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GriefとSuicidalityに関するhotsumaのブックマーク (4)

  • うつ病再考 その(3)江藤淳に抗うつ剤を投与してみる― 「心のうつ」か、「脳のうつ」か

    昨日の続きだ。精神科医の柏瀬先生は、江藤氏はうつだった、という主張だ。つまりは抗うつ剤により、自死はふせげたのではないか、というのである。それに対して作家の谷沢栄一は「それはとんでもない」、という立場をとる。ある意味では江藤の生き方は、それなりの必然性を孕んでいたのであり、それがうつのせいだとか、治療すべきだったとかは、江藤淳に失礼だ、というわけだろう。そのような対談が、「文学と医学の相剋」と題されて、「諸君!」2000年3月号の柏瀬先生の原稿の後に載っているという。 (ちなみにネットで検索しているうちに、この二人の議論について、精神科医の立場から林公一先生がかなり詳細に論じていることを知った。(http://kokoro.squares.net/depstd.html)) そこでここで大変僭越ながら、江藤先生に、抗うつ剤を飲んでもらおうと思う。もちろんもう亡くなった方だし、私は彼の治療者

  • うつ病再考 その(3) 江藤淳の自殺をめぐる議論

    うちのチビ(犬)は13歳だが、神さんは将来先が長くないのではないかと心配している。確かに13歳といえば、かなりヨボヨボの犬もいる。神さんは、チビがいなくなったら自分は生きていけないかのような言い方をする。確かに心底愛する存在がこの世を去ったら生きていく意欲がなくなるということは十分ありうるだろう。 江藤淳は20世紀後半の日を代表する文芸評論家だったが、彼の自死はいろいろな議論を巻き起こした。慶子夫人に末期ガンという診断が下り、江藤はその傍らに付いて離れぬ看病をした。の臨終から、江藤人も病魔に蝕まれ、自殺をするにいたる。江藤の遺書にあった文章は名文として当時の新聞の見出しとなった。「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」 これを諒とせよ、という江藤のメッセージについては、さまざまな議論が湧いたが、ひとつに

  • 自殺のあとさき | depstd

    原因不明の誠実 全然理解できないことを、「わけ (理由) がわからない」というように、どんなことでも理由や原因がわからないと当にわかったという気はしないものだ。病気の治療も、原因がはっきりしないまま始めると、見当違いなことをしてしまうことだってある。熱が上がったら熱さましをのめばいいのなら簡単だけれど、熱の原因は肺炎かもしれないし、髄膜炎かもしれない。そういうときに、ただ熱が下がったからといって安心していると、病気はどんどん悪化していくことになる。何事も表面だけを見ていては判断を誤る。だから医者はいろいろな検査をして原因をつきとめようとする。けれども、原因はいつもみつかるとは限らず、その一方で検査法はどんどん進歩しているから、あまりムキになって追求すると、これでもかというほど検査をすることになってしまう。原因が全然わからないというのも問題だけれど、こだわりすぎてもかえってよくないこともあ

    hotsuma
    hotsuma 2011/09/27
    " 江藤さんをうつ病と診断し、うつ病なら治療すれば自殺は防げたはず、だから諒とすること は絶対にできない、という柏瀬先生の意見は、いま現に病気と闘っているうつ病の人に対する メッセージである。"
  • たった今、訃報が入った。従妹が自殺しました。

    私は自殺について意見を求められた時、「人間には死ぬ権利がある」と答えてきた。死でしか自分を救えないほど、それほど生きてる事が苦しいのなら、自殺を一概に悪と決めつける事はできない、と。今でも、その考えは変わらない。ただ、いきなり死なれた側の自責と苦しみは、どう解決すればいいのか。

    たった今、訃報が入った。従妹が自殺しました。
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