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2014年10月4日のブックマーク (4件)

  • 陶淵明 - Wikipedia

    陶 淵明(とう えんめい、興寧3年〈365年〉[1] - 元嘉4年〈427年〉11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明[2]。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。尋陽郡柴桑県(現在の江西省九江市柴桑区)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。陳寅恪の研究によると、現在の湖南省にある五渓蛮出身[3]。 生涯[編集] 陶淵明の四言詩「子に命(なづ)く」によると、その祖は神話の皇帝、帝堯(陶唐氏)に遡るという。祖先は、三国呉の揚武将軍陶丹であり、陶丹の子で東晋の大司馬・長沙郡公陶侃は曾祖父にあたり、祖父の陶茂は武昌郡太守となったというが、詳しい事は不明である[4]。母方の祖父には孟嘉がいる

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  • 視点・論点 「詩人・谺雄二の生涯」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

    文芸評論家 若松英輔 今日は、今年五月十一日、八十二歳で亡くなった谺(こだま)雄二さんという人物をめぐって、少しお話させていただきたいと思います。 谺さんがハンセン病になったのは七歳のときでした。谺さんは「ハンセン病違憲・国賠訴訟・全国原告団協議会」の会長を長くつとめるなど、ハンセン病をめぐる社会活動家としても大きな足跡を残しました。この組織は、ハンセン病患者が不当に受けなけなくてはならなかった差別、あるいは社会的な不利益の撤廃を訴えることを目的としています。 社会運動家であると同時に谺さんは、大変優れた詩人でもありました。今年の三月に谺さんは『死ぬふりだけでやめとけや』という詩文集を出しています。このには彼の詩やエッセイと並んで、社会的な発言も収録されています。 このがまざまざと示しているように詩人であり、社会活動家でもあるということは、彼の中では分かち難く結びついていました。

    視点・論点 「詩人・谺雄二の生涯」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
  • 視点・論点 「生誕100年 立原道造」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

  • 視点・論点 「シリーズ戦争と若者・竹内浩三の詩」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

    詩人・作家 蜂飼耳 終戦から69年目の夏を迎え、今年も各地で、戦争の記憶にかかわる催しなどが開かれています。日の安全保障をめぐって、さまざまな議論が飛びかっていますが、どのように考え、どんな方向を選ぶことが、よりふさわしいのか、慎重に考えていきたいと思います。 戦争で命を落とした多くの若者たちの中に、竹内浩三という人がいます。陸軍の兵士としてフィリピンのルソン島に送られ、1945年4月9日の戦闘で命を落とした、と伝えられています。映画漫画が好きで、いずれそういう方面で仕事をしたい、できれば自分の母校の先輩である小津安二郎のように映画監督になりたい、と将来の夢を思い描いていた一人の若者です。ですが、戦時体制の中、いやおうなく国の方針に従うこととなり、23歳で人生を閉じることになりました。 1921年(大正10年)、三重県宇治山田市・現在の伊勢市で、呉服屋のうちに生まれた竹内浩三は、十

    視点・論点 「シリーズ戦争と若者・竹内浩三の詩」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK