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1945年の沖縄戦で激戦地となった摩文仁で、日本兵が沖縄住民を殺害したり強姦(ごうかん)したり食料強奪をしたりする事態を我慢できず、別の日本兵がその日本兵を殺害する出来事があった。 当時、沖縄で戦闘に参加した元日本兵・飯田直次郎さん(95)=神奈川県在住=は自ら日本兵を銃殺したことを証言した。飯田さんは知人の協力を得て、中国で戦争に参加した体験や沖縄戦の詳しい足跡を原稿用紙129ページにまとめた。 45年6月、球部隊に所属していた飯田さんは摩文仁の壕に潜んでいた。一緒に逃げて仲良くなった日本海軍兵や周辺住民から「自分が隠れている壕で住民にひどいことをしている軍曹がいる」と聞いた。その内容は、住民や子どもを殺害したり女性を強姦したり食料を強奪したりするほか、その一帯で水が飲めた唯一の井戸を独り占めにしているというものだった。 飯田直次郎さんの手記 ある日、飯田さんも「佐々木」という名の軍曹に
町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でメル・ギブソン監督が第2次大戦の凄惨な沖縄戦を描いた映画『ハクソー・リッジ』を紹介していました。 (町山智浩)で、今日紹介する映画も結構攻めている映画なんですけども。メル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』という映画を紹介します。これ、「ハクソー」っていうのはノコギリのことですね。で、「リッジ」っていうのは崖なんですよ。で、ノコギリ崖っていうのはこれ、実在の地名で、沖縄にある前田高地という地名があるんですよ。崖がありまして、前田高地の断崖のことをアメリカ軍側が第2次大戦の沖縄戦の時に、あまりにも切り立っているから……148メートルあるんですね。崖の高さが。 (赤江珠緒)うんうん。 (町山智浩)で、垂直なんですよ。そのことを、ノコギリで切断したみたいだからノコギリ崖と呼んだという。 (赤江珠緒)それが、ハクソー・リッジ。 メル・ギブソンの10年ぶ
石川竜一の写真展『okinawan portraits 2012-2016』が、11月18日から東京・原宿のAM、新宿のエプソンイメージングギャラリー エプサイトで開催される。 1984年に生まれた沖縄出身の写真家・石川竜一。写真集『絶景のポリフォニー』『okinawan portraits 2010-2012』で2015年に『第40回木村伊兵衛写真賞』を受賞した。 同展は、『okinawan portraits 2010-2012』に連なる新作の写真集『okinawan portraits 2012-2016』が9月に刊行されたことにあわせて開催。沖縄の人々を捉えたポートレート60点を2会場で展示する。なお11月19日にはエプソンイメージングギャラリー エプサイトで石川と編集者・本尾久子によるトークが行なわれる。
「土人」なんて言葉は僕らだって使わない。若い人がこんな言葉を使うことに驚いた。普通は使わないし、習うこともない。上の世代や警察幹部から、沖縄の人たちは「日本全体のことを考えない」という趣旨のことを聞く中で、市民運動に対する憎しみから出てきたのだろう。憎しみをつくり出しているのは誰なのか。
沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直) ■疎開船と
スウェーデンのメーカー、ハッセルブラッドのカメラを2台、むき出しのまま肩から交差するようにかけ、ビッグスクーターで沖縄の街を走る。それが写真家・石川竜一(31)の普段の姿だ。撮りたいと思う人と遭遇したら迷わず声をかける。ポートレートを撮り始めたのは2010年。3000人を超える「沖縄の肖像」を撮った。頭で考える前にシャッターを押した。「撮って撮って、自分は消えてしまえばいいと思ってた」。ところが、無数の被写体と向き合ううちに、よそよそしかった世界はその姿を変えていく——。 『okinawan portrait 2010-2012』『絶景のポリフォニー』で写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞した若手写真家が、写真を撮ることで探し続けているものとは。 (ノンフィクションライター・藤井誠二/Yahoo!ニュース編集部) 写真集『okinawan portraits 2010-2012』
「アムラー」が流行語になったのはちょうど20年前の1996年。全身小麦色に日焼けし、肌を露出したギャルが登場した。“ギャルの聖地”だったファッションビル「渋谷109」は、2008年ごろまで売り上げを伸ばし続け、社会現象となった。そのギャルやギャル男が熱中していたのが「パラパラ」と言われたダンスだ。 統一の振り付けで、一定のステップを踏みながら上半身を動かすのが特徴。SMAPの木村拓哉が人気テレビ番組「SMAP×SMAP」で「Night of Fire」を披露し、大手音楽レーベルのavexが「俄然パラパラ」などを仕掛け、ブームとなったのも今は昔。パラパラを踊っている人をめっきり見なくなった。流行は終わったが、沖縄には今も世界に向けてパラパラを発信する「パラ人(パラパラをする人の略語でぱらじんと読む)」がいる。2015年、アジア、南米、欧米のパラ人の振り付けをまとめた「テクパラインターナショナ
沖縄県東村と国頭村にまたがる米軍北部訓練場。7月22日には新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の工事を国が強行し、反対する住民と機動隊が激しくぶつかり合う緊迫状態が続いています。豊かな自然に抱かれた地域ですが、1960年代にはベトナム戦のゲリラ戦訓練のための通称「ベトナム村」が設置され、東村高江の住民が戦闘訓練に動員されていました。2015年4月14日付の琉球新報に掲載された記事をあらためてご紹介します。(日付、年齢は掲載当時のものです) 北部海兵隊訓練場(当時)のゲリラ戦訓練施設「ベトナム村」。先端をとがらせた丸太を突き立て、外部からの攻撃に備えるベトナム現地の様子を模したとみられる様子が分かる=1964年ごろ、横堀洋一氏撮影 米軍が1960年代、ベトナム戦争のゲリラ戦訓練などのために沖縄本島の米軍北部訓練場に設置した通称「ベトナム村」内部の写真が、13日までに見つかった。先端を鋭利に
昭和19(1944)年10月10日午前7時30分、宮古島南方上空に見馴れない機影が編隊を組んで現れた。秋晴れの平良町上空でそれは東西に分かれ、飛行場方面と漲水港へ急降下する。間もなくサイレンが鳴り銃撃音、爆撃音がこだまして対空砲が応戦しても、友軍機の演習が実戦さながらに行われていると多くの町民が空を見上げていた。飛行場の方面から黒煙が舞い上がり、"銀翼連ねて"宮古島の空を守るはずの"荒鷲"が燃え上がるのを見て、ようやく本物の空襲であることを知った。45分に及ぶ空襲で、島の3カ所の軍用飛行場からは応戦に飛び立つこともなく9機が撃破された。 続いて午後2時5分第2波、延べ19機による空襲で、漲水港沖合に停泊中の広田丸(2,211トン)が撃沈されるのを目の当たりに見せつけられた。この「10・10空襲」を皮切りに宮古島は連日のように米軍機の空襲にさらされ、瓦礫の島へと化していった。 昭和20(19
九州「正論」懇話会の第124回講演会が17日、福岡市博多区のホテルオークラ福岡で開かれ、専門チャンネルキャスターの我那覇(がなは)真子(まさこ)氏が「沖縄地元紙の偏向報道をただす」と題して講演した。 我那覇氏は沖縄県の地元紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」について「世論を意図的にゆがめている。新聞の形をした左翼の政治結社だ」と批判。沖縄での米軍基地反対運動についても「一部の左翼が過激な活動をしている。その声ばかりを新聞が取り上げるので、県民みんなが基地に反対しているような印象を受ける。だが、実際はそうではない」と断言した。 その上で「県民は決して反日ではない。日本のために県民も頑張りたいと思っている。翁長(おなが)(雄志)知事の主張は、沖縄のサイレントマジョリティー(の声)ではない」と訴えた。
徳島文理大学大学院教授の八幡和郎さんが沖縄女性遺棄事件に関連して2本の興味深い記事を発表している。 「沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠された理由」 と 「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」 である。筆者自身も沖縄で生まれ育ったものの長く外国暮らしをしている「元沖縄県民」である。そこで八幡さんにならって「元沖縄県民」という立場から意見を述べてみることにした。 沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠しようもない本当の理由は、八幡さんが前述の「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」の中でいみじくも披瀝した 「沖縄県における基地のあり方については、本土で引き受けられるものは、46都道府県は無条件に引き受けて沖縄に押しつけている状態を解消すべきだ 」 にある。 沖縄の基地問題の肝はまさにそこだ。それ以外の議論は、正論曲論極論また誤解や中傷や罵倒や礼賛を含め、全て枝葉末節である。負担軽減策に
「米軍属女性遺棄 悲しみに共感 教会に通う米軍人や軍属ら」(琉球新報) という記事にあるとおり、ネイバーフッドチャーチ沖縄の牧師の呼び掛けて、信徒が「沖縄とともに悲しんでいます」といったプラカードを掲げて国道に立った。 この行為について、背後にタカ派色を強める新興宗教「幸福の科学」がいるのではないかという指摘がある。一方で、それはガセネタで「集会は純粋なものだったので安心してほしい」という反論もあった。これは、両方とも「ある程度は事実で、ある程度は間違い」というべきものであろう。これはまず、アメリカのキリスト教の文脈を理解する必要がある。 まず、ネイバーフッドチャーチ沖縄は、"Assemblies Of God"(AG)というペンテコステ派系の教団に属する教会である。詳細は追って説明するが、AGはカルトというわけではなく、一般的なプロテスタント教会の一つであると考えられているが、プロテスタ
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