土田麦僊(つちだばくせん:1887−1936)は、明治、大正、昭和期を生きた日本画家。出身地は新潟県の佐渡島であり、1904年に大家・竹内栖鳳に弟子入りします。そして早くも頭角を現した彼は、「罰」という作品で、第二回文展に入選し、3等賞を受けます。 この作品は、3名の小学生たちが、教諭に叱られ、三者三様の「反省」をしているという微笑ましくも痛快な絵になっています。 罰(1908) そして、志のある日本画家がそうするように、西欧絵画の研究をやり、「一目でそうだと解るように」、ゴーギャンの影響を受けた「海女」という作品を描いています。構図といい、配色といい、いかにもゴーギャンですね。 海女(1918) そして麦僊は、仲間と一緒に1921年から1923年、ヨーロッパへ絵画留学を敢行します。もちろん、多くのことを学んできますが、その大容量の体験を以後の自分の画業に活かすか、苦吟します。そして発表し