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なごなぐ雑記: 「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その1)
なんだか、報道等に散見する政治家や有識者の発言に、とてもいらついてしまう沖縄の私がいる。自分の健... なんだか、報道等に散見する政治家や有識者の発言に、とてもいらついてしまう沖縄の私がいる。自分の健康のために、辺野古新基地建設について、せめてこれぐらいは知っておこうというお話を整理しておく。 【沿革】 《海上ヘリポート》 1996年、SACOにより普天間返還の条件として、1300メートルの滑走路を有する撤去可能な代替施設「海上ヘリポート」建設が日米合意された。SACO文書には建設地は明記されなかったが、名護市キャンプシュワブ沿岸域が建設地とされた。(注1) 1997年、名護市民投票。基地建設反対が過半数超。 1998年、大田沖縄県知事が「海上ヘリポート」建設の受け入れ拒否を表明。 《軍民共用空港》 1999年、稲嶺県知事が軍民共用・15年使用期限等の条件を付けて普天間代替施設の受け入れ表明。県知事からの要請を受けて岸本名護市長が条件付受入れ表明。日本政府は、沖縄側からの条件を受入れるかたち
2010/03/06 リンク