finalventに関するibtkのブックマーク (20)

  • 朝日新聞社説 パロマ有罪―企業のリスク管理徹底を - finalventの日記

    製品自体に欠陥はなく、販売後の不正改造が事故の原因だった。だが判決は、同様の事故が何度も起き、被告らはそれを承知していたにもかかわらず有効な対策をとらなかったとして、業務上過失致死傷罪の成立を認めた。 メーカーを信頼するからこそ、消費者は便利さの一方で危険を伴うガス製品を安心して使うことができる。その思いに沿った判断と評価したい。 意外と執筆者は質を理解している。「その思いに沿った判断と評価したい」というのは、そりゃ変だがそういう立論はやめときましょうということだ。なので、以降の話はよく読むとわかるが、グダグダになっている。 重要なのは、「製品自体に欠陥はなく」といこと。で、どうして企業責任なのか? 「販売後の不正改造が事故の原因」と続くんだけど、これ、別企業。厳密に言うと、パロマ系もあったのでそれが指導せいというのはあるかもしれないけど、つまり、業界団体による官僚支配をきちんと。 ただ

    朝日新聞社説 パロマ有罪―企業のリスク管理徹底を - finalventの日記
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    ibtk 2010/05/12
    制度というのが公平と正義を保証するというのが民主制度の基本の考え。ここからなにが帰結されるか考えない人が増えると、検察もお仕事しちゃう。
  • 藤沢秀行、逝く - finalventの日記

    訃報:名誉棋聖の藤沢秀行さん 83歳 - 毎日jp(毎日新聞) 重厚な棋風で棋聖戦6連覇を果たし、破天荒な生き方で「無頼派」として知られた囲碁棋士の藤沢秀行(ふじさわ・ひでゆき、名・保=たもつ)さんが8日午前7時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳。葬儀は近親者だけで行い、お別れ会を後日開く。喪主はモトさんと長男秀樹(ひでき)さん。 野垂れ死に (新潮新書): 藤沢 秀行 勝負師の―囲碁棋士・藤沢秀行との五十年 (角川oneテーマ21): 藤沢 モト これも良かったですよ⇒「 無頼の遺言 棋士・藤沢秀行とモト [DVD]: ドキュメンタリー: DVD」 かわいい、という感じがした。 人間なにが原因で長寿になるのか。脳だったりするかな。

  • 朝日社説 自殺者3万人―安全網を張り直さねば : asahi.com(朝日新聞社) - finalventの日記

    自殺者は統計の取り方、特に自殺というのは意志の問題なのでその確認手法によって各国異なるので一概に比較はできない。 それと、ちょっとつっかかりのようだけど。 4月には、認知症の母を介護していた女優の清水由貴子さんが死を選んだ。仕事をやめ献身的に家族を支えていて、追いつめられたのだとしたら、あまりに切ない。もっと社会的な支援はできなかったのだろうか。命をささえる安全網の弱さを改めて痛感させる出来事だった。 清水さんの死の真相はわかっていない。現在公開された情報の中、それでもわかるということは筆者が彼女の人生に深く関わるということだ。それなくして、他の一般論の話のツマとして引くというのは、不謹慎なことだと思う。というか、人一人一人の生死に向き合う姿を軽んじていると思う。

    朝日社説 自殺者3万人―安全網を張り直さねば : asahi.com(朝日新聞社) - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/28
    「人一人一人の生死に向き合う姿を軽んじていると思う。」
  • 正しいマスクの使い方: 咳やくしゃみの人にそれを譲ってあげること: 極東ブログ

    公衆衛生に関わる問題について権威のない立場から不確かな情報を発信すべきではないので、ごく普通の市民であるブロガーとしてできることは、確かな情報源を引用するくらいのことだろう。マスクについて、典拠明記の上、気になったことをまとめておきたい。 この問題で一番参考になったのは、ニューヨークタイムズのコンサルタント・ブログに掲載された"Is It Safe to Fly During the Swine Flu Outbreak?"(参照)、という、専門家マーク・ジェンドルー(Mark Gendreau M.D.)による質疑応答だった。"Q. Are there ways to protect oneself against the spread of swine flu when flying?"(旅行中、豚インフルエンザの拡散に対して個人できる防御策はありますか?)という問いで、マスクについて

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    ibtk 2009/05/22
    「ごく普通の市民であるブロガーとしてできることは、確かな情報源を引用するくらいのことだろう。」
  • ごく個人的には - finalventの日記

    増田⇒少年老い易く学為りがたし 20までに積み上げがあれば、20〜30でその成果を収穫できて充実したものになるんでしょ。 20までというのは、ごくベース。そのベースが大切というのはあるにしても(でも運命みたいなもの)。 で、30までは、人は性的に成熟しない。というか、自己との多少なりとも調和ができるのは、男女差や個人差はあるけど、30以降。 で、そのころ、自分が何を知るべきかが見えてくるので、30代がその後の基礎。 けっこう誰もうまくいって、40代前半で、ぼきっと折れて、次にそういうものとの調和で自分を作り替えていくかな。 世に出る運命のある人はだいたい40までに出ているから、外れた人は、それ以降は、まあ、どっちかというと、騒ぐ世間の傍観者というか、自分の人生は自分の人生、勝間勝代は車窓の風景。 ま、そんな感じかな。 で、一寸の光陰軽んずべからずと、朱子であるが。 孔子という人は礼を説いた

    ごく個人的には - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/14
    「一寸の光陰軽んずべからず」
  • 酒というのはただ飲むから酒というのもあるが…… - finalventの日記

    ⇒南無の日記 酒は美味いから、絶対、やめん! わからないでもないが。 私はそういう生き方ができなかった(でもけっこうめちゃくちゃか)。 自分で言うのもなんだが、酒でも女でも賭け事でも私は身を持ち崩さない。どっかで醒めていてただ世界を測量している。それが耐えられなくてさらにのめり込む人もいるのもわかるが、なぜか自分の身体も運命もそれをついには許されなかった、とはいえ、そう長い人生でもないのだろうが。 「酒は美味い」と言える人のために酒があるのだろうと思う。そのような酒を私は知ることなくこの人生を終えるのだと思う。同じことは女についても言える。 私にとっては、世界には旨い酒と不味い酒がある。ある程度主観幻想で言うのだが、それが冷酷にわかる人間は酒に向かない(同じことは女についても言えるかもしれない)。 代わりになにが欠落しているか。 たぶん、愛情のようなものだろう。 子供のころからそうだが、い

    酒というのはただ飲むから酒というのもあるが…… - finalventの日記
  • 天才とか…… - finalventの日記

    自分は天才だと思っている人がけっこういる。こっそり思っている人もいる。 言うだけ馬鹿みたいだし、誤解されるだけなんだけど、戯れに言うと、私は多少天才である。多少というのは、天才というのは、自己の内部の他者ということで、自己が自己であろうとすることに介在してくる強烈なものだ。英語のgiftedみたいなもの。とりあえず、だから、天才性とでもいうか。 それは、自己にとって外来的な性質をもっている。 棚からぼたというか、降ってくる。あるメロディが、ある色彩が、ある構図が、ある着想が……。ただ、自己へぼたんと牛糞のように振ってくる。 それに自己が従属してしかも社会にある影響力を持つ人が、いわゆる天才だし、およそ天才というのは、美人と同じで社会側からのある特異な評価そのものである。な・の・で、私は天才だというのはほとんど狂人に近い。あるいは馬鹿だ。私は狂人ではないので、私は天才だとは言わない。でも私

    天才とか…… - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/11
    「・・孤独に耐えられないからだと思う」
  • いわゆる恋愛の障壁は自己愛だろうと思う - finalventの日記

    人というのは自己愛からあまり免れない。当は、この世界でその自己愛を鏡像のように確信したいという欲望を持っている。知的な人は知的みたいなことをほざいて、頭がいいと見られたい。そんなもの。 だから、恋愛というより、ボクだけが内緒で知っているこんな素敵なボクちんをわかってくれるのはどこの誰?みたいな、ケロロになった王子様的なことをしている(これが現実ではけっこう他人から見ると不毛な努力マッシグラ)。でも、ケロロはケロン人。蛙は飼える(ちゃんと管理しよう)。 じゃ、自己愛を捨てちゃえば、いわゆるモテ状態になるのか? なるよ。ヤクザの女の落とし方というのを薄めてマニュアル化すると効果的。 あるいは、己を知り敵を知れば百戦危うからずで、落とすべき相手(女)もケロン人だと思えばいい。つまり、女のほうでも、ワタシだけが内緒で知っている素敵なワタシをわかってくれる白馬の王子様などこどこ?と思っている。もち

    いわゆる恋愛の障壁は自己愛だろうと思う - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/11
    「たいていの人間は弱いし、内面で、弁解を探している。自分に弁解したくてうずうずしている。」
  • 恋愛というのは語るだけ嘘に見える - finalventの日記

    というか、ただ他人事として語られる(文学とか)というもの。 なので、語ることに不可避に矛盾がつきまとう。 例えば、私が恋愛に語る……じょじょジョーダンでしょみたいな。でも、ちょっと語る。 恋愛というのは、この世ではうまくいかない、ということを質としている。どうせダメなのに成就しないのに、どおしてどおしてボクたちは出会ってしまったのだろ♪みたいな意識を二人だけの対の意識性(幻想性)に起こす。 で、その、この世ではうまくいかないという確信が、世界を棄却してしまう。周りじゅうを傷つけても会いたかったあの気持ちをなんと言うの♪ということを引き起こす。世界が間違っていて恋愛が正しいという確信をその二人の意識のなかに起こす。 と同時にその確信にある種の先験的な敗北感も意識させる。玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする〜〜パチっ、ってことで、恋愛がダメなら生きている意味なんかないのだ

    恋愛というのは語るだけ嘘に見える - finalventの日記
  • 据え膳食わぬは男の恥とか言うが… - finalventの日記

    わんかった。 なんか、そーゆーのが自分の潔癖な倫理観みたいな…自己満だった。そういう自己満男というのがサイテーなのだと思う。 じゃ、一口、って洒落はなしというか、ま、もう若こうもないし、そういうのも縁もないというか、縁を作らない。揉め事の種は避ける避ける。 で、わんかったとかいうが、思い返すに、(1)当にそういう情況だったのか、回顧してそう思ってだけかよ、(2)いや今にして思うとそういう話だったかもねと、若いときはまんざらでもねーかほっほっ、(3)その他、道頓堀の夜は更けてなど、…さあ。記憶というのはよくわからない。 ただ、ま、据え膳ってのは愛ではなくて、若いときは、なんだかんだ愛に飢えていてというのはあったかと思う。そのあたりはけっこう支離滅裂だった。性欲とか云々とかもだが、根のほうに発狂しそうな孤独があった。あれはなんだろ。存在の質として別に孤独がどうなるものでもないし、多分に

    据え膳食わぬは男の恥とか言うが… - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/11
    「・・縁を作らない。揉め事の種は避ける避ける。」
  • 義務教育で重要なのは子どもの愚問に大人が真剣に答えることではないかな - finalventの日記

    愚問とか言わずに。 そういえば昔、「なぜ雨が降るのか」ということで、気象学の人が、これ難しいんだよと話してくれたことがあった。水蒸気が水に変わる仕組みがよくわかってないんだということだった。結晶なんかもそうらしい。 随分前のことなんで今だとわかっているのだろうか。 子どもとかに聞かれたら、水蒸気の飽和とか説明しちゃうんだろうけど、それって、愚問というか意外と問題の質への答えじゃなかったりして。 これたぶん説明になってないと思う⇒雨が降るしくみ : バイオウェザー・お天気豆知識 ウィキペディアを見たらあった⇒雲粒 - Wikipedia 雲粒ができる、つまり水蒸気が水滴に凝結したり、水蒸気が雨粒に昇華(凝固)したりする際に、雲核(うんかく、英:Cloud nucleus)と呼ばれる微粒子があると、微粒子の表面で凝結・昇華(凝固)が始まる。雲核は雲粒の発生を促す働きがある。 雲核になる微粒子

    義務教育で重要なのは子どもの愚問に大人が真剣に答えることではないかな - finalventの日記
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    ibtk 2009/05/07
    「答えられそうもない問いを提出する能力・・」
  • [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子): 極東ブログ

    「対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)の奥付を見ると「二〇〇九年五月一日第一版第一刷」とあるがすでに書店で販売されており、アマゾンでも発売されている。が、この対談の一人、上坂冬子の履歴には死去の情報はない。彼女は、書が正式に出版される前、4月14日に亡くなった。17日付け朝日新聞記事「保守派論客の上坂冬子さん死去」(参照)はこう伝えている。 「硫黄島いまだ玉砕せず」などの作品で知られるノンフィクション作家で評論家の上坂冬子(かみさか・ふゆこ=名・丹羽ヨシコ〈にわ・よしこ〉)さんが14日午前9時50分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は弟丹羽徹(とおる)さん。 共同では16日付けで報道されていたので、死んでから二日後に公開されたことになる。記事中に葬儀の話もあるように、すでに葬儀が終わってからのことだった。なるほどと思ったのと、

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    ibtk 2009/04/20
    「左派だの右派だのがいかに、徹底的にくだらないか」
  • 愛についてのごちゃごちゃした議論について - finalventの日記

    昔はいろいろ読んで考えたものだったが、今はよくわからん。 というか、性愛、だけでよいのではないか、と思いつつある。 そうじゃない愛とか、高尚な愛とか、アガペーがどうのとか、意外と、どうでもよいのではないか。 というか、「性愛」のなかに矛盾した力があり、それが結果的に性愛を超える愛を顕現させることがあっても、それはそういうプロセスがその人の人生ということなんじゃないか。 その人の身体を突き動かす性愛、というものは、まず原型的な力であって、愛というのはそれを生成的に見ればよいのではないかというか、人はまずその身体で存在している。そういう存在であり、それゆえにその身体の場の可能性をまずこの世界に創出しているのは、やはり原型的な性愛なのではないか。 性愛の矛盾というのも、いわゆる静的に矛盾しているわけではなく、動的に生み出していくものだし。罪も憎しみも。でもその生成の力のなかに、愛の根源的な働きを

    愛についてのごちゃごちゃした議論について - finalventの日記
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    ibtk 2009/04/13
    「、人はまずその身体で存在している。そういう存在であり、・・」
  • 「冥福」は祈らない: 極東ブログ

    外交官殺害事件について各種ブログをザッピングしていて、「冥福」という言葉が奇妙に心に引っかかった。なにか痛ましい事件があると、メディア、とくにTVで「ご冥福をお祈りします」と来る。いつからそういう風潮になったのだろう。自分の少年期や青年期を思い起こすのだが、よくわからない。ただ、阪神大震災あたりから「あれ?」という違和感があった。この手の問題はどうも気持ちが悪い。 話がそれるが、最近の若い子は事の前に「いただきます」と言って合掌をするのだが、これもどこから入ってきた風習なのだろう。育児のことを現在ではあたりまえのように「子育て」と呼ぶが私の記憶では三好京三「子育てごっこ」以降のことだ。昭和50年である。広辞苑を見ると浮世風呂に「子育て」の用例があるのでこの時期の造語ではないようだが。 「冥福」に話を戻すと、浄土真宗つまり門徒は「冥福」という言葉を使わない。御同行御同朋使だけで使わないわけ

  • 新社会人になったときやっとけばよかったなーと思うこと - finalventの日記

    inspired by 新社会人になったときやっとけばよかったなーとおもうこと - 備忘録 未来を不安に思うのは無駄だなと割り切ること 大人が集まる場所にできるだけ顔を出しておくこと 異文化関連のボランティア

    新社会人になったときやっとけばよかったなーと思うこと - finalventの日記
  • なんとなくポエム的に - finalventの日記

    人はどのくらいの年齢で挫折するものか。 まあ、幼年期ですら挫折はあるわけだが。 挫折というよりは、可能性の手遅れというのが気になるのだが。 端的に、若さというのは、帰らない。 若作りの人はいるし、アンチエイリアシング(誤記:アンチエイジング)とかまあ、がんばれよ、そういう人々。 で、その若さとは身体。 でも、身体というのは、たとえば、子をなす、とかいうときは絶対的な境界をつくるし。 心とはいっても、実際には、身体を離れた心はない。 50歳の男が10代の少女を愛することは、まあ、できないと言ってもいいだろう。 いやそこが難しい。いや、ロリとかその手の話ではない。 いずれにせよ、可能性の手遅れというか、もうそういう人生の可能性は自分にななかったのだというのが、くっきりと見えてくるのは、50歳くらいだろう。 女性の場合は、もう上がり、だろう。 40代くらいから、ああ、こういう人生しか生きられなか

    なんとなくポエム的に - finalventの日記
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    ibtk 2009/04/06
    「無の強烈なリアリティ」私は走る
  • 批評トハ - finalventの日記

    無私ヲ得ル道デアル 小林秀雄全集〈別巻2〉無私を得る道: 白洲 明子 ⇒「 小林秀雄全作品〈別巻3〉無私を得る道(上): 白洲 明子: 」 ⇒「 小林秀雄全作品〈別巻4〉無私を得る道(下): 小林 秀雄, 新潮社: 」 まあ、別段読むほどのものではないけど。 で、批評トハ無私ヲ得ル道デアル、とはなんぞや? 自分なりに小林秀雄を読んできて、自分なりに理解したこととしては、いわゆる批評というのは、対象と批評家というのがあり、そして、その批評という作品のトリアードを介した出版と解されるわけですよね。 まあ、それはそうかな。 で、それはそれとして、おそらく小林はその部分については、無私がもたらす信に置いたのだろうと思う。つまり、無私が得られたらそれは読まれる、くらいな。 で、無私だけど。 これは対象と批評家の関係において、批評家の私が無くなること。 なので、禅とか持ち出して阿呆な解説が出てくる

  • 批評について - hazumaのブログ

    ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定

    批評について - hazumaのブログ
  • 朝日社説 西松献金事件―小沢代表は身を引くべきだ - finalventの日記

    まあ、そうでしょう。身を引くべきだということ。結論からすれば。そして、それは小沢はもうわかっているでしょう。 以下は野暮で。 政治家に不祥事が持ち上がった時、問われるのは法的責任だけではない。重い政治責任を負わねばならない。政権をうかがう大政党の党首となれば、なおさらである。 それは違う。今回のケースでは不祥事を決めたのは検察で、検察の道理というのを朝日というジャーナリズムがどう判断するかによる。そこを短絡的に世論と一体化した正義であってはいけない。今回の流れでは、小沢聴取報道をネグっていたあたり、あまり朝日は褒められたものではない。 民主党の小沢代表の公設第1秘書が、西松建設の違法献金事件で起訴された。政治資金規正法違反の起訴事実は、逮捕容疑とほとんど変わらず、あっせん利得や収賄など別の容疑に広がることはとりあえずなかった。 つまり、朝日内部でそこが割れていたのだろうと思う。ただ、この事

    朝日社説 西松献金事件―小沢代表は身を引くべきだ - finalventの日記
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    ibtk 2009/03/25
    小沢が生涯をかけて言っていたのは、みなさん、政権がみなさんの力で本当に変わるのだということがわかれば議会制民主主義が実現しますよということだ。
  • 「国策捜査」とか言われるが権力中枢のないシステムである日本に国策なんてないと思う: 極東ブログ

    小沢疑惑関連の素朴な感想。どうも私もよくわからないばっちりを受けるのだけど、私は「国策捜査」なんてものはないと思っている。理由は簡単で、国策なんてものが日に存在しないと考えるからだ。 もし日に国策なんてものがあるなら、まず国防の要である日米同盟をどうあるべきかきちんと論じて、国家間の契約でもある普天間飛行場の返還を進めるだろう。もともと沖縄の米軍基地は、土だけ占領下から抜け駆け的に「独立」したツケを沖縄に回したものだから、ここまで沖縄県民に負担を強いたツケを終え、筋に戻って、米海兵隊駐留なんてものが必要だというなら土に持ってくるものがスジでしょ。でも、国はそう考えてなくてなんとなくなんとか沖縄に押しつけたいと思っているし、左派もきちんと土に戻して下さいとはいえずに薔薇色な平和に酔っているのが現状で、そのうち国難が起きた時点でどうにかするくらいでしょ。国家の意志なんてこの国にはな

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    ibtk 2009/03/18
    システムに正義を期待して、その権力をその前提に是認してしまう。
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