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ブックマーク / miyagi.no-blog.jp (24)

  • なごなぐ雑記: 言葉を失っていられない

    【言葉を失う】 人はどのようなときに「言葉を失う」のだろうか。私たちが遭遇している、辺野古への新基地建設をめぐる様々な動向に「言葉を失う」という感覚を得ることは、言葉としては適切なのだろうか。 建設に伴う環境問題に関するデタラメな対応然り、日米で言い分が違う基地の運用に関する諸般然り、政治的意思決定のあり方に関する傲岸然り。1996年のSACO合意以降、1997年の名護市民投票の結果を得てなお、基地を押し付け(受け入れ)てくる政治状況に、人々は抗い、環境アセスや様々な局面で「法」や共通のものさしになる「科学」や「事実」に基づき適切かつ粘り強い態度を貫いてきた。10数年に続く長いプロセスを経て、沖縄県民は新基地建設に反対するコモンセンスを自らのものにした今日がある。 それにも関わらず、新基地建設を沖縄に押し付ける日米両政府の合意がある。私は合意そのものに、憤りや様々な感情を覚えるが「言葉を失

  • なごなぐ雑記: 元気です

    拝復 この頃は、自ら何かを発信する気力なく、沈黙を友としています。 なんだかいろんなことが、繰り返しの中にあるような気がして、先に進まないことに対する焦燥感もありますが、私が焦ったところでなんになると小さく笑う日々です。 日国は政権交代してなお、沖縄の位置を変えることはできませんでした。沖縄とて、民主党県連は脳死状態、一部の人々が叫んでいた「自己決定権」と威勢はいいが具体性を欠く言葉はスローガンにすらなりえませんでした。社共と運動団体や諸個人が、知事選に向けて動き始めているようですが、現今の状況の中で県民にいかなるビジョンを示し支持を調達できるかはわかりません。 1997年に名護市民投票を行った際は、大田革新県政ですらが「名護市と国の問題」と逃げていました。あの状況のなかで、市民が示した一票一票をどのように受け止め、どのような未来を切り拓いていくのかが問われていましたし問われ続けています

  • なごなぐ雑記: 曳かれ者の小唄

    総理大臣をやめたひとが、役所の意思が固くて辺野古にアメリカの基地をつくることになったといったらしい。おそろしいことだ。(→毎日新聞 2010年6月12日 ) デモクラシーという言葉というか概念というか考え方があり、それにもとづく制度がある。あることになっている。日国民の投票で選ばれた国家議員で、国会の多数派が選び出した総理大臣が役所を動かせないということは、役所を動かしているのは誰なんだ。くだらん陰謀論が跋扈するのは、くだらん現実があるからでしかない。このあまりにものくだらなさは、おそろしいほどである。この国の主権者はidiotなのだろうか。 外務大臣をしているひとが、沖縄のひとびとが『やむを得ない』とおもう状況をつくるといっている。(→共同通信2010/06/09) こんなにもあからさまに、敵対され恫喝される沖縄のひとびとは、この国の主権者ではないんだろうか。沖縄は、はからずもこの国の

  • なごなぐ雑記: 偶感

    5月28日に日米共同声明が成され、30日社民党が連立政権を離脱した。世の人々は、賛否両論喧しいが、辺野古移設が日米合意され社民党が連立政権に残る選択肢は考えられず、それをまっとうな論のように考えきれる思考/発言はおかしい。 社民党の連立離脱を巡って「政治は妥協の芸術」などという言葉もどこかで見てしまったが、「政治」以前の属国的妥協と国家的差別がなされる現状のなかで、そのような言葉は陳腐な現状追認を粉飾するだけである。もしくは現状の現実的把握が欠如している様を曝け出す。醜悪な裸踊りが至る所で踊られている。 金を得る仕事の休みを利用して偶感を記しておく。 「辺野古移設」について、マスコミのみならず大勢の人々は経緯と事実を知らな過ぎるのではないだろうか。 1996年にSACO合意で普天間返還が決定され、その代替地として97年に日政府により辺野古が名指しされたことに端を発する。97年の名護市民投

    islecape
    islecape 2010/06/01
    「グダグダな国家社会にはグダグダな政治しかないが、私たちがミクロポリティシャンとして、そのグダグダと同化する必要は全くない」ない
  • なごなぐ雑記: 軍事植民地沖縄統治のセオリー

    沖縄は1972年以来、日国の一県でありながら日国の一県ではない。沖縄統治の基調は軍事植民地主義であり、それを正当化するロジックは国家安全保障である。 日米安全保障条約には、沖縄に基地を置くという条文はない。旧安保条約の際に、安保条約に基づく在日米軍は大日帝国の敗戦から続く占領軍であったこともあり、不平等条約への反発から反米闘争の高まりの中で米軍基地は縮小され当時日国ではなかった沖縄に移設された。 密約だらけの1972年の沖縄の施政権返還は、沖縄の基地の維持・自由使用と施政権返還は両立するという国防総省と国務省の「琉球特別作業班」の調査レポート(1967)が 出てはじめて動き出した。 沖縄は、日国民の反米(反基地)闘争の高まりの中で米軍基地が退避した米軍統治下の島であり、それらの維持経費等を拠出させるために施政権が日国に返還された日国の一県である。通底しているのは、米軍の島であ

  • なごなぐ雑記: アリス・イン・ワンダーランド

    徒然なるままに 鳩山首相が沖縄を訪れた。「訪沖」と表現されるほどには、沖縄は日国に包摂された外地である。 他府県がすべて拒否するので、結局沖縄県内にアメリカ海兵隊の基地を造るというが、沖縄は他府県の人々より大いなる労力をかけて拒否の姿勢を示している。 海兵隊は有事の際(紛争地域にいる)日人救出のためにも役立つみたいなことを日国の外相が発言していたが、見事にスルーされていた。 鳩山首相を攻撃・口撃して、事態が好転するならそれも良しだが、問題は誰が首相になっても変わらない、変えることはできないと思われる「構造」にこそある。 その「構造」は見せかけであり、実態である。舞台に吊るされた紙でできた月は、月ではないが月である。登場人物たちは作者を探さない。 「抑止力」という名の興行に、沖縄は生贄として捧げられている。このサクリファイスは紛争の抑止ではなく、紛争の可能性維持のためになされる。 紛争

  • なごなぐ雑記: デフラグメンテーション

    書かなきゃ(考えなきゃ)いけないものがあるのだが、なにも手がつけられず時間だけが過ぎてゆく。現状について思っている断片だけ記しておく。 問題は「移設」ではなく「返還」である。「移設」を問題にしているのは政府でありマスコミである。移設論で民衆は翻弄され分断されるが、とまれ、我々が問題にすべきは「返還」である。沖縄の基地問題の根幹にある土地問題は根深く層を成している。「普天間」は米軍が沖縄の民衆を収容所に隔離しているあいだに、土地を取り上げ作った基地である。問われるべきは「返還」以外にない。 1995年、沖縄の自治体首長が「等しく負担を」と全国に向けて叫ぶ姿は構造を揺るがす強度であった。2010年、沖縄選出の国会議員が「等しく負担を」と移設先を探して全国を奔走する姿は構造を補完する強度である。「等しく負担を」というレトリックは日米安保に対する評価を留保しているが、前者は留保することで問題の根幹

  • なごなぐ雑記: 状況に対する雑感

    誤解を招きそうだが、まったき個人の意見として、あまり整理もせずここに書いておく。 私は、鳩山首相やなんとかいう名前の官房長官の発言に、あまり怒ってはいない。かといって哀れんだり蔑んだりもしていない。 冷静に考えて、私が思うに追い込まれているのは日政府である。米国は地元同意がないプランに対しては交渉のテーブルにもつけない趣旨の発言をしているらしい。かっこつけやがってと思いもするが、日政府のほうが赤子と大人ほどレベルが違いすぎる。沖縄が、シュワブ陸上案や与勝沖埋め立て案で同意する道筋はない。 「少なくとも県外」と発言してきて、何ゆえにこんな出口に出るしか脳がないのか。不思議である。日政府は米国と、日国民が知らされていない決定的な「密約」を米国としているのではないかと疑いたくなるほどである。 「復帰」の際の「5.15メモ」などに明らかな、沖縄の米軍基地の自由使用などの日米合同委員会合意を

  • なごなぐ雑記: 「普天間移設」という呼称について

    快晴、休日、雑事で多忙中。少し休憩して雑記を記す。 今朝の新報朝刊の見出しにも「普天間移設」という文字が鎮座している。 新聞やメディアで、政治的社会的問題となっている案件について呼称が与えられる。呼称は名であり、名は実体を表象する。私たちは、その呼称を用いて、その案件について何か考えたり話したりする。 私は「普天間移設」という呼称に、不安と不満と、めまいのような感覚を覚えている。 13年前、それは「代替施設」と呼ばれ「海上ヘリポート」と呼ばれた。それから「県民の財産」と県知事に呼ばれ、「軍民共用空港」と呼ばれた。そうして2005年には日沖共同の詭弁(=「県民の財産」「軍民共用空港」)のメッキは日米両政府の決断により剥がれ、海兵隊の空・海・陸の「港」機能を備えた拡大総合基地になった。 そのような経緯を踏まえてなお、この案件を「普天間移設」と呼ぶのは政治的行為である。政府案の中には、「普天間飛

  • なごなぐ雑記:  「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その3)

    多忙ゆえに、報道等情報を追いかけることもできず、ましてや散らかし放題の手持ち資料をひっくり返し整理することもできない。このまま、ゆとりができるまで、なごなぐ雑記の更新を放置しておこうかとも思ったが、とりあえず状況に対する断片的な私見をメモしておくことで、自らの思考の整理に役立てるため(その3)を書いておく。 3月27日に、沖縄大学土曜教養講座で『沖縄論』に関するシンポジウムがある。縁あって参加するので、現在の私の状況では、そこで発言することの内容に集中できるかどうかが関の山である。そのための思考の断片なら、もしかして、なごなぐ雑記になにか書くことができるかもしれない、期待しないでときどき覘いてください。「okidaidoyoukouza.pdf」をダウンロード 【移設】 辺野古への新基地建設計画が、海兵隊普天間飛行場の単なる「移設」でないことは、現行計画の中身や経緯をみれば誰もがわかる。

  • なごなぐ雑記: 「沖縄のこころ」―民衆の社会的連帯の再生

    明日(もう今日だ)の沖縄タイムスの読書欄「今週の平積み」に、『沖縄論』の私の書評が掲載されますので、チャンスがあれば読んでください。新聞社の方がつけてくれた見出し(タイトル)は、私が確認したゲラでは「『沖縄のこころ』実現の提言」となっていました。 編著者である宮憲一先生は『沖縄論』のなかで、「沖縄のこころ」を「現実主義的理想」といいます。我々の世代もそうだし、復帰などを知らない若い世代はもっと「沖縄のこころ」といわれてもピンとこないと思います。世代間のギャップもあるけど、時代の推移も大きいものがあります。 新聞に掲載する書評では字数に限りがあり、書けなかったことを、なんとなく整理もしないまま、今日はここに書いておきます。 「沖縄のこころ」など、単なることばです。「こころ」は人の数ほどそれぞれにあり、うつろいやすく、情緒的抽象的なものだといっていいのだと思います。 『沖縄論』には、「沖縄の

    islecape
    islecape 2010/02/21
    「ある地域の問題」みたいな捉えられかたで、その地域の人が燃え尽きないと何も変わらない(あるいは、変わることすらない)という状況そのものがもうなんとも。温度差ってレベルじゃない。
  • なごなぐ雑記: 「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その1)

    なんだか、報道等に散見する政治家や有識者の発言に、とてもいらついてしまう沖縄の私がいる。自分の健康のために、辺野古新基地建設について、せめてこれぐらいは知っておこうというお話を整理しておく。 【沿革】 《海上ヘリポート》 1996年、SACOにより普天間返還の条件として、1300メートルの滑走路を有する撤去可能な代替施設「海上ヘリポート」建設が日米合意された。SACO文書には建設地は明記されなかったが、名護市キャンプシュワブ沿岸域が建設地とされた。(注1) 1997年、名護市民投票。基地建設反対が過半数超。 1998年、大田沖縄県知事が「海上ヘリポート」建設の受け入れ拒否を表明。 《軍民共用空港》 1999年、稲嶺県知事が軍民共用・15年使用期限等の条件を付けて普天間代替施設の受け入れ表明。県知事からの要請を受けて岸名護市長が条件付受入れ表明。日政府は、沖縄側からの条件を受入れるかたち

    islecape
    islecape 2010/02/05
    「自分の健康のために」そういうことありますよね……
  • なごなぐ雑記: 六諭衍義―1997/2010【追記あり】

    1997年12月24日は遠くなりにけり。しかして我々はすべてを忘却の闇に捨て置きたるにあらず。過去は死なず、現在を根源から問うべく現在に息づいている。 我々の苦悩は、困窮は、諍いは、あの日にはじまった。 市民投票の結果を踏みにじり、当時の比嘉鉄也市長が首相官邸で基地受入れ表明と市長辞職の意向を伝えた。あの日。 【追記】21:30 だれにわかってもらえなくてもいい…などと思いつつ、これは比嘉鉄也氏にささげるオマージュのつもりで書き出した小さな思考。儒教的精神の教科書である六諭衍義は、琉球王朝時代に、王府が名護地域によこした統治者・名護親方が大陸から持ち込み紹介したもの。それが大和にも伝わり教科書となったらしい。下記の六つの文の冒頭にあるのは、六諭衍義の言葉。それぞれの漢語の意味は、興味のある方はネットででも調べてください。鉄也さんは今回で休まれたほうがいい。ほんとうにお疲れ様でした。 【追記

  • なごなぐ雑記: 振興を得るためにも、引き受けるべきは「基地」ではない

    1997年12月21日を忘れたことはない。起点であり終点となるべき、私にとって名護のまちづくりの基点である。 経済振興を渇望する気持ちを制して、名護市民は基地建設反対の意思を明確にしたが、それを踏みにじり比嘉鉄也氏が首相官邸で基地受入れと市長辞職を表明した。1997年12月24日のことである。あれから名護市民は引き裂かれ、市政は混乱し続けてきた。 たくさんのハコモノを、手柄として見せびらかす市長候補のパンフレットをみていると、1997年の「活性化促進市民の会」の方々の大きな看板やチラシとイメージがフラッシュする。市民投票で多数にはなれなかった彼ら彼女らが描いた「夢」を、実現したぞと誇示しているようだ。 しかし、その「夢」は捏造され誇張され操作されている。現実は、中心市街地の空き店舗率、土建業の倒産件数、失業率、すべてが増加/悪化の一途である。惨憺たる現実。「夢」は、看板に偽りありである。

  • なごなぐ雑記: 政治の貧困

    民主党の小沢幹事長が普天間移設先として下地島空港を提起したらしい(毎日新聞2009年12月30日)。日人の政治は海兵隊を沖縄に隔離しておくことしか考えつかないのか。10年余も「歌舞伎プレイ」を演じ、政権が変わっても質は変わらない。政治貧困は骨の髄まで貧困である。    次に掲げるのは、1998年3月13日に神奈川県内のホテルで行なわれた、普天間移設に関する日米の非公式協議の記録である。(琉球新報2009年11月15日) 日側から守屋武昌防衛審議官、防衛庁防衛政策課部員と外務省北米局審議官らが出席、米側はキャンベル国防次官補代理のほか在日米大使館公使らが参加しているが、外務省審議官および在日公使らは発言なし。 県内移設の理由としてわれわれが言っているのが、沖縄の戦略的位置ということ。地元などには非常に言いにくいのは、沖縄に海兵隊を支えるためのインフラがあることそのものが、在沖海兵隊の

    islecape
    islecape 2009/12/31
    固定観念というよりもう悪意。
  • なごなぐ雑記: 続・環境破壊問題としての新基地建設

    日、下記のニュースに接した。米環境保護団体がオバマ大統領に辺野古基地建設中止を要請−JanJanニュース(2009/12/12)2009年12月8日付けで、アメリカの環境団体が連盟で政府に対して沖縄・辺野古新基地建設の中止を要請した。"We urge you to direct the U.S. secretaries of defense and state to cancel this project immediately." 「我々は、国防総省と国務省にこの計画の即時中止を求める。」という力強い内容である。生物多様性センター(Center for Biological Diversity (CBD))を先頭にした環境保護団体の連合に加え、Natural Resources Defense Council,(NRDC)、Earthjustice, Greenpeace and th

  • なごなぐ雑記: 環境破壊問題としての新基地建設

    アメリカ合衆国大統領は、沖縄へ造ろうとしている海兵隊の新しい基地の海域が、どういう場所だか知っているのだろうか。この沿岸域を破壊する行為が、アメリカ国内における大統領の支持集団である環境NGOからどのような反発を受けることになるか、大統領は知っているのだろうか。   世界自然保護連合(IUCN)という日国や米国も加盟する世界最大の自然保護機関が、沖縄のジュゴンやヤンバルクイナ,ノグチゲラという貴重種に注目し、辺野古への新基地建設や東村高江近傍のヘリパッド建設に並々ならぬ関心を示し、複数回にわたり日米両政府に対して勧告している。 日の報道では、アメリカ政府がとにかく辺野古に基地を造れとヒステリックに圧力をかけているように大合唱しているが、そのアメリカはどのアメリカで、アメリカはそのようなアメリカしかないのか。オバマ大統領の対日スタッフたちは、日/沖縄で起きている海兵隊の基地移転(建設)

  • なごなぐ雑記: 岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ?

    岡田外相対話集会で激白。海兵隊がグアム行って空っぽになっても普天間は、新基地建設なければ返さない。えっ? 先週末から昨日にかけて、ある「会議」に参加するため二泊三日で名護市にいた。岡田外相が名護市に来たり状況がドラスティックに動き続ける中での「会議」だったが、そのような状況とは決して無縁ではないテーマをめぐって、韓国や日、沖縄の研究者や活動家が話し合うとても有意義な「場」だった。「名護会議」と名づけられたその会議についての報告は後日改めて、拙ブログでも行う。 岡田外相が名護で行った「市民との対話集会」については、小説家の目取真俊さんがその全容をテープ起こしなされて自身のブログで公開している。とても貴重な記録である。ぜひお読みいただきたい。下記リンク先からはじまり、7まで続いている。岡田外相と「市民との対話集会」 全面公開 1市民と対話した、説明を尽くしたというアリバイのごとき「場」にしよ

  • なごなぐ雑記: 怒髪天を突く-市民的不服従有理

    2009/11/30 15:25、テルヤ寛徳衆院議員が自身のブログに書く(容易ならざる事態の進行)。 「12月7日にも政府方針が決定される、との情報を得た」 日の新聞報道等をみるとテルヤ寛徳議員は、社民党の党首選に名前があがったり、様々な動きをなされているが、それもこれも「辺野古移設」という最悪の決定をさせないための「政治」なのだろう。テルヤ寛徳議員には最後まで奮闘して欲しい。 この情報に接してから、私も精一杯情報収集につとめたが、結果的に来週か再来週にでも鳩山首相が「辺野古移設」で決するという感触しか得られなかった。社民党の党首選がどうなろうと、最終的な結論を覆すことは至難の技なのだろうと思う。 民主党のデタラメさには、ほとほと呆れ返り、怒髪天を突く思いである。総選挙で当選した沖縄選出の民主党議員は全員辞職し、社民党・国民新党は連立離脱し、県民に懺悔した上で、政府に対する沖縄県民の抵抗

  • なごなぐ雑記: 憤怒の河を渡る

    怒ってる。とても、悲しくて、とても切なくて、とても怒ってる。 下記は昨日今日の私の“はてなブックマーク”「県外移転で気持ち一つに」 05年当時岡田外相、あの言葉は今いずこ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース  nagonagu 政権についた途端に変貌する。属国の米国恐怖/沖縄差別は根深い。 2009/11/20 普天間移設 防衛省「辺野古」鮮明に 嘉手納F15削減など提案 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース nagonagu 政権交代してなお、ここに戻るのみか。ざわつく 2009/11/20 普天間問題/重いのは県民の意思/志位委員長 首相発言を批判 nagonagu 「一番重いのは作業部会の結論ではない。沖縄県民の意思だ」御意。つまらんから口にしたくもないが、私は共産党員でもシンパでもない、しかしこの問題でスジを通し続けていることを高く評価する。 2009/11/20