ブックマーク / docseri.hatenablog.jp (28)

  • オンセ向きのWebサーヴィス、オンセ向きのシステム - 妄想科學倶樂部

    TRPGでは人・時間・場所の確保が結構な障害になる。放課後を自由に使えた学生時代ならいざ知らず、メンバーが社会人になってしまうと休日ぐらいしか時間がなく、家庭を持つとそれすら難しい。 でもオンラインなら、結構なんとかなる。場所は各自の自宅、時間は週末の夜。人数も、その時都合の付くメンバーだけでもやれないことはない。 そんなわけでオンラインでのセッションというのはかなり増えてるんじゃないかと思う。でも、オンラインセッションをやるためにはそれなりの準備が必要だし、システムにも向き不向きがある。 そろそろ、RPGオンラインセッションに特化したWebサーヴィスや、オンラインセッションに特化してデザインされたRPGシステムが出てきても良い頃じゃないだろうか。 RPGをオンラインで行なうために必要なものとは何か。 ひとつは、メンバー全員が相互に発言を配信する環境。これはまあ、チャットシステムがあればい

    オンセ向きのWebサーヴィス、オンセ向きのシステム - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2010/04/20
    全般:オンセ向きのWebサービスやシステムの御話
  • ホラーのメタ構造 - 妄想科學倶樂部

    ホラーというジャンルはなかなか特殊で、感情移入ではなく恐怖の敷衍という形で読者に浸透する。 身の毛も夜立つ怪物の描写に恐怖するのではない。登場人物の悲惨な運命に同調するのでもない。その世界を受け入れるならば、自らの身にもまた恐怖は忍び寄るのだということに思い至って戦慄するのだ。 ホラーに於ける最大の恐怖とは、「未知」である。なんだか判らないから怖い。判ってしまった瞬間、それは恐しげな何かではあっても恐怖の対象ではなくなる。 あるいは、こう言い換えてもいい:それは「対処方法がわからないからこそ怖いのだ」と。 例えば── SIRENというホラーゲームがある。日の閉鎖的な田舎村を舞台としたゾンビもので、その恐怖感には定評がある。 SIREN PlayStation 2 the Best 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント発売日: 2005/11/02メディア: Vide

    ホラーのメタ構造 - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2010/01/10
    全般:ホラーの御話。感情移入ではなく恐怖の敷衍という形で読者に浸透する等
  • コンピュータRPGのボス演出 - 妄想科學倶樂部

    どうもボス戦が嫌いで、面白いRPGでもそれを機に止めてしまうことが多い。 面白みがないのだ。 RPGに於けるボスというのは「強大な存在」だ。そこらの雑魚と違って数ターンで決着するようなものであってはならない。攻撃を悉く跳ね返し、痛烈な一撃で以てPCをピンチに陥れる。そういう代物として描かれる。とりわけラスボスの存在価値は極めて大きく、その分だけ苦しみも大きい。 が。 プレイヤーを苦しめてどうするのか。いや「乗り越えるべき障害」としての存在感が必要だというのは良い。しかし乗り越えようとする行為が単なる苦行であっては、エンタテインメント失格ではないだろうか。 典型的なラスボス戦というのは、例えば強烈な全体攻撃や殆どの攻撃を無効化する防壁、状態異常の多用や強化の消去など多彩な手段を以てこちらの常套手段を悉く封じて見せ、あるいは無数の雑魚を召喚し続けて手数で圧倒し、また倒したと思ってもより強力な第

    コンピュータRPGのボス演出 - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/09/06
    CRPG:ボス戦に面白みが無いという御話
  • 中核部品としてのゲームマスタ - 妄想科學倶樂部

    ぼくは部品から考えるようにしています。結論からいうと、GMという部品こそが、TRPGの核だと考えています。腑に落ちた。 なるほど、そう言えばそうだ。いや、ある意味自明過ぎて見落としていたというか。 RPGから様々な要素を取り除いてみたり、他のゲームとの境界線を模索したりはしていたのだが、このアプローチは巧く行かなかった。 ロールプレイは様々なゲームに片鱗を見て取れる。コンピュータゲームでもゲームとしての質的な部分とはあまり関係ないのにロールプレイ的なプレイが可能であったり、ボードゲームなどでもプレイ中に「登場人物としての台詞」が出るようなことは珍しくない。中にはLast Night on Earthのように一人1キャラを担当する非常にロールプレイングなものもある。 では「プレイヤーがストーリーを作る」要素は?選択肢を選んでストーリーを読み進めるアドヴェンチャーゲームだってプレイヤーの介在

    中核部品としてのゲームマスタ - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/06/14
    メカニズム:ゲームマスターをTRPGの部品として捉え考える御話
  • TRPG論考:冒険者の報酬 - 妄想科學倶樂部

    ファンタジーRPGではPCの基的立場は大抵、「雇われて危険な仕事をこなす」冒険者だ。傭兵に近いが戦争を生業とせず、(ファンタジーならではの)人間に仇なす危険生物を狩ったり古代遺跡の盗掘を行なったりと、まあそれなりにヤクザな商売である。 こうした「冒険」の相場というのはどうもかなり適当に決められている節があって、冷静に考えるとかなり変なバランスになっているような気がする。例えば国産ファンタジーRPGの代表格であったソード・ワールドでは基的な報酬相場が大体1人あたり1000ガメル〜となっていた。ガメルは基通貨である銀貨を表すが、中世のそれと違いごく小さなもののようで(当初20g/枚だったが、後に通貨以外の使い道を塞ぐ目的で2g/枚に改鋳)、従ってその価値も相応に小さく、事や宿賃などの価格設定から判断する限り1ガメルあたり精々100円程度の流通価値に思われる*1。ということは、冒険者は1

    TRPG論考:冒険者の報酬 - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/04/13
    全般:冒険者の報酬について
  • TRPG情報戦ルール(案) - 妄想科學倶樂部

    これまでのRPGでは不可能だった遊び方の拡張を提案する。 「情報戦」とは、要約すれば「複数の敵対的存在が互いに相手の肚の内を探る」行為である。パーティと利害を異にする人物/組織/人外の存在や、場合によっては対立するPC間でも行なわれる。更に言えば1対1とも限らない。 いや、こういうシチュエーションそのものは別段、従来のゲームでも不可能ではなかった。ただしそれらはあくまでシナリオとして規定すれば、であってゲームのルールとしての規定ではない。例えば予めシナリオ作成者が「PLがこういう行動を取った場合には敵対組織がこういう行動を取る」のように制定しておくことによってのみ再現されていたのであって、全能のGM対PLの図式であればそれはそれで良かったが必ずしもPC同士が協力しない新世代型RPGにあっては「PC間に起こり得る状況をルール上公平に処理できない」ことになりかねない。 では情報戦のためにはどの

    TRPG情報戦ルール(案) - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/04/13
    メカニズム:情報戦ルールの案
  • TRPGシナリオ分類について考える - 妄想科學倶樂部

    シナリオの構成については私が語らずとも多くの研究事例があるかとは思う。古くは舞台の構造による分類(ダンジョンアドヴェンチャー/シティアドヴェンチャーなどといった)が中心的だったが、これは舞台以外の点では構成が似ていた(その背景にはシステム自体の構成についての類似がある)からだろうか。 近年の事例を見るにシナリオ構造というかシステム構造に伴うシナリオ型による分類が多いようだ。それだけシステムがシナリオ型に合わせ特化してきたということだろう。ダンジョンアドヴェンチャーに特化したシステム(迷宮キングダム)や人気のストーリー主導型に特化したF.E.A.R.の各システムなど、RPGの形そのものが多様化している。 今回はあまりシステムに依拠しないシナリオ構造の大雑把な分類枠を考えてみた。 ストーリー主導型 1のストーリーを中核に置き、PCたちがそこに絡む形。ストーリーさえ決まれば作り易い、プレイヤー

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    inouekari 2009/03/30
    メカニズム:TRPGシナリオを大別する御話
  • 『クトゥルフ神話ガイドブック』ガイドブック - 妄想科學倶樂部

    id:amamako ラブクラフトネタ理解したいけど何処で仕入れればいいのか…… id:feita クトゥルフ神話って全く知らないんだけど(なんか沙耶の唄と関係あるんだっけ?)結構オタクの常識なのか・・・? 「オタクの嗜みとして知っておきたいけどどこから入ったらいいか判らない」という声は結構あるようなので、ラヴクラフトも直系作家も読んだことないけどゲーム漫画、解説書の類で知識だけは溜め込む私が入門書を解説してみようかと思う。 実はガイドブック類についてはクトゥルフ資料 - 妄想科學日報で解説済みなんだけど、あれから増えた分やガイド以外の教も含めて再度紹介する。 国内のクトゥルフ関連作品 最初に、日ゲーム漫画小説などでクトゥルフ神話に関連する作品をリストアップする。この中に触れたことのあるものがあるなら、あなたはもう既にクトゥルフ神話の入口を覗いている。取り上げ方は様々で、クト

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    inouekari 2009/03/14
    クトゥルフ:入門書の解説
  • RPG情報収集処理考(2) - 妄想科學倶樂部

    ここ暫く情報収集システムについて考えていたのだが、ロールプレイ的/ボードゲーム的という単純アプローチに限界が見えたので別側面から考えてみることにする。 RPGに於ける情報収集というのは、ゲームレヴェルでは2パターンに分類できる:その後に控えるフェイズのための準備としての意味と、情報収集過程それ自体を中核に据える場合である。 前者は例えば戦闘準備として敵を偵察するなど。やりようによってはこの部分を膨らませることも可能だが、あくまで準備段階なのでやりすぎるとダレる。むしろここは抽象的に、システマティックに処理することでさらっと流し、後半の山場に備えるべきだろう。 この方式では、あくまで事後に備えたリソース準備としての情報収集に過ぎないので、目標までの経路は明らかになっていても良い。いっそ「情報点xポイントごとに情報をひとつ買える/資材点yポイントごとにアイテムをひとつ入手」のように、もう「何の

    RPG情報収集処理考(2) - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/02/16
    メカニズム:情報収集の御話
  • TRPG表紙議論 - 妄想科學倶樂部

    ルルブの表紙問題についての三つの立場 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むでざっくり纏められているけれど。 好みの問題はさておき、気になるのは「萌え絵表紙の隆盛は需要の現れではないか」説。まあ半分ぐらいはその通りかなとも思う。 半分、というのは「萌え絵を好むユーザが多い」のと「萌え絵を表紙にした方が有利」は必ずしも一致しないから。 全部のルールブックを知ているわけではない(というより、近年主流のアニメ調表紙系はほとんど触れてない)ので印象論になってしまうが、そうしたゲームはまずシステムからしてライトノベルやアニメなんかで多そうなキャラクターの再現に主眼を置いた作りになっているように見える。かつてエルジェネシスあたりではかなり露骨に「どこかで見たようなキャラの」テンプレートが満載だったように記憶しているが、そうした需要というのは確かに一定割合であるだろうと思う。 そのような見地からはア

    TRPG表紙議論 - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2009/02/02
    全般:萌え絵を好むユーザが多いのと、萌え絵を表紙にした方が有利なことは、必ずしも一致しないという御話
  • ロールプレイを支援しないシステム - 妄想科學倶樂部

    ボードゲーム的なリソース管理システムを考えているうち気付いたことだが、どうやら私はロールプレイを支援するシステムに否定的らしい。 実のところリソース管理型のゲームというのは過去にも複数の事例があり、例えばその顕著な例のひとつが初代「天羅万象」だったりするのだが、私はこのゲームが酷く苦手であるためすっかり意識から抜け落ちていた。 天羅の基的なシステムというのは大体下記のようなものだ(記憶だけで書いているので誤認あればご指摘頂きたい)。 PCはそれぞれに(主としてトラウマから成る)行動原理「因縁」を持つ 因縁に即したロールプレイを行なうことで「気合い」を溜めることができる 気合いを消費することで能力のブーストアップやダイス数の追加などの効果を得る 消費した気合いは業となり蓄積する。業が上限値(初期は108)以上蓄積すると修羅に堕ちる(キャラクターロスト) 新たな因縁を「購入」することで業を消

    ロールプレイを支援しないシステム - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2009/02/02
    メカニズム:ロールプレイ支援システムの御話。ロールプレイを支援してしまうということは、逆にロールプレイを伴わない選択を否定することでもある等
  • TRPGに足りないゲーム要素 - 妄想科學倶樂部

    RPGゲームマスタがゲームをデザインするためのツールである」的なことを指摘したのは馬場氏だったか。そういう観点で見ると、なるほどRPGとは行動の制限だけが規定され初期状態や目的をGMが補完することでゲームとして完成することを楽しむメタな遊びと見える。意識してそのように運用することで、ゲームとしての質を高めることができるだろう。 しかし実際のところ、GMが意識的に運用してなお、RPGにはまだまだゲームとしての要素が不足している。今日はその辺りの話を少々。 判定に意志決定を 以前からずっと、ほぼあらゆるRPGに共通して感じていた不満が「判定部分で意志決定が活きない」ことだった。 大体のゲームでは判定の基準値は予め能力値や装備から算出済みの固定値を使用し、あとは出目次第という方式になっている。キャラクターの行動(=プレイヤーの意志決定)によりどの能力値を使って判定するかといった違いはあるもの

    TRPGに足りないゲーム要素 - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2009/01/27
    メカニズム:意思決定における、いわゆるゲーム性の御話
  • 真剣と荒らしの間 - 妄想科學倶樂部

    プレイスタイルというのは主義の問題であって強要するようなものではないが、一方ではスタイルについてある程度の共通認識がないとプレイが(互いに)やり難くなる。全身全霊傾けた真剣勝負を望む向きには私のようなファンブック使いは冒涜的ですらあろうし、私からしても機先を制されてコンセプトがまったく発揮できずに終わりそうな真剣師との戦いは望ましくない。 ところでファンブックというのはなかなかに危うい存在である。 ゲームには「全員が全力で勝ちを目指す」という前提があってバランスが設定されているので、一人でも勝ちを目指さない人がいるとそれが崩れる。徹底的な合理化の結果として「単純な最適解はAだが裏をかくためにBを選択する」ような、敢えて定石を崩すプレイはありだが、単に「こうすることで自分には何の得もないがトップが困るだろう」なんてことをするのは只の荒らしだ。 しかし、プレイの上では最善を目指しているとしても

    真剣と荒らしの間 - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2008/11/14
    メカニズム:取り組む姿勢という観点から、プレイスタイルのシステムへの影響 を考える御話
  • TRPG判定処理の問題として - 妄想科學倶樂部

    TRPGは面白い遊びだが、ゲームとして見るとあまり出来が宜しくないことが多い。これは無論「ルールだけ規定してゲームデザインはユーザ任せ」という性質にも起因するものだが、それ以前にルールとして、ゲーム性を支援する方向にないのが問題なのではないかと思う。 例えば行動判定に於いて、大半のゲームでは単純な乱数を利用する。それ自体は別に構わないのだが、成否の基準値を明示的にコントロールする術がないのだ。一応、ゲームマスタ用の指針として「難易度ごとの目標値」などが定められてはいるものの、「この行為の目標値はいくつ、リソースをこれだけ消費すればいくつまで下げられる」などという明確な基準が示されるものはまずない。だから、 「ゴブリンAを攻撃します」 「じゃあ戦闘スキルで判定。目標値は10」 「命中、ダメージ5点ね」 みたいな味気ない処理になってしまう。 それでも戦闘に関してだけはまだオプションが用意されて

    TRPG判定処理の問題として - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2008/08/23
    メカニズム:漠然とサイコロを振るだけのゲームにならないようにする仕組みの御話
  • キーワード収集型RPG - 妄想科學倶樂部

    先のエントリに興味深いコメントをいくつか頂いているので、その辺への反応のつもりで少し。 「漠然とダイス振るだけのRPG」という状態は勿論、あらゆるシステムで回避可能である。ただしそれがシステムによるものではなく運用によるものである、という点が問題。 中にはその辺の解消策がシステムに組み込まれたものがあることは知っている。経験値消費で目標値を修正するメックウォリアーとかカルマでダイス数を変えるシャドウランとか。変わり種では、航行中のトラブルに対し「出港前に備えておく」ことで稼いだポイントを消費して対処するクレギオン(辺境アレイダ)なんて例も。 一回性の消費リソースで場をコントロールする方向性は間違っていないと思う。ただ、与える(もしくは予め規定されている)リソース量と想定するシナリオ中の消費量バランスを取るのはゲームマスターに一任されてしまうのが悩ましいところ。 後半は直截的には関係ない、が

    キーワード収集型RPG - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2008/08/23
    メカニズム:↑の補足
  • ゲームマスタのないTRPG - 妄想科學倶樂部

    TRPGという特異な遊びの大きな特徴として「非対称な複数のプレイヤーによるゲーム」という点が挙げられる。大きな権限を持つ「ゲームマスタ」が達成すべき目標と排除すべき障害を設定し、他のプレイヤーはそれを探りながら目的達成の道を模索する。 多くの場合ではプレイヤー同士は協力関係にあるが、それは必ずしも必須要素ではない。ただ、ゲームマスタはどんなシステムでも必須とされてきた*1。 よく言われることだが、ゲームマスタは低次のゲームデザイナである。アルゴリズムだけが実装されて初期状態/目標/障害が定義されていないツールを用いてひとつのゲームを制作運用するのがゲームマスタの任務であり、その労力は重い。 ある意味では、ゲームマスタの存在(を必須とする構造)こそがTRPG市場を狭める要因なのではないかとさえ思える。 これは当に、TRPGの必須要素なのだろうか。 RPGの定義にも拠るのだが、実際にはプレイ

    ゲームマスタのないTRPG - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2008/03/18
    メカニズム:ゲームマスターの労力を軽減するシステムの御話。コメントでシナリオクラフトに触れている人がいますね
  • 有名ゲームマスタというプレミアの利益性 - 妄想科學倶樂部

    某所でちょっとTRPGプレイルーム新設に関して話題に。 その流れで「有名な人にマスタリングしてもらうことの価値」についての話が出たので、ちょっと考えてみる。 TRPG業界は非常に狭い。ので有名人も少ない。というか、事実上システムデザイナ以外で有名なゲームマスタって皆無ではないだろうか。 事実上、システムデザイナ=客の呼べるマスタである、としよう。そうすると、彼らを一日雇うのにいくら払えば良いだろうか。 こういうのの相場ってよく知らない。例えば業務委託では1人日あたり5〜10万ぐらい。講演みたいな形だと1回2時間ぐらいで30万〜100万ぐらいか。それらと比較するのが適正なのかどうかよく解らないのだが、少なくとも当日丸一日の拘束と事前のシナリオ準備コストを考えねばならない。まあシナリオはある程度使い回しとか、事後の雑誌掲載とか潰しが効くから丸々コストに含める必要もないのかも知れないけど。 仮に

    有名ゲームマスタというプレミアの利益性 - 妄想科學倶樂部
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    inouekari 2008/03/03
    全般:有名な人にマスタリングしてもらう価値の御話
  • TRPGのリソース - 妄想科學倶樂部

    ボードゲームの一種としてTRPGを眺めるに、TRPGにはコントロール可能なリソースがほとんどない。 ゲームは終始キャラクターというトークン(通常は1プレイヤーあたり1個の)を通して行なわれる。このトークンには様々なパラメータが付与されており、他のゲームではちょっと考えられぬほど行動の幅が広いのだが、最終的に行動はランダムに成否を処理されるのが常で、それは固定値を基準に判定されるので、プレイヤーが考えるべきことは「相手のどの値に自分のどの値をぶつけるのが最も効率良いか」に集約されてしまう。 行動の結果として一部リソースが変動(ほとんどの場合では減少)することがあるが、これはあくまで結果としてもたらされたものであってプレイヤーのコントロール下にはない。他のゲームのように「手元のリソースを消費してアクションを起こす」「後のために節約しておく」といった概念に欠ける。 システムによっては限定的ながら

    TRPGのリソース - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2008/02/04
    メカニズム:TRPGにはコントロール可能なリソースがほとんど無いという御話
  • 2008-01-10

    最初にお断り。以下、暴論。 続きを読む 概ね冷笑的に受け止められているらしいこの種の論議は、恐らくは過去に繰り返されて既に決着済みと見做されているか、或いは賛同されるところの少ない代物なのだろう、多分。 自己批判的に見れば、これは事実上何も生んでいない。単に「厭なものは厭だ」と言っているだけで、それにどう対処するかという視点が欠落している。 ということはまあ、書いている人も認識しているわけだが、では何故そこを補わなかったかと言えば、補いようがなかったからだ。 ここで仮想敵としているのは一意的にはハンドアウトであったり演技主体のシステムであったり萌えであったりするわけだが、実質的な敵はむしろ「それを容認/歓迎/推進している世間/市場/業界」である。小さな市場であれ、これはマスとしての強大な影響力を持つ。翻って我が身はこの狭い業界ですらまったく無名の一個人だ。どこをどうやっても敵おう筈がない

    2008-01-10
    inouekari
    inouekari 2008/01/10
    全般:演技系ゲームに感じてきた気持ち悪さと、ハンドアウトを使用しないメリットの考察
  • 極論と極論の間 - 妄想科學倶樂部

    なにしろTRPGは明確な定義の定まらぬ遊びなので、一人一人認識が微妙に異なる。その上議論の過程でしばしば極論が飛び出すものだから、より一層話がややこしくなる。 結局のところ、「一面で双方とも正しい」し、同時に「双方とも正しくない」のだ。 判定装置としてのゲームマスターと脚・監督としてのゲームマスター TRPGを端的に表現すれば「物語の生成を楽しむ遊び」ということになろう。もう少し説明するならば「参加者全員で物語を作り上げる遊び」である。 そのための方法としては大きく2案が考えられる: 設定だけ考えて、全員がその場で設定に沿ってありうる展開を提案してゆく 誰か一人が脚を書いて、全員で演じる 1では脚家が主体となる物語を考えはするが、彼の役割は「大雑把な展開を予想し、それを実現するであろう初期設定を考える」程度のことで、それを受けての展開は参加者が各自自由に考えることになる。 実際にそこ

    極論と極論の間 - 妄想科學倶樂部
    inouekari
    inouekari 2007/12/27
    メカニズム:TRPGの遊び方