hogeに関するiireiのブックマーク (731)

  • 「ウケる!!隠し芸」〜振られた時に困らぬように - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    忘年会、新年会などで余興としてリクエストされる隠し芸。「ウケる!!隠し芸100連発」を図書館から借りて観てみました。このDVDは、お笑い集団「ザ・ニュースペーパー」に所属する(らしい)蘭丸陽一さんと濱田マ助さんが出演しています。笑いのプロらしく、いろいろな芸を小気味よく披露しています。(このDVD、発売元はハイタッチ株式会社。) まず、芸を披露する際の基的な心構えとして、 @恥ずかしがらない @声は大きく @拍手の間をとる(観賞する者の反応を見ながら) @失敗してもめげない(それもネタの一つ) @自分で楽しむこと 以上の心得を持続していれば自分も周りも楽しめるというのですね。 実際の芸に目を向けてみると、第一に、ピンでなにも小道具がなくても演じられる「パントマイム」に注意するべきでしょうね。たとえば「透明な壁」など。演者があたかも聴衆との間にある壁に挑みかかり、ちょうどアマガエルがガラス

    「ウケる!!隠し芸」〜振られた時に困らぬように - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2015/01/08
    [忘年会、新年会の余興で行われる隠し芸。なにかの芸を持っていると、肩身の狭い思いをしないで済む。日ごろから隠し芸に習熟していると良いが、もっとも優れた芸は、演じるものの人となりが出ているものだと思う。]
  • 万物斉同と物の価値〜お金と物についての考察 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    あけましておめでとうございます。 今年もよろしく お願いします。 万物斉同(ばんぶつせいどう) 道家の思想家・荘子(そうし)の中心的な概念。「全ての物を斉しく(ひとしく)同一と見なす」という概略であるが、この場合 民主主義の「平等」という概念とはまったく違う。自己が絶対者であるという意識をもって「全てのもの」に差別を設けないという境地を言うのである。「物」には「者」としての人間も含む。なお、その絶対者も万物のひとつに過ぎないという認識も重要である。「荘子:そうじ(書物としてはこう読む)・斉物論編」に詳しい。 これは、私が「はてなキーワード」として登録した言葉ですが、ちょうどそのときに、ひらめくことがあり、私は頭のてっぺんからつま先まで、緊張がほどける快感・・・いわば「悟り」の境地に達しました。それは地域流通貨幣のことを考えているときだったのですが、私は新たな価値観を表明することができたので

    万物斉同と物の価値〜お金と物についての考察 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2015/01/03
    [荘子のいう「万物斉同」の思想は、、森羅万象の物に差別を設けない。その意味では、キャベツには大根と等価な価値があり、それらは、人間が勝手に作り出した「物価」とは関わりなく取引するのも自由なはずだ。]
  • 日暮硯と書経〜〜政治家の資質とは - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    図書館でアットランダムに文庫を漁っていたら、目についたのが「日暮硯:ひぐらしすずり」。名前だけは知っていましたので、借りてくることにしたのです。 このは、信濃・松代藩主、真田幸弘(真田幸村の兄・信之の家系で18世紀後半に治世)の家老・恩田民親が幸弘の命により藩の大蔵大臣に就いてからの言行録です。日暮硯に関するは多々あれど、西武セゾングループの総帥だった故・堤清二(詩人・小説家としてのペンネームが辻井喬)さんが現代語訳と解説を担当している、かなりユニークなです。(三笠書房:1988年初版) 「恩田民親(おんだ・たみちか、享保2年(1717年) - 宝暦12年1月6日(1762年1月30日))は江戸時代中期の松代藩家老。百官名は木工。恩田木工(おんだ・もく、「杢」とも記される)として知られる。」(カッコ内:wikiより) そもそも、藩主・幸弘自身聡明な君主でした。あるとき、家臣に楽しめ

    日暮硯と書経〜〜政治家の資質とは - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/29
    [英明な松代藩主・真田幸弘に見込まれて藩の財務大臣にあたる役職を拝命した恩田木工は、目覚ましい業績を残したが、年貢の公平な取り立てとか、一旦博打を許可し、その矛盾を突いて、博打をする者を皆無にした。]
  • 維摩詰と大乗仏教〜自然体の修行者:女性蔑視をしない人 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    維摩詰(維摩居士):wiki→ ここに、ユニークな仏教修行者がいます。維摩詰(ゆいまきつ)、維摩居士(ゆいまこじ)・・・ヴィマラ・キールティーという人がそれで、釈迦の在家信者です。 Wikiから引いてくると 古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈迦の在家弟子となったという。もと前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦の教化を輔(たす)けた。無生忍という境地を得た法身の大居士といわれる。 なお、彼の名前は維摩経を中心に、大般涅槃経などでも「威徳無垢称王」などとして挙げられている。したがって北伝の大乗経典を中心として見られるもので、南伝パーリ語文献には見当たらない。これらのことから彼は架空の人物とも考えられるが、実在説もある。 彼が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧めたが、舎利弗や目連、大迦葉などの阿羅漢の声聞衆は

    維摩詰と大乗仏教〜自然体の修行者:女性蔑視をしない人 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/24
    [釈迦の在家弟子・維摩詰は、師である釈迦が女嫌いだったのに、決して女を門前払いしなかった。一説に彼を堕落させるために遣わされた女たちを妾にしたという。また、釈迦の弟子たちをことごとく論破したとされる。]
  • アマガエル:私はそのひたむきさが好きだ。(散文詩) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    アマガエル 鳴いても跳ねても 可愛らし アマガエルは、日土で見られるカエルのなかではもっとも小さいと思われる。言葉の由来は、「雨が降る前に鳴く」ので「雨=アマ」と付いたらしい。カエルの世界では大きい・小さい別にアマガエル<トノサマガエル<ガマガエル<ウシガエルとなるけど、私はウシガエルの声を川原で聞いても、実物は見たことがない。 そして、どの程度の大きさのカエルならば手に掴むことができるかというと、私はトノサマガエルまで。女性だったら、アマガエルも触れないかもしれない。もっとも、アマガエルは皮膚に毒を持っている。 かといって、女性がカエルを嫌いかというと、必ずしもそうではなく、アマガエルの絵をマグカップにあしらったものを愛用する女性を、私は2名ほど知っている。 長い冬を経て冬眠から覚めたアマガエルは、ある時期を心待ちにしている。それは田植えのシーズンである。田んぼに水が張られると、待ち

    アマガエル:私はそのひたむきさが好きだ。(散文詩) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/19
    [私は、ひたむきに生きているアマガエルが好きだ。自然界では、食物連鎖の中間で、案外強い。カマキリも食べてしまうことがあるらしい。ただ、蛇にはなす術なく、後ろから飲み込まれる姿は4つ目の生き物のようだ。]
  • 読書5%の法則〜残り95%は無駄か? - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    以前、もっとも、今年のことですが、読書する際、の言わんとすることは、全体の5%に過ぎないので、そのつもりで読書をするのが良い、という言葉をネット上で目にしました。これってどうなのでしょう?読書論として極論すぎる気もするのですが。 読書作法について書かれた文章も、ネット上でよく目にします。その一例を挙げると http://blog.livedoor.jp/psyforce/archives/51310916.html :りょうたの手記帖 読書要点まとめ008 ・戦略的に読破する →1・を読む目的の明確化 →目的が明確化すると重要でないところとそうでないところの見極めがはっきりし、どうでもいいところは読み捨てる事が出来る分速く読める カラーバス効果・・・意識する事で意識していなかった時より頻繁に目にするような感覚を受ける 読書環境は机に限った話ではなく、自分にあった集中出来る場所を選ぶ 出

    読書5%の法則〜残り95%は無駄か? - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/14
    [イタリアの経済学者・ヴィルフレド・パレートの提唱した経済学の理論「パレートの法則」はその解りやすさから経済学以外の分野にも適応される傾向があるが、それはあくまで過剰適応だと考えられる。俗流解釈。]
  • 木綿のハンカチーフ(太田裕美)の変な点 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    @不調だったPC日2014.12.10日、全面的に使用が可能になりました。この間、来てくださる方にはご迷惑をおかけしました。これからもよろしくお願いします。@ 太田裕美さんの持つ柔らかい歌声は心地よく、NHK「みんなのうた」でも「パパとあなたの影ぼうし」とか「こんぺいとう」などで何回か起用されていますが、今回は彼女の出世作とも言える「木綿のハンカチーフ」を取り上げます。 曲自身はこんな感じでした。 都会に出て、どんどん変わっていく青年と、それを憂う女性の対話形式でこの曲は進行していきますが、結局はこの二人の恋人の仲は破綻するのですね。その辺の経緯が克明に描かれます。 そもそも、この曲は、作詞家の松隆さんの出世作でもあるのですが、彼は「こんな歌詞に曲など付けられないだろう」と考えていたそうですが、筒美京平さんがしっかりした曲を付けたのには、松さんも驚いたでしょうね。 この曲にまつわる

    木綿のハンカチーフ(太田裕美)の変な点 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/09
    [太田裕美さんが歌った「木綿のハンカチーフ」は不朽の名作だが、彼女の歌声がちょっと舌足らずなので、可笑しな(爆笑ものの)歌詞がある。「スーツ着た僕の」というくだりは「煤けた」とまるで炭鉱夫みたいに。]
  • 狂言サイボーグ〜野村萬斎と「型」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    !@現在、PCの調子が不調で、修理に出しています。代替は、古いタイプのPCで、訪問して頂いた方のはてなダイアリーには☆つけやコメントができますが、同じく訪問して頂いたはてなブログの 方には出向いて☆つけやコメントができませんので、修理完了までの間、実質応答できません。あしからず。@! 私の某友人は多才な人で、演劇についても、面白いことを教えてくれました。例えば「悲しい」場面を演じる場合、「過去の悲しかった経験を思いだし」、そのときの感情を表出すれば、自然に涙がこぼれてくること。また、彼が俳優採用のコンテストにエントリーした際、選考人から「あんたは、役者ではなく、監督に向いているのではないか」、と言われたらしいです。 実は私も大学時代、ちょっとの間某劇団に所属していましたが、マグカップを使って(正確には素手で)コーヒーを飲むとき、普通に飲むことを再現できませんでした。セリフもなかなか覚えられ

    狂言サイボーグ〜野村萬斎と「型」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/12/04
    [狂言師・野村萬斎さんが、イギリスに国費留学生で行って、演劇を学んだ際、ある女優の演技が「顔で怒っても、体は怒っていない」ことを発見したという。萬斎さん曰く、”型”に関する関心が薄いのだろうと。]
  • 名バイプレイヤー・スクナヒコナノカミ:一寸法師の原型 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    少彦名神(すくなひこなのかみ)は大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされています。 大国主神がはじめ出雲の「御大之御前」(美保崎か?日書紀では五十狭々の小浜と書かれている)にいた時、小さなガガイモの実の舟に乗って蛾の皮を剥いだ服(日書紀ではミソサザイの皮の服)を着た小さな神様がやってくるのを見ました。 大国主神が珍しがって掌に乗せると、頬をつつきます。そこで「あなたは誰か」と聞くのですが、小さな神様はまだ言葉がしゃべれないようでした。そこで物知りの案山子(かかし)の神に聞くと「それは神産巣日神の子供の少彦名神ですよ」と答えました。そこで大国主神が神産巣日神にそのことを尋ねると「その子は私の指の間からこぼれ落ちた子なのですよ。あなたの弟として育てて、一緒に国作りをして下さい。」とのことでした。(日書紀では高産巣日神の子供になっている。神産巣日神の子なら出雲系、高産巣日神の子な

    iirei
    iirei 2014/11/29
    [スクナヒコナノカミは、一寸法師のモデルになったとも言われる小人神で、オオクニヌシノミコトとともに、国作りを担ったとされるが、事業の一応の完成を見届けると、ぽーんと何処かへ去っていったとされる。]
  • 青木繁〜夭折の画家と日本神話 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    僅か29歳で亡くなったこの洋画家・青木繁は、日絵画史上でひときわ輝く巨星だったと思います。美術の教科書には大体掲載されていた「海の幸」など、一目見れば「ああ、あの作品か」と納得する人も多いと思います。Wikiから引いてくると 海の幸(http://blogs.yahoo.co.jp/ririxtukutokextusaku/33105740.html より) 繁は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。肺結核のため、麻布中学を中退。1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂らと群馬県の妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。これは無銭旅行に近い珍道

    青木繁〜夭折の画家と日本神話 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/11/24
    [明治画壇で一際輝く洋画家・青木繁の一生は、試練と挫折の連続だった。彼は、日本神話に材を採り色々な秀作を物したが、あわれ30歳になることも叶わず夭折した。この頃の日本の画家は同じく短命な人が多い。]
  • 群馬県の詩人たち:不器用で朴訥な彼ら - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    群馬県出身のキリスト者・内村鑑三氏は、以下のような詩を書いています: 上州人は無知でまた無才 剛毅木訥で欺かれ易し 唯だ正直を以って万人に接し 至誠神に依りて 勝利を期す (群馬県人は無知で才能もなく 口下手でだまされやすい ただ正直な態度で色々な人に接し、誠意を最大限に行い勝利を得ようとする) この詩は、ある意味群馬県人の気質をよく表していると思います。群馬県の山河は「荒削り」で、その風光を見て育った群馬県人は、腰を据えて書く小説より、短い詩を得意とするようです。(特に、萩原朔太郎・萩原恭二郎の出身地、前橋では広瀬川・利根川などの荒々しい河川の表情が見られます。)県外出身の詩人・歌人である竹久夢二、若山牧水なども群馬にはひかれて往来していますが、なにはともかく群馬県出身の詩人・歌人・俳人は多くいます。 この稿は「群馬の詩人たち」(上毛新聞社:1800円)を参考に書いていますが、紹介されて

    群馬県の詩人たち:不器用で朴訥な彼ら - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/11/19
    [群馬県出身の文学者には小説家は少なく、詩人・歌人・俳人が多い。それは群馬県の荒削りの風土が大きくものを言っているらしい。腰を落ち着けて小説を書くより、勢いで詩を書くという実態があるのか。]
  • ヘーゲルの弁証法と老子〜3つ組の発想 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    大学で教養課程の授業を聴講すると、必ずと言ってよいほど、ヘーゲルの弁証法、あるいはマルクス=エンゲルスの弁証法というものがあることに気付かされます。とても「普遍的」な哲学なのですね。Wikipediaから引いてくると、 弁証法(的)論理学 ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反)、そして、それらを質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。 最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重

    ヘーゲルの弁証法と老子〜3つ組の発想 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/11/14
    [ソクラテスに始まる弁証法は、近代のヘーゲルによって大成された。彼は、3ツ組の理論:正・反・合のダイナミズムを考えたが、古く中国の古代哲学者の老子にも、このような発想を見出すことができる。]
  • 林光さんと大河ドラマの主題歌:坂本龍一さんに匹敵する才能 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    私がNHK大河ドラマの主題歌について振り返ってみるに、これらの曲を作曲した人たちはレベルが高い人が多いように思えます。その当時当時の才能をかき集めて、曲作りに励ませていた観が あります。なかでも林光さんの手になる主題歌は特に優れているものだと思います。 そこで、林光(はやし・ひかる)さんが作った3曲のうち、昭和48年(1973年)の「国盗り物語」と昭和52年(1977年)の「花神」を取り上げようと思います。 「国盗り物語」の主題歌のこの曲は、大きく2つの曲想からなり、第一主題は戦国時代の厳しい生き抜き方を表象するようで、背筋がぞくっとしてしまいます。第二主題はその厳しいなかでの一瞬の平安な心を歌ったかのように聴こえます。第二主題が終わったあと、第一主題が再現されそうになったところで、曲は終わります。 こちらは「花神」の主題歌。(以前取り上げたことがありますが)ちょうど長州の、倒幕に力のあっ

    林光さんと大河ドラマの主題歌:坂本龍一さんに匹敵する才能 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/11/09
    [音楽家・林光(はやし・ひかる)氏は、坂本龍一氏と匹敵する才能の持ち主だったと思う。大河ドラマにも素晴らしい主題歌を残す。彼は東京芸術大学中退だが、大学の在り方に疑問を持って辞めた。全学連の予兆。]
  • 上村松園〜描く:着物を着た女性を - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    女性日画家、上村松園(うえむら・しょうえん)は、男性優位の画壇において、確かな地歩を築いた画家です。Wikiから。 上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日画家。名は上村 津禰(うえむら つね)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。明治の京都下京(しもぎょう)に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受賞。 子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日画家である。 松園は誕生2ヶ月前に父を亡くしている。母仲子は女手一つで松園と姉、二人の娘を育て上げた。明治の女性が画家を志すなど、世間で認めるところではなかったが、仲子は常に松園を理解し励まし支え続けた。松園はその著書『青眉抄』で母を追憶して「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、そ

    上村松園〜描く:着物を着た女性を - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/11/04
    [女性日本画家の上村松園は、子も孫も日本画家になった芸術家一家の祖。彼女は特に着物を着た女性をよく描いたが、単に美人画を描いたのではなく、女性に秘められた情念をも写し取っている。女性初で文化勲章受賞。]
  • 日本を観光立国に!〜木村尚三郎教授の立場 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    私が東大教養課程の学生だったころ、一般教養ということで理科系学生は文科系の講義を、文科系学生は理科系の講義を自由に受けられたのですが、その中でも木村尚三郎教授のヨーロッパを話の中核に据えた講義は極めて興味深く、確か「文明の発達と停滞は、その時期時期の気候によって左右される」というテーゼが印象に残っています。そして、気取ったところがなく、いつか駒場キャンパスの南口の大衆堂で夕飯を召し上がっていたのを目撃した私は、よっぽど「木村先生!」と声を掛けようかと思いましたが、邪魔しないように黙って堂をあとにしました。 彼についてwikiでは 木村 尚三郎(きむら しょうさぶろう、1930年(昭和5年)4月1日 - 2006年(平成18年)10月17日)は西洋史学者、東京大学名誉教授、地域経済総合研究所名誉評議員。東京都杉並区出身。専門はヨーロッパ史、特に中世フランスの荘園の研究から出発した。中世史

    日本を観光立国に!〜木村尚三郎教授の立場 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/30
    [東大名誉教授の木村尚三郎氏は「原発は石油の代わりにならぬ」と発言するなど、高い見識の持ち主だったが、「愛・地球博」を推進して味噌を付けたと思う。また、日本は観光立国すべしという発言もしていた。]
  • ジャック・イベールのフルート協奏曲:フルートは魅力的な楽器 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    私はいわゆる協奏曲にフツフツと興味が湧き、図書館からいろいろなCDを借りて聴いてみました。協奏曲というのは「concerto:イタリア語、ピアノ・バイオリン・チェロなど独奏楽器と管弦楽とが合奏する交響的楽曲で、独奏楽器の能力が充分発揮されるように作られたもの。コンチェルト。」(広辞苑 第4版)です。 なかでもジャック・イベールのフルート協奏曲が興味深いものでした。私はもともと、フルートという楽器は大好きでしたが、だいたい曲の脇役を演じることが多いため、この楽器を主役にした曲というのはどんなものか、と思っていたのです。以下、フルート協奏曲の第一楽章。 ジャック・イベール  フルート協奏曲1楽章 普通、フルートをフィーチャーした曲はたとえばガブリエル・フォーレ(イベールと同じフランス人)の「シシリエンヌ」のような牧歌的な曲を思い浮かべそうですが、このイベールの曲は普通に呼ぶ「現代音楽」の装いを

    ジャック・イベールのフルート協奏曲:フルートは魅力的な楽器 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/25
    [フルートは優れた楽器で、これまでも幾多の作曲家が取り上げてきた。フォーレの「シシリエンヌ」とかが有名だが、現代音楽家のジャック・イベールも、「フルート協奏曲」などの名作を残している。]
  • カミソリで樹を伐る男(詩) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    その男、一抱え30mほどはある 樫の樹を伐ろうと思いたった 手にしているのは鋭利なカミソリ。 だが如何せん、相手は巨木、 なかなか伐れない。 男は40年かけて 3cmほど幹を 伐ることしか 出来なかった。 男は、以後の作業を 神聖な義務だとして カミソリを使って 完遂するように 遺言してこの世を去った。 残された子孫は、 忠実に男の遺言を 守ったが、何代経っても 樹を切り倒すことは 出来なかった。 こうなったら、 「五劫の擦り切れ」、 数千年の時を超え、 完遂するしかあるまいな。 ただ、この男、 樹が邪魔だったのだが、 人は引っ越す積もりは なかったのだ・・・ 二重の意味で この男は愚かだった。 (2014.09.16) この詩は、「ナタで髭剃る女」:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070318 とペアーの詩です。「ナタで・・・」を思いついたとき、ナタ=女、カ

    カミソリで樹を伐る男(詩) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/20
    [ある男が一抱え30mの巨木を「カミソリ」で伐ろうとしたが、存命中はかなわず、子孫にその「仕事」を託したが、やはり何代経っても伐れなかった。男は、樹が邪魔だったのだが、自分が引越せば済むことだった。]
  • 「(株)貧困大国アメリカ」(書評):超格差社会アメリカの今 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    このは「ルポ貧困大国アメリカ」で一躍名を挙げた「堤未果」さんの近著(2013年6月)です。豊富な話題で、現在の病める大国アメリカの現状と、アメリカの影響を受ける世界の諸国の例が頻繁に取り上げられます。 結論から言ってしまうと、市場原理主義、新自由主義といった資主義社会の「病巣」がアメリカと、アメリカにかかわりを持つ国々を覆っているということです。アメリカの人たちは富める1%の人たちと、貧しい99%の人たちに二極分離していますが、前者はアメリカの資投資家(株主)が、グローバル企業(多国籍企業)に投資し、その企業がもたらす利益を独占していることに問題があります。その際、企業は違法すれすれな行為をとるか、法律そのものを変えてしまいます。そのためにこそ、有力な政治家に献金を忘れないか、その企業の代表者がまるで回転ドアを回るように政治の中枢に居座ると言う現象も起きます。(例:イラク戦争を喜々と

    「(株)貧困大国アメリカ」(書評):超格差社会アメリカの今 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/15
    [市場原理主義と新自由主義に冒されたアメリカ社会は、現在極めて危うい状態にある。堤未果さんによりと、養鶏業者の問題を初め、例えばモンサント社とアメリカの為政者が結託して、海外諸国に害悪を流していると。]
  • 「母をたずねて三千里」:マルコの旅の長さは偽りなし - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    「アニメで読む世界史」特集その2(完) テレビで放映された世界名作シリーズの一つである「母をたずねて三千里」は、もちろん、主人公のイタリア人・マルコ少年が大西洋をはるばる渡って、アルゼンチンまで行き、めでたく母と再会するというドラマ性たっぷりのアニメですが、ここではこの物語の背景について、「アニメで読む世界史」から検討してみます。「アニメで読む世界史」(藤川隆男・編:山川出版社:2011初版:体1500円+税)です。 この作品はもともと、エドモンド・デ・アミーチス(1846−1908)の少年小説集・「クオーレ」(1886)のなかの一編「アペニン山脈からアンデス山脈」を原作としています。原作自体は50ページ」ほどの短いお話でしたから、テレビ版では1年放映できるように、筋を複雑にし、原作には登場しない人物も登場させています。 「三千里」とはよく言ったもので、確かにマルコ少年はこれだけの距離を

    「母をたずねて三千里」:マルコの旅の長さは偽りなし - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/10
    [エドモンド・デ・アミーチス原作の「母をたずねて三千里」の旅程の長さは、実際のイタリアとアルゼンチンの距離に符合する。当時世界的に裕福な国だったアルゼンチンには、多くの西欧人が「出稼ぎ」に行った。]
  • 「フランダースの犬」:ネロはルーベンスになれたか - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    「アニメで読む世界史」特集その1 以前、「アルプスの少女ハイジ」を取り上げた際、表題のがあるという情報を掴み、図書館の相互貸借を利用して借りてみました。「アニメで読む世界史」(藤川隆男・編:山川出版社:2011初版:体1500円+税)です。 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130504#1367638899 (その記事) このは歴代のテレビ・アニメになった作品たちの歴史的な意味合いを分析するという視点で描かれますが、特にアニメでは「ハイジ」と「フランダースの犬」が印象に残っていますので、この2作品についての記述を取り上げようと思います。(「母をたずねて三千里」はその歴史的背景が面白いので、稿を改めて別ブログで取り上げます。) まず、「フランダースの犬」についてですが、「ネロはルーベンス並みの画家になれたか?」という問いについて、冷酷に「否=NO」としていま

    「フランダースの犬」:ネロはルーベンスになれたか - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/10/05
    [「アニメで読む世界史」という本で、「フランダースの犬」のネロは、ルーベンスに成れるか?との問いに、冷酷に書かれている:いっぱしの画家になるには学問・教養が必要で、働きづめのネロには無理だと。]