており、先を急ぐ駆け足遍路には耳の痛い話です。セメント会社に売られ、つぶされ、消滅した太龍寺の奥之院である太龍窟へもお参りしており、太龍窟を知る貴重な記録になっています。 この著は戦前の宿、遍路の人、交通事情など遍路の一端がうかがえる資料として読むこともできます。宿に泊まるときに、「木賃にするか」と聞かれ、「木賃、旅籠どちらでもよい」と答えたり、宿や遍路途中で職業遍路、乞食遍路や胡散臭い遍路に出会ったりもします。当時はまだ
2004年12月1日(水) 02:28~03:23 放送(2004年11月30日(火) 26:28~27:23 放送) 【再】2005年3月23日(水) 02:43~03:38 放送(2005年3月22日(火) 26:43~27:38 放送) 【再】2006年11月23日(木) 02:28~03:23 放送(2006年11月22日(水) 26:28~27:23 放送) 四国遍路が静かなブームを呼んでいる。この秋には、遍路に歩く女子高生をモチーフにした映画「ロード88」が封切られ、漫画誌では二度に渡る遍路行を遂げた俳人、種田山頭火を描いた「まっすぐな道でさみしい」が人気を集めている。現地ではバスツアーで札所を回る中高年、バックパックで歩く若者たちの姿が目立ち、遍路の年間総数は15万人を超えるという。 従来、巡礼の道として、宗教的な空間だった遍路は、今や誰もが手軽に目指すことが可能になった。“
そもそも、お遍路ってなんだろう? 「四国にある88ヶ所のお寺を巡ること」 ってことはわかるけど、では、なぜ 多くのお寺を巡るのか?何の為に? 様々な説はありますが、実のところ 遍路にはきちんとわかっていない ことも多いのです。 このページでは遍路のたどった歴史 を遡り、この問いにせまってみます。 様々な巡礼があるなかで、四国での巡礼だけが「遍路」とよばれるのはなぜか?そこには四国の海岸で行われていた、修行の歴史が関係しています。 最初に四国を修行する人々の様子が書かれるのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で平安時代に入ってのこと。しかし、この中では、修行者が厳しい海岸の路を歩き修行する姿が記されているだけで、現代のような遍路の姿とはいえません。 彼らが何を求めて修行していたかは明記されていませんが、中で修行者たちが伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海
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