hogeに関するiireiのブックマーク (731)

  • 「幸せ」と「生きがい」〜両者を使用する頻度の男女差? - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    この2つの言葉は、おおむね同じ意味内容を持っていると思いますが、使う頻度には男女差があり、「幸せ」は主として女性が、「生きがい」は男性が使う傾向があると思います。 これは以前、あるマンガで出てきたシチュエーションですが、女の子が命の男の子の元を離れ、他の男の子の元に向かう際、「ごめんね、私幸せになるから」と独り言を言いました。そうすると、彼女のいう「幸せ」は相当利己的なもので、自分だけは「幸せ」になり、去られた男性のことは「知ったことじゃない」という開き直りがあるようです。そして、同じようなシチュエーションで、男性が「ごめん、俺幸せになるから」と言うことは殆んど考えられないでしょうね。 一方、昔の時代劇・「右門捕り物帳」(主役:杉良太郎・NET系列:現テレビ朝日系列)のエンディング「燃える男」(歌うのはもちろん杉良太郎)で、「男の生きがい」というような一節があり、いかにも悪を正す主人公の

    「幸せ」と「生きがい」〜両者を使用する頻度の男女差? - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/09/30
    [幸福という概念の捉え方には、男女差があると思う。女性は「幸せ」という言葉を好んで使うのに対し、男性はむしろ「生きがい」という言葉を好むと思う。ただ、最近では男性も「幸せ」という言葉を好むようだ。]
  • 男と女〜その微妙なバランス(リルケの混乱) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    以下挙げるのは、ブログ友達のCさん(仮に)の記事に、私がコメントしたものの抜粋です。 1)iirei 男という生き物は、冒険するために生まれてきている気もします。なにかと、遠くに行きたがる。危険も待っています。出生時には(確か)男:女=1.07:1.00位の比率ですが、結婚適齢期になると1:1になるのですね。その後は男の死に方は女より激しく、長寿なのはだいたいおばあちゃんであるということになりますね。この差は、危険な冒険が好きなことと、生物学的に女性のほうが強靭であるということによるのでしょう。(2014.07.02) 2)iirei フロイトの精神分析では、有名な「エディプス・コンプレックス」というのがあり、一人の女性・・・夫からみれば「」であり、男の子からみれば「母」である・・・を潜在意識の中で奪い合うという力動があるというのですね。 もしかしたら、お子さんと旦那さんが葛藤することも

    男と女〜その微妙なバランス(リルケの混乱) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/09/25
    [男と女の相互作用には面白いことが多い。例えば出生時1.05:1.00だった男女比率は結婚適齢期になるとほぼ1:1になる。ある意味数奇な人生をたどったリルケは、母の意向で8歳くらいまで女装させられた。]
  • 坂口安吾と「二流の人」〜黒田官兵衛が二流か? - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    黒田官兵衛特集 その2 戦後の日人に大きな影響を与えた「堕落論」の著者・坂口安吾。私も学生時代、この作品を読んでみたことがありますが、「生きよ、堕ちよ」というフレーズが印象に残っています。彼の略歴をwikiでみると 坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日小説家、エッセイスト。名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。新潟県新潟市出身、東洋大学文学部印度哲学倫理学科卒業。純文学のみならず、歴史小説、推理小説、文芸から時代風俗まで広範に材を採るエッセイまで、多彩な領域にわたって活動した。終戦直後に発表した「堕落論」「白痴」などにより時代の寵児となり、無頼派と呼ばれる作家の一人、その後の多くの作家にも影響を与えた。 そうです、この「無頼派」という作家群の頭目格の人物なのですね。確か、幼稚園に通っていたころ、「型に嵌めら

    坂口安吾と「二流の人」〜黒田官兵衛が二流か? - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/09/20
    [「堕落論」「不連続殺人事件」で有名な坂口安吾は、「二流の人」という、黒田官兵衛を主役とする短編小説を書いている。どうも黒田が「二流」であると言いたいようだが、私にはそのような見方は理解できなかった。]
  • 現在の大河ドラマは書き下ろしが多い(失敗作も) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    黒田官兵衛特集 その1 むかしのNHK大河ドラマは、原作である小説を脚化していたものが多かったです。第一作・昭和38年の「花の生涯」は船橋聖一さん、二作目「赤穂浪士」は大仏次郎(おさらぎ・じろう)さん、第六作「竜馬がゆく」は司馬遼太郎さん、といった具合に、ほとんどが原作の小説から取ってきて、脚にしていたのです。 その傾向が変わったのは、昭和55年放送の第18作目の「獅子の時代」からで、山田太一さんが原作・脚を手がけていました。これ以降は、脚家による書き下ろしが多くなっていきます。女性が主役のドラマには特に橋田寿賀子さんが目立ちます。 それはそれで良いのですが、脚家による作品には、当たり外れが多い、あるいはもっと言えば、失敗といえる作品が多いと考えます。たとえば、私が全く評価していない脚家の竹山洋さんの「秀吉」、「利家とまつ」は、噴飯物の惨めな作品ですし、最近では、脚家の田淵由

    現在の大河ドラマは書き下ろしが多い(失敗作も) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/09/15
    [現在の大河ドラマは、脚本家による書き下ろしが多い。以前は、小説家の小説を元にした当たり外れがないドラマ内容だったが、脚本家による作品には当たり外れが多い。特筆すべきは、竹山洋の作品は、不出来である。]
  • 山の恋歌はあるのか?(海のならいくらでもあるが) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    私とブログ上の知り合いのDさん(仮)がやったやり取りから、私の発言部分を挙げます。Dさんは、思い出に残る夏の歌といったテーマで綴っておられました。 私:ここで挙げられた曲では、山下達郎の「さよなら夏の日」、大瀧詠一の「君は天然色」、桑田佳祐の「波乗りジョニー」を知っています。私なら他に矢沢永吉の「時間よ止まれ」とか南佳孝の「モンロー・ウオーク」も挙げたいですね。いずれも海にまつわる歌。・・・そういえば、山にまつわる恋の歌って、あまりありません。 Dさんも、この見解に同意してくれました。海を舞台にしたラブ・ソングなら、松田聖子の「青い珊瑚礁」などをはじめとして様々な曲が思い浮かべられます。チューブの「シーズン・イン・ザ・サン」なども有名ですね。そのチューブが夏の曲を代表しているとすれば、ZOOなどが、冬スキーをやる若者に人気なバンドが冬の曲を代表していた、と言えるでしょう。 ZOO(ズー)は

    山の恋歌はあるのか?(海のならいくらでもあるが) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/09/10
    [海を舞台にした恋愛歌は多いが、山の場合は数少ない。思うにその理由は、「海」は母親のように人を引き付け、心を融合し易くし、「山」は父親のように人を排斥する。そこでは個人が直接山に向き合うことになる。]
  • 中国の傲慢さの起源:朱熹と王陽明〜格物致知を巡って - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    近世の中国のバックボーンになった新しい(ヌーヴェル・ヴァーグ)儒教。中でも朱熹(しゅき:朱子)と王陽明が重要です。四書五経のうち「大学」にある「格物致知:かくぶつちち」が後代の儒家に与えた影響は大きく、まずはこの言葉を分析すべきでしょう。(なお、「格物」・「致知」は、べつの意味のことばでしたが、朱熹がくっつけて新しい言葉にしたようです。また、四書のうち、「大学」と「中庸」は、礼記(らいき)から独立させた書です。) まず、朱熹(1130−1200:南宋の儒学者:朱子学の祖)においては、物事の筋目を推し量り、そして知に至るという意味が「格物致知」です。そして、「理」を重視します。それで、この際、老荘思想とか禅のように「頓悟:とんご」(突然に悟りに至ること)を設定する教えを否定し「漸悟:ぜんご」(経験を積み上げるようにして悟りにいたること)を肯定します。・・・この見解には私は不満で、秀才でしかな

    iirei
    iirei 2014/09/05
    [近世中国思想である朱熹の「朱子学」は、「理」に重きを置いた静的な思想であるが、一方「中華思想」の温床になった。一方王陽明の「陽明学」は「心」に重きを置いた動的な思想であった。吉田松陰に影響を与えた。]
  • 狂歌はなぜ衰退したのか? - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    現在でも、俳句・短歌および(俳句から派生した諧謔詩)・川柳は隆盛を極めているのに、短歌の派生諧謔詩・狂歌は廃れています。これはどういう訳なのでしょう?なかなか解りにくいので、ヤフー・チエブクロを参照してみました。 狂歌は江戸の天明期(1781〜1788)頃に隆盛した訳ですが、その頃から古典や漢籍の文学知識等を幅広く身に付けていないと、作ることも読むこともままならない物になってしまっていました。 そのため歌取りなどの技法を駆使して詠まれた狂歌などはもはや庶民には理解の出来ないものと見なされるようになり、新聞・雑誌なども取り合わなくなったため衰退していったものと思います。 現代に狂歌を再興するには、古典や漢文知識の修養という前提を取り払うなど、狂歌のあり方そのものを見直さなくてはならないのかもしれません。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/que

    狂歌はなぜ衰退したのか? - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/31
    [江戸時代に川柳とともに隆盛を見た狂歌は、現代においては、作る人とていない。その理由として、狂歌が短歌の「煩わしい」テクニックで作られるようになり、ついていけない庶民が増えたのも一因とされるようだ。]
  • 驚異の小国・サンマリノ共和国 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    イタリア中東部、内陸に位置するサンマリノ共和国は、とてもユニークな独立国です。概要についてwikiから引いてくると サンマリノ共和国(サンマリノきょうわこく)、通称サンマリノは、イタリア半島の中東部に位置する共和制国家。首都は国名と同じくサンマリノ市。周囲は全てイタリアで、世界で5番目に小さな国(ミニ国家)である。また、現存する世界最古の共和国である。 4世紀初め、マリーノという名の石工がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れ、この地に潜伏してキリスト教徒の共同体をつくったという伝説にちなんで、「聖(サン)マリーノ」が国名となっている。 イタリア半島北東部、周囲をイタリア共和国に囲まれた面積61平方キロメートルの小規模な内陸国で、海には接していないが海岸からの距離は23キロメートルにすぎず、国土全体が高台にあるためアドリア海を眺望することができる。イタリアのエミリア=ロマーニャ州のリミニ県と

    驚異の小国・サンマリノ共和国 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/26
    [イタリア半島北東部にある、八丈島くらいの大きさのサンマリノ共和国は、中世以来、強かに生き抜いてきた。イタリア統一者のガリバルディが迫ってきた時、サンマリノは彼に名誉市民の称号を与え、矛先を逃れた。]
  • 川瀬巴水〜〜手慣れた「絵の職人」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    石巻の暮雪 2014年初頭、千葉県在住のブログ友達・「白魔女」さん宅を伺うのに、空いた時間を千葉駅前でいろいろ歩き回り、千葉市美術館で今回話題にする版画家・川瀬巴水(かわせ・はすい)の絵の展覧会を観てきました。白魔女さん宅でのことは以下を。 http://d.hatena.ne.jp/whitewitch/20140117/1389976669 :スペシャルゲストご来訪〜! この人は、遅咲きの画家で、修行するには歳を取りすぎているという理由で鏑木清方(かぶらぎ・きよかた)に入門を拒否されましたが、その後、改めて弟子入りを申し込み、こんどは受け入れられたという経歴があります。彼の略歴についてはwikiから 川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)は、日の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。名は川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)。

    川瀬巴水〜〜手慣れた「絵の職人」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/21
    [大正・昭和期に活躍した浮世絵師・川瀬巴水は、日本での知名度はいまひとつだが、海外では北斎、広重と並び称されているらしい。ただ、彼の絵は技巧の巧みさは解るのだが、わくわくするような冒険心に乏しい。]
  • 断捨離(だんしゃり)〜「物」と「心」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    この断捨離という言葉は、「やましたひでこ」さんが発案し、流行語にもなり、あまりの反響に彼女は登録商標したそうです。 一種の「掃除術」「片付け術」ではあると思うのですが、やましたさんに言わせると、それに留まるものではなく、「物」とそれを所有する人の「心」との相互関係を見直すという意図のある行動なのだそうです。 やましたさんは、学生時代、ヨガを体験し、得るものが多かったそうですが、「(執着を)断ち、(執着を)捨て、(執着を)離れる」といったヨガの考え方が、断捨離を発案したきっかけになったそうです。 私が今手にしているは「これならできる断捨離 10のレッスン」、やました ひでこ、北林ちかこ 著・監修  北國新聞社(体1300円)ですが、家事一般、バス、トイレ、玄関、器、衣類、リビング、寝室、などのテーマが取り上げられ、断捨離の基が述べられています。 その中で、いわゆる「もったいないから

    断捨離(だんしゃり)〜「物」と「心」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/16
    [「やましたひでこ」さんが発案した「断捨離」は、たんに片付け・掃除のことを指すのみではなく、「物」と「心」の相互作用にまで遡り、その人間本人の生き方を見直すことに焦点を当てている。一度試す価値がある。]
  • 「風立ちぬ」〜宮崎駿最後(?)の作品 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    2013年に公開されたアニメ映画「風立ちぬ」をレンタルショップで借りてきて見てみました。 ここで取り上げる「風立ちぬ」の表題は、そのポール・ヴァレリーの長詩の一節から採られています。(「海辺の墓地」) Le vent se leve, il faut tenter de vivre. (風立ちぬ、いざ生きめやも。=風が立つ!・・・いまこそ生きなければならぬ!) (フランス詩集  浅野晃 編:白凰社 より) http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130315#1363342581 :堀辰雄と「風立ちぬ」  より さて、今回の映画は宮崎監督自身が「長編アニメとしては、私の最後の作品だ」と語っています。元々、マンガとして描いていた作品を、@鈴木敏夫がその後、映画化を提案したが、宮崎は作の内容が子供向けでないことを理由に反対していた。宮崎は「アニメーション映画は子どものため

    「風立ちぬ」〜宮崎駿最後(?)の作品 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/11
    [宮崎駿の「最後の長編・風立ちぬ」は失敗作だと思う。飛行機の設計にしか関心のない主人公・堀越二郎の前に現れた薄幸の女性・里見菜穂子によって、彼は異性への愛に目覚めるが、それは話のワン・ポイントだった。]
  • 手のない招き猫(散文詩)〜〜チョマの生の軌跡 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    1993年、 生き物には非情な態度をとってきた父が「ネコ」を飼うぞ、と言ったときには驚きました。「父のように冷淡な男がネコでもあるまい」、と思っていたのです。 初めてみたそのネコは当に小さなネコで「なんだ、このちびっこいやつは?」と思いました。 父が工場長をやっていた会社の事務員さんちで産まれた子の一頭に目をつけ、もらってきたのです。そしてこのネコは、片親に「スコティシュ・フォールド」を持つネコで、来耳が垂れるところが、ネコ人にはその特徴が現れていませんでした。 「チョマ」という名は父が付けました。なんでもエサをチョマチョマべる=ちよっとずつべるという意味なようです。それで別名「チョマコ」「ぐいつこたん」とも父は呼んでいました。 寝るときも一緒です。 そしてチョマは、キャットフード、たまに魚の刺身を与えられながら、成長していきました。 チョマの場合、決められた時間に出すべき御飯

    手のない招き猫(散文詩)〜〜チョマの生の軌跡 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/06
    [わが家の飼い猫・チョマは大きな体躯をしていて、暴君のように生きてきたが、ある時、左手首がねじ切れるように帰ってきた。そのため3本脚となった。私はチョマの肖像を描き、「手のない招き猫」と題名を付けた。]
  • ヤクザの禅〜黄檗・臨済の系譜:これで悟れるの? - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    過去、3回ほど書いてきた禅(中国の唐代)の傑僧特集の一つです。思い出したように書いています。今回取り上げるのは黄檗(おうばく)希運(?−856)と弟子の臨済(りんざい)義玄(?−867)の逸話です。(なお、黄檗は巨匠・百丈の弟子で、これまた巨匠であるIZAN(潙山:いざん)と兄弟弟子です。百丈は、二人の傑僧を生み出したのです。) 黄檗のもとで修行していた臨済、「悟り」までもう一歩のところで大きな壁にぶつかってしまいます。師の黄檗に聞いても、警策で打たれるだけ。これが何回か重なって、とうとう臨済は黄檗の元を離れようと決意しますが、黄檗は臨済に大愚という僧の元に行くように取り計らいます。 さて、大愚のところにきて、黄檗のところでの経緯を臨済が話すと、大愚は「お前は大ばか者だ。黄檗のお前に対する扱いは、まるでおばあちゃんが孫を可愛がっているようではないか」と言います。 この言葉を聞いた臨済、ふっ

    ヤクザの禅〜黄檗・臨済の系譜:これで悟れるの? - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/08/01
    [苛烈な師・黄檗に付いて行けずに暇乞いした臨済、大愚のところに行かされ、会話のなかでふっと悟り、黄檗の元に帰ってくる。そして師である黄檗に平手打ちをかますが、黄檗は大いに満足した。まるでヤクザの禅。]
  • 放射能の生物濃縮〜生物濃縮係数(CF値) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    放射能による生物濃縮について、我々は良く知らされてないように思います。3.11後、経産省原子力安全・保安院の西山某が、「(放射性物質は環境に出ても)薄まるから大丈夫」と言っていたのには、あきれると同時に怒りさえ覚えたものですが、水俣病(メチル水銀による)のメカニズムを解明し、「どんなに毒物が薄まっても、生物濃縮の結果べる際には高濃度に汚染される」と言うことを定式化した原田正純・熊大学医学部教授はこの西山の発言に「腰が抜けた」と言われつつ、亡くなられました。そこで今回は生物濃縮を追ってみようと思います。ただ、ネット上ではさほど情報が多くないので少ない情報源から書くことにします。まず東京大学理学部のHPから、生物濃縮係数(CF値)を引いてきます。 生態系における濃縮(生物濃縮) 永田 俊(大気海洋研究所 教授,生物科学専攻 兼任) 生物は外界からある物質を取り込み,同時にそれを体外に排出し

    放射能の生物濃縮〜生物濃縮係数(CF値) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/27
    [生物濃縮係数とは、水系における汚染物質が、魚介類の体内と環境の水とで平衡状態になった時の汚染物質の比率を意味する。それを見ると、放射性物質の値は結構低く、水銀、有機塩素化合物のほうが高くなるようだ。]
  • 「だから荒野」(桐野夏生)〜現代の「天の岩戸」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    当ブログによくコメントを書いてくれるレモンバームさんが言及されていた一冊。初版は2013年10月ので、毎日新聞に連載されていた作品を補筆して出版したもので、400ページあまりの大部な小説なのですが、すぐに読了してしまいました。小説には、こんな読みやすい作品もあるのか、という印象でした。 森村朋美は浩光(夫)と健太(長男)、優太(次男)との4人家族。朋美の誕生日パーティーを新宿でやったのですが、浩光のあまりの思いやりのなさ、デリカシーのなさに愛想が尽き、場を一人後にし、散々浩光の足をさせられた自動車に乗り、ふらっと「失踪」してしまいます。(朋美の誕生日なのに、浩光は自分が飲むことばかり考え、朋美の飲酒は止めさせ、ドライバーにする魂胆だったとか) 車の中を検めると、浩光のゴルフバッグのなかに、知らない女性の連絡先とコンドームが一杯詰まったポーチを発見し、嫌悪感を覚えます。そして朋美のことを気

    「だから荒野」(桐野夏生)〜現代の「天の岩戸」 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/22
    [桐野夏生の「だから荒野」は、デリカシーのない夫を見捨てて逃避行する・案外逞しい妻のお話。情けない夫に比べとてもポジティブだ。彼女はとおく長崎の地で「楽園」を見出すが、家庭に戻ってくる「これが沃野?」]
  • http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140717

    iirei
    iirei 2014/07/17
    [「アジアの歌姫」テレサ・テンは、日本でも認知されているがアジア全域で都合1億枚レコードが売れたことで有名。彼女は北京語、広東語、日本語など数か国語に堪能な才女。中国の行く末を心配していたという。]
  • 石垣りん〜生活の詩 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    かつて、私が東大学力増進会(現役東大生、OB、東大中退者などの共済のために存在していた、中学生対象の、夏季とか受験間際などの時期に講習会をする組織)の国語科講師だったとき(理科系なのに国語科に採用されたというわけですが)、以下の詩が教材になっていて、大変にインパクトを受けました。 シジミ 夜中に目をさました。 ゆうべ買ったシジミたちが 台所のすみで 口をあけて生きていた。 「夜が明けたら ドレモコレモ ミンナクッテヤル」 鬼ババの笑いを 私は笑った。 それから先は うっすら口をあけて 寝るよりほかに私の夜はなかった。 この詩は、人間が殺生をしつつ生きていることの恐ろしさを詠った詩だと思いますが、ごく普通の生活の奥に潜む恐怖というものをよく捉えていると思います。皮肉なのは、この詩の第11連「うっすら口をあけて」という言い回し、明日の朝にはシジミ汁になるシジミたちと同様に、詩人が「口をあけて

    石垣りん〜生活の詩 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/12
    [戦前の教育を信じて疑わなかった純真な少女は、戦後それらの嘘に直面し、詩人としての一歩を踏みだした。彼女の詩は、深く日常生活の恐るべき深層をえぐるようで、「生の根源に迫る体のものであった。]
  • 「かわいい」という言葉の美学 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    私はかれこれ12年ほど前、主に阿蘇山を見たくて九州を旅行したことがあります。阿蘇山麓南側の白川地区で一泊しましたが、さすがNHK、関東近辺と同じように、「課外授業ようこそ先輩」を放送していました。(このころのテーマソングがル・クプルの「縁は異なもの」というお気に入りの曲でした。)・・・前置きはさて置き。 この回のテーマは「かわいいものを見つけよう!」というもので、コピーライターかなにかをやっている女性が「先輩」でした。そうして、「かわいい」ものを探してみると、あるは、あるは・・・続々と「かわいい」ものが挙げられたのです。そのとき挙げられた「かわいい」ものの詳細は忘れてしまいましたが、「まさか、こんなものまで!」といったものも「かわいい」のでした。 「かわいい」といえば、もとヤクザの国会議員・故・浜田幸一さんのようなコワモテの人を指して、女の子たちが「かわいい!」と言っていたこともあります。

    「かわいい」という言葉の美学 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/07
    [現代の日本女子の造語力はスゴイ。「かわいい」という言葉などは、「kawaii」として、海外でも通用する。平安期の「をかし」「あはれ」など今でも通用する言葉を生み出したのも、清少納言、紫式部たち女性文学者だ。]
  • 自民党と公明党が仲良しな訳 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    以下は、「小沢一郎」についてのwikiからの引用(抄)です。 竹下派、特に金丸の意向によって1989年8月に成立した第1次海部内閣では金丸の推薦により47歳の若さで党幹事長に就任。金丸・竹下とともに、政権の実質的な実力者となり、ねじれ国会下で公明党など野党とのパイプを駆使して国会対策にあたった。 (中略) 細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党書記長の市川雄一とともに政権の主導権を握ろうとし(一・一ライン:一郎と雄一から一の字を一文字づつ取って/筆者注)、官邸主導の政治を目論む内閣官房長官の武村正義と激しく対立した。 (中略) 1999年10月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立した。自民、公明両党で参院の過半数を抑えることになったため(野中らは公明を引っ張るために、自由党と連立を組んだという事情もあった)、政権内部での自由党の存在

    自民党と公明党が仲良しな訳 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/07
    [自民党と公明党がつるんで与党の座にあるのは、もとはと言えば小沢一郎と公明党の市川雄一の「一・一ライン」というつながりが元になっている。公明党を与党にさせた小沢自身は、すでに国民への訴求力を失った。]
  • 小田真規子の缶詰料理・干物料理 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

    @干しナスの煮びたし 私の近くの畑で昨夏に農家が栽培していたナスに、たくさん収穫しなかったナスが干からびていたのを見て、これは美味しそうだと、ナスを買ってきて2個を縦に切り魚干し網で4,5日 乾かし、改めて吸水させて、煮びたしにしました。そうとう縮んでいたとは言え、その分、味が濃縮されていて美味でした。 (2014.03.31) http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140404 より この料理に先立ち、私は、NHKなどで紹介されていたと、弟が言っていたので、缶詰イワシの卵とじを作っていましたが、図書館でこのような、缶詰とか干物の料理がないかな、と物色していたところ、小田真規子(おだ・まきこ)さんがそのような料理を複数出していることが解り、2冊ほど借りてきました。 一冊目が「すぐにおいしい!缶詰・乾物レシピ」(PHP:2012年初版)で、そのうち27Pのオイル

    小田真規子の缶詰料理・干物料理 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
    iirei
    iirei 2014/07/02
    [料理研究家の小田真規子さんは、じつにさまざまな料理本を出版されているが、私は缶詰料理・乾物料理の語り部として、彼女を認識した。「まあまあかな?」と何となく食べていた食材を再発見させてくれる。]