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danceとcriticに関するinmymemoryのブックマーク (5)

  • 浅田彰【フォーサイスの現在】

  • 浅田彰【フォーサイスの衝撃――21世紀のバレエに向かって】

    すべてが閉塞状況にあるこの世紀末にあって、これほどの創造力の横溢を見ることができるとは! ウィリアム・フォーサイスの率いるフランクフルト・バレエ団は、公演のたびにそんな驚きを味あわせてくれる。前回、1996年の来日公演で披露された「エイドス:テロス」は、過激なマルチメディア・パフォーマンスだった。それがいわばディオニュソス的な爆発だったとすれば、その後のフォーサイスはアポロン的なエクスタシーに到達したと言ってよい。こうして、この2月の来日公演で披露された近作では、何もない空間(だが、「何もない空間」をつくりだすために、なんと完璧なセッティングやライティングがなされていることだろう!)に置かれたダンサーたちが、恐るべき超絶技巧をひたすら淡々と展開してゆくのである。突き詰められた思考と極限的な身体技術との完璧な出会い。20世紀も最後になってついに古典と呼ぶに足る表現を獲得したと言えるのではなか

  • 浅田彰【ピナ・バウシュの魅力】

    去る(1999年)5月22日から6月16日まで行われたピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の日公演は、4演目からなる充実した内容で、この希有の振付家がほとんど独力で築き上げたタンツテアター(ダンス・シアター)の世界を満喫させてくれた。 とくに、グルックのオペラをそのままダンスにした『タウリスのイフィゲネイア』(1974年)が上演されたことは、それがヴッパタールでの最初の大作であるだけに、ピナ・バウシュの全体像を捉え直す上で重要な出来事だったと言えよう。このマイスターヴェルク(修業の総仕上げとなる作品)で、彼女はそれまでに学んだドイツの表現主義舞踊やアメリカのモダン・ダンスを見事に集大成してみせる。いや、それだけではない。実のところ、ギリシア悲劇に基づく物語には、たとえばイフィゲネイアの弟の、父を殺した母に寄せるアンビヴァレンスや、それと裏腹になった友人との同性愛的感情など、かなり際どい内容

  • 浅田彰【そしてダンスは続く――ピナ・バウシュの軌跡】 : 批評空間

    去る1998年10月9日から31日まで、ヴッパタールの町は時ならぬ祝祭気分に包まれた。ピナ・バウシュがこの町のタンツテアターの監督になって25年になるのを記念するフェスティヴァルが開かれたのである。そこでは、彼女の作品八つが再演されたほか、世界中のアーティストたちが彼女のために舞台に立った。27日には、アンヌ・テレサ・ド・ケースマイケル、ミハイル・バリシニコフとともに、ウィリアム・フォーサイスもヴッパタールを訪れ、現代のドイツを代表する二人のコレオグラファーが顔をそろえる歴史的なシーンがあったらしい。私は残念ながらそれに立ち会うことができなかったのだが、フェスティヴァルの最後の二日間ヴッパタールに滞在し、『パレルモ、パレルモ』と『フェンスタープッツァー』を観ることができた。 だが、まずは最初から始めなければならない。その点、今回のフェスティヴァルや来日公演(1999年)のプログラムに『タウ

  • 三浦雅士 - Wikipedia

    三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て評論家に。文学、芸術、思想を中心に批評活動を展開する。著書に『メランコリーの水脈』(1984年)、『小説という植民地』(1991年)、『考える身体』(1999年)、『人生という作品』(2010年)など。 来歴・人物[編集] 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業[1]。 1969年、青土社創業とともに入社[2]、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。1981年から文芸評論家となり、『メランコリーの水脈』でサントリー学芸賞を受賞。 『現代思想』編集長として、浅田彰に『構造と力』のもととなった連載を依頼す

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