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DesignとThinkingに関するidiotcomputerのブックマーク (4)

  • 彼らに「ニトリ」や「ユニクロ」を追いかけさせてはいけない。 - D&DEPARTMENT PROJECT

    デザインとビジネスをいつも考える。どのあたりのレベルのデザインと、どのあたりレベルのビジネスを組み合わせるか。短期に考えるか、長期に考えるか。景気を考えて実行するか、しないか。最近、よく考える。 デザインに限らず、巨匠になればなるほど浮世離れしたことを言う。彼らにとってのデザインは、とてもレベルが高い。それは当たり前だし、そうあってもらわないとなにかと都合が悪い。彼らはなるべくしてそうなった役のようなもので、その役目をあるときは演じてもらわないといけない。 かといって、彼らの言う事をなんでも鵜呑みにしていると、高くて良さそうなものだけが生まれて、日国民がついてこれない。作り手がそういう先生とやるときは、その「どのレベルのデザインとビジネスを考えるか」のバランスがわかっていないと、とたんにいいことをやっているし、文化的でもあるのに、いっこうにものが動かず、廃番となってしまう。 イケアがいい

  • 最近の学生が「自分の田舎に帰ってデザインの力でふる里を変えたい」と、ものすごい確率でそう言う。 - D&DEPARTMENT PROJECT

    常々思う。仕事としてのデザインをしながら、大学とかで教えている人は当にすごいなぁと。実際、僕も1年間そういう環境に身を置いてみて思う。これはそう簡単にはできないなと。 今、デザイン教育に必要なことは、基礎とそもそも論である「で、デザイナーって何よ?」ということをどう教え、社会的な重要な仕事であるということと確認することではないかと思う。それを仕事をしながらすることは、僕には出来なかった。来年度から学校はやめることにした。生徒に申し訳ないし、実際にしっかり出来る先生がついたほうがいいと思ったからで、相当悩んだけれど、物理的に無理だ。だから思う。この両立はとてつもなく高度だと。 学校で教えてみて思う。教室にたどり着けない・・・・・・汗。出張で遠くに行っていて、授業までに間に合わない。生徒は「教わりに来る」ので、当然だけれど、また、先生も、学校というシステムを受け入れてやっていくので、教室にこ

  • イベント:原研哉基調講演、emptiness

    テクニカルコミュニケーションシンポジウム2009開催中です。 初日の今日はグラフィックデザイナーの原研哉氏による基調講演でした。 が、先生悪い風邪をひいてしまい、2008年10月23日のアップルストア銀座での講演のビデオ再演になりました。 原研哉が言う「emptiness」とは、シンプルのことではありません。 曰く、シンプルは効率を突き詰めて「簡単に作る」という経済上の都合と折り合いを付けるための表現形式であり、モダンという概念を産んだヨーロッパ特有の専売特許であるとのこと。「シンプルで静謐さを感じさせる和の空間」というようなコピーは単なる言葉遊びであるわけです。 では、デザインにおけるemptinessとは何かというと、究極は神社であるそうです。神社が、きまぐれな八百万の神にぷらっと寄ってもらうことを期待して、社を空にしているような状態といいます。 ここまできくと、「ああ、足し算でなくて

  • 残念なデザイン。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 うーん。これはいま実感としてすごく感じているところ。 残念なデザイナは、往々にして表面だけの議論をしたがります。「この曲線が美しい」とか。うん、そんなのね、どーでもいいの。こういうヒトは誰かの真似をした"もっともらしい"表面を並び立てるだけ。"なんだか"格好いいけど、深みがない。そして、なによりも応用が利かないから、提案としてとても打たれ弱い。 なんだか格好いいけど、深みがないデザインって、当に残念だということを、いま個人的に身にしみて感じているところです。 上記のエントリーでは、「表面」に対して「構造」の重要性が述べられていますが、僕はその「構造」の部分を「意味」と言い換えたい。 意味を混乱させるデザインその物がもつ「意味」を表現できていない残念なデザインが多すぎる。い

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