そもそも関氏が永守氏と衝突するようになったきっかけもここにある。 昨年7月、業績に不満を持った永守氏が役員らの報酬カットを言い出したことがある。これに関氏は日本電産が目標とする「売上高10兆円」を達成するためにも、過度なプレッシャーをかけることはよくないとたしなめ、さらに「もともと会社が設定した業績目標が高すぎる」と反論したのだという。 永守会長は「元日の午前以外は休まない」と公言していたように、日本電産は創業以来、猛烈なハードワークによって苛烈なノルマを達成してきた会社だ。日産で北米や中国での事業を担当するなど海外経験も豊富な関氏は、事あるごとに「気概と執念」を強調する日本電産の経営手法はグローバル・スタンダードに合わないと見なして改革を進めようとした。ところが、永守氏はこれを自らの永守イズムの否定と受け止めた。虎の尾を踏んだ関氏を、永守氏は徹底的に追い詰めるようになる。 早朝出社を拒ん