エイクマン、フレインスによる米糠中の抗脚気因子を示す実験がなされたあとも、日本では脚気の原因について長らく議論が続いた。脚気栄養欠陥説の反対者の言い分は「白米によって起こるニワトリの病気は、ヒトの脚気とは異なる」というもので、これはこれで考慮すべき主張ではある。そんなわけで、ビタミンB欠乏によっておこる実験動物の病気は「白米病」とされ、脚気とは区別されていた。脚気栄養欠陥説の反対者には、森林太郎のほか、青山胤通、緒方知三郎といった東大医学部出身者が多いが、東大で脚気栄養欠陥説に基づいた研究をしていた人もいた。東大新聞だよりNo.56*1には以下のようにある。 脚気はわが国では明治から大正にかけて極めて多く、困った病気であった。集団的に発生しやすいので、東大の中でも細菌説、青い魚説、中毒説、白米説などさまざまであった。入澤内科の田沢は米糠説に関心を抱き、日本では抽出にアルコールエキスが使われ