詩人 小池昌代 一月十五日、詩人の吉野弘さんが肺炎のため、八十七歳でお亡くなりになりました。 わたしがこの詩人の詩を初めて読んだのは、中学生のころでした。代表作といっていい「夕焼け」をご存知ですか。始めのところを少し引用してみます。 電車は満員だった。 そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。 うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。 そそくさととしよりが坐った。 礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 詩では、この状況がもう一度繰り返されます。つまり、また、別のお年寄りが娘の前に現れ、娘はまた、立ち上がって席をゆずる。そして二度あることは、というように、また新たなお年寄りが彼女の前に現れます。けれど三度目のとき、娘は、うつむいたまま、席を立ちませんでした。なぜでしょう。わたしにもよくわかりません。娘のなかで何かがくじけたのかも
詩人 長田 弘 9月の末のある朝、ふと懐かしい香りを覚えて香りのするほうを見ると、家の金木犀の木の緑の塊の中に金色の小さな花が散らばっているのが気づきました。同じ日、しばらくして知り合いから「すっかり秋の気配、近くの公園の銀杏が色づきはじめ、今日はじめて金木犀の香りに気づきました」というメールが届き、いつもの毎日の散歩に出ると道すがらの金木犀の、今まではずっとただただ緑の大きな塊だった中に、昨日まではなかったのに金色の破片のような花々が、あっちにもこっちにも無数に散らばって金木犀独特のほのかな良い香りを漂わせていました。 またその夜、金木犀が東京で一斉に咲き出した日の夜に、別の知り合いの90歳を超えたお母さんが亡くなられたことを知り、金木犀の花の香りに迎えられて亡くなられたんだというような不思議な感慨を覚えました。金木犀は空気の綺麗な場所でよく花をつけると言われます。これからの巡り来る年
文芸評論家 若松英輔 今日は、今年五月十一日、八十二歳で亡くなった谺(こだま)雄二さんという人物をめぐって、少しお話させていただきたいと思います。 谺さんがハンセン病になったのは七歳のときでした。谺さんは「ハンセン病違憲・国賠訴訟・全国原告団協議会」の会長を長くつとめるなど、ハンセン病をめぐる社会活動家としても大きな足跡を残しました。この組織は、ハンセン病患者が不当に受けなけなくてはならなかった差別、あるいは社会的な不利益の撤廃を訴えることを目的としています。 社会運動家であると同時に谺さんは、大変優れた詩人でもありました。今年の三月に谺さんは『死ぬふりだけでやめとけや』という詩文集を出しています。この本には彼の詩やエッセイと並んで、社会的な発言も収録されています。 この本がまざまざと示しているように詩人であり、社会活動家でもあるということは、彼の中では分かち難く結びついていました。
詩人・作家 蜂飼耳 終戦から69年目の夏を迎え、今年も各地で、戦争の記憶にかかわる催しなどが開かれています。日本の安全保障をめぐって、さまざまな議論が飛びかっていますが、どのように考え、どんな方向を選ぶことが、よりふさわしいのか、慎重に考えていきたいと思います。 戦争で命を落とした多くの若者たちの中に、竹内浩三という人がいます。陸軍の兵士としてフィリピンのルソン島に送られ、1945年4月9日の戦闘で命を落とした、と伝えられています。映画や漫画が好きで、いずれそういう方面で仕事をしたい、できれば自分の母校の先輩である小津安二郎のように映画監督になりたい、と将来の夢を思い描いていた一人の若者です。ですが、戦時体制の中、いやおうなく国の方針に従うこととなり、23歳で人生を閉じることになりました。 1921年(大正10年)、三重県宇治山田市・現在の伊勢市で、呉服屋のうちに生まれた竹内浩三は、十
日本文学史に名を残した文豪たちの怪談を、ドラマとドキュメンタリーで構成する4本のシリーズ。世界でも評判の高い4人の映画監督が、知られざる文豪の妖しき世界を描いていく。『妖しき文豪怪談』8月23日(月)夜10時から4夜連続、デジタル衛星ハイビジョンで放送。怪しき文豪怪談 | 8月23日(月)夜10時から4夜連続、デジタル衛星ハイビジョンで放送。 日本文学史に名を残した文豪たちの怪談を、ドラマとドキュメンタリーで構成する4本のシリーズ。 世界でも評判の高い4人の映画監督が、知られざる文豪の妖しき世界を描いていく。 8月23日(月) 夜10時から、デジタル衛星ハイビジョンで放送。 1982年、伝説の雑誌『幻想文学』を創刊。2003年の終刊まで編集長を務めるかたわら、怪談・ホラー・幻想文学ジャンルのアンソロジスト、文芸評論家としても活動。2004年、メディアファクトリー発行の怪談専門誌『幽』編集長
本にとって、装丁は顔であると同時に、営業上の重要な意味を持つ。すなわち、書店の店頭で客の目を引き、思わず手に取らせる、広告としての役割である。編集者たちは、「鈴木の作った表紙は、なぜか目に飛び込んでくる」と口をそろえる。どの本も、客の目を引くために必死のくふうを凝らしている中で、なぜそのようなことが可能なのか。鈴木は、その極意をこう説明する。「不要な要素をそぎ落とし、徹底的に本の個性を削り出すことしかないと思う。どんな本であれ、その内容は新しいはず。ならば今までの本と何が違うのか、その個性こそがウリになるはずだと思います。」鈴木は、自分の色を出すことを嫌う。自分を殺し、本の個性に特化するからこそ、内容を凝縮した、多様なデザインが生まれるのだ。 鈴木は、タイトルの文字の1画1画、その形にまでこだわりぬき、決して妥協することはない。その作業は、時に数日にも及ぶ。それはなぜか。鈴木はこう説明する
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年08月12日 (火)視点・論点 「なぜ今 ドストエフスキーか」 作家・麗澤大学教授 松本 健一 松本健一でございます。 今日は、「今なぜドストエフスキーか」という話をしたいと思います。 一昨年あたりからドストエフスキー、特に「カラマーゾフの兄弟」を中心とする作品がたくさん読まれて、一種のブームに近い状況が現れてきました。これはなぜか、今なぜなのかということを、ドストエフスキーのカラマーゾフとは何なのかということを中心に、お話ししたいと思います。 アンジェー・ワイダさんに言わせると、ポーランドではドストエフスキーというのは人気がないんですね。なぜかというと、あの作品の中には、一種のロシア民族主義というふうな主張が非常に濃くて、ポーランドのことを「ポリシ」というふうに呼んだり、「ロバのしっぽ」というふうな罵倒をした言い方があった
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<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2007年11月13日 (火)視点・論点「変わった人」 詩人・長田 弘 変わった人とされる人が、かつて社会にはいました。変わった人というのは、今はすぐにも不審な人とされてしまいがちですが、かつてはそうではありませんでした。 変わった人というのは、その人を退ける言葉、あるいは排除する言葉、そういうものではなくて、むしろ人生に対する態度や姿勢、それが人とは違った人をいう言葉で、それは違う価値を持った人を、むしろ尊重するような思いも含んだ言葉でもありました。社会の多様な価値を、さまざまな仕方で独自に体現していた変わった人。古来、文学の魅力を形作ってきたのも、そういう変わった人たちの物語です。 なぜなら、変わった人というのは必ずしも部分であったり、孤立した現象とは限らないばかりか、むしろ変わった人こそ全体の核心をはらみ、同時代のほかの連中の
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