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思考に関するit1127のブックマーク (44)

  • 引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    以下のところから。 →最終防衛ライン2 - 引用のみサイトやってて楽しいの? 多いですね、他のサイトを引用しただけのサイト。酷いのになると、新聞記事丸々引用というか、完全コピペ。新聞サイトの記事は消えやすいので引用する気持ちや、スクラップブック的に使いたいのも分かるんですが、自身の意見が全く書かれていないので、何が言いたいのかさっぱり分からない。当に自分自身のためだけなんでしょうが、それだったらネット上に上げないでもらえますか?と言いたくなる。 まったくです。もっと自分のテキストを書かないといけないといつも思うんだけれど、あちこち調べていると調べた先のテキストが面白かったり、いちいち自分で書くよりも引用するほうが有益に思えてしまうケースが多かったりするので、仕方ないと諦めています。新聞記事の丸々引用は、記事全体が消えてしまう記事の部分引用ではかえって不誠実ではないかという考えで、意図的に

    引用テキストの多いぼくの日記でカエサルの「人は自分の見たいものしか見ない」という話をしてみるよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
    it1127
    it1127 2012/03/24
    #nahte 面白い!共感する部分多々。久し振りに痛快な記事に出会った気がした。
  • PROFILE « 谷口忠大HomePage (たにちゅーのHP) — tanichu.com –

    京都大学博士(工学) 中小企業診断士(経済産業省登録) IPAソフトウェア開発技術TOEIC 800点,英検準一級 ビジネス実務法務検定二級,簿記二級 普通自動車免許,普通自動二輪免許 色彩検定二級など

    it1127
    it1127 2010/08/05
    少なくとも体育会系ではないな!>(中学)バレー部(シゴキに耐えきれず半年で退部)→卓球部(別名:帰宅部) →演劇部
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「知的複眼思考法」はスゴ本

    タイトルは大仰だけど、いわゆるロジカルシンキング指南。ただし、そこらのロジシンと一緒にするなかれ。「知的複眼思考法」は今まで読み散らしてきたロジシンもので最高に腑に落ちてくるスゴなり。 これまでのロジカルシンキングは、定義と書き方の説明と例の紹介の集積にすぎない。曰く、「今なぜMECEか?」「MECEとは」「MECEの例、書き方」「MECEの実践」でオシマイ。 だから読んでもソレっぽい書き方はできるけれど、あくまで見た目。ロジカルシンキングから導出される「アウトプット」と同じ書式だけれど、ロジカルシンキングをしていない。 いっぽう、書の第3章の「問いの立てかたと展開のしかた」では、MECEとなるための思考方法を説明してくれる。実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。書いちゃ捨て、拾っては直しのスクラップ&ビルドが必要なんだが、フツーの指南はそこを省く。書には「デ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「知的複眼思考法」はスゴ本
  • ==Weird Closet==怪奇と幻想のページ

    Sorry Japanese version only, Since 2000.06.19. Last Update 2008.09.19.

  • グーグルが私たちの頭を悪くする!? | ライフハッカー・ジャパン

    雑誌「アトランティック・マンスリー」のウェブサイトで、ニコラス・カーさんがこんな危険を提唱しています。それは「リサーチをする時にインターネット検索ばかりに頼っていたら、バカになってしまうのではないか」というもの。 ...インターネットが原因で、少しずつ、集中力やじっくり考える力が衰えている気がする。今、僕の頭は、インターネット化されていて、入った情報をただ処理していくばかりだ。細かい流れの中をぐんぐん進むように...。昔はゆったりとスキューバーダイビングで海の中の世界を見ていたけれど、今は、ジェットスキーに乗っている時のように表面をすごい勢いで走り抜けるだけ、という感じだ。 この記事では、ニコラス・カーさんはこの考えをさらに深めて、他の新聞や雑誌などのメディアを読んだ時の考えるプロセスを振り返りつつ、インターネットを通じて考える時との違いや影響を語っています。 最終的な結論は「インターネッ

    グーグルが私たちの頭を悪くする!? | ライフハッカー・ジャパン
    it1127
    it1127 2008/07/31
    調べるのが簡単だから、つい、調べる時間が長くなって、考える時間が短くなる、ということなのだろう。考えることと知ることの見極めが大事。いくら考えたってどこで何が起きているかは分からない!
  • 「相手にこう思われたらどうしよう」の一番簡単な捨て方 : 404 Blog Not Found

    2008年07月25日19:00 カテゴリArt 「相手にこう思われたらどうしよう」の一番簡単な捨て方 あーよく死んだ。丸一日半死んでた。 そろそろ起きるか。 「空気を読むのはやめましょう」と言うのはやめましょう と、長女にさえKY認定されている私が言うのもなんですが、その私が言うのだから一段重いというものです。 発言を額面どおりに受け取る - タケルンバ卿日記 「空気を読むのはやめましょう」 「行間を読むのはやめましょう」 「言外のことを読むのはやめましょう」 これを「3つの読まない」と申します 「読むな」と言ったところで、実のところ「誰が言ったか」と「いつ言ったか」は読まずにいられない、それが人という生き物。「空気」「行間」「言外」がいやなら、「文脈」と置き換えてもいい。で、文脈を「空気」「行間」「言外」に書くなとなると、文脈相当の「背景」をすべて「書き出さねば」ならなくなってしまう。

    「相手にこう思われたらどうしよう」の一番簡単な捨て方 : 404 Blog Not Found
    it1127
    it1127 2008/07/26
    「演技する精神」、相手にこう思われたらどうしよう→相手にこう思わせたらどうだろう、笑われると笑わせる、http://www003.upp.so-net.ne.jp/kishimi/kinjiro.htm
  • NTT Com|コラム「リーダー戦略考」|池谷裕二

  • ものろぎや・そりてえる: 小川洋子『物語の役割』

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    it1127 2008/06/26
    苛酷な現実を目の当たりにしたとき、自身の心としっくりするよう理解可能な形に現実を変形させて、何とかその耐え難い現実を受け入れようとする http://yuki-wan.at.webry.info/200702/article_14.html
  • 夏目漱石「物の関係と三様の人間」 - NextReality

    昨日のソニーコンピュータサイエンス研究所20周年記念シンポジウム*1で、中鉢さん(ソニー社長)が夏目漱石について紹介していた。最近発見された、満州で行った「物の関係と三様の人間」という講演についてだ。 人には「物と物との関係を明(あきら)める人(科学者など)」「物と物との関係を変化せしむる人(軍人や満鉄社員など)」「物と物との関係を味(あじわ)う人(文芸家など)」の三様がある。 http://www.asahi.com/culture/update/0524/TKY200805240108.html 「物と物との関係」というのはまさにインタラクションだなあと勝手に自分の領域に引き込んで聴いていた。HCI分野にこの分類を当てはめてみると、「物と物の関係を明らめる」はhuman computer interaction, 「変化せしむる」はubiquitous computing, 「味わう」

    夏目漱石「物の関係と三様の人間」 - NextReality
  • 『だから対敵動作の基本は「来たものはすべて個別化する」ということです。』 - Mochi's-Multitasking-Blog

    it1127
    it1127 2008/06/23
     人生はプロセスであって定義ではない。探すというプロセスが、、、この世界では、わけのわかるものは長い時間に耐える権勢を保つことも、魔性や聖性を帯びることもないhttp://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603578.html
  • Life is beautiful: 自分で考える前にググっていませんか?

    つい先日、興味深い話を聞いた。ある大学の授業で「デジタル・コンテンツ・ビジネス」というテーマで小論文を宿題として書かせたところ、同じような内容の小論文ばかりが集まったという。その原因を調べたところ、「デジタル コンテンツ ビジネス」のキーワードでググると上位に来る私の過去のエントリーの内容がほぼ丸写しにされていたという。 日の学生の勉強に対する態度なんてそんなものなのかも知れないが(それはそれで憂うべき話だがその話は別の機会に)、少し心配になるのがどんな気持ちでその手の「コピペ」をしているのか、という点である。確信犯的に「徹底的に手を抜きたいからコピペしているだけ」ならまだ許せる。私が問題視するのは「自分で考える前にまずググる」習慣であり、「ググれば答えが見つかるにちがいない」という錯覚である。 暗黒時代とも呼ばれる中世ヨーロッパで科学の進歩があんなにも長い間低迷した原因の一つは、あの時

  • http://www.blog15.net/archives/51322699.html

  • 大きいことはエライことではない

    簡単にいえば、自己抑制ということである。規模や領域を拡大しない。メーカーという業態でいうならば、大手総合メーカーになることを志向するのではなく小さな規模の一芸に秀でた専業メーカーとして生きていくということだろう。技術経営っぽくいえば、垂直統合型の業態を目指さず、水平分業のオープンなビジネス・スタイルを志向するということか。 そういえば、先に挙げた京都のエレクトロニクス関連企業群も、京セラを除けばみな「一芸」をもって業界で名を馳せる専業メーカーである。 どうしても上から目線 もっとも、多くの専業メーカーがただ多数に存在しただけでは「オープンなビジネス」は機能しないだろう。そもそもみな個別には専業メーカーだから、自分だけではビジネスが完結しない。「一芸のプロ」が集まって、1社ではとうていなし得ない大きなビジネスを動かすためには、連携すること、今風にいえばコラボレーションが欠かせないのである。

    大きいことはエライことではない
    it1127
    it1127 2008/05/03
    オープン・ビジネス 京都的
  • 感じることと考えること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 モノや仕組み、ルールなど、すでにできたもののデザインを目にして、時々、「あーこのデザイン、考えられてないな」と感じることがあります。その場合の「考えられてない」は言い換えると、使うシーンや例外的使用のケースが想像ができてないな、イメージができてないなということだったりします。また、経年変化への対応あるいは対象となる量(組織の従業員数とか扱うデータ数とか)の変化を想像せず=考えずにつくっちゃったんだなと思うんです。 うーん、そういう意味では想像力に欠けた人がつくったのかなと疑問に思うデザインのものって多いんですよね。想像力の欠如がそのままデザインの品質に影響しちゃってるし、生活スタイル・ワークスタイルに何の提案力をもたないものができあがっちゃう。ちゃんと考えてつくってます?っ

  • Passion For The Future: 木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

    木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか スポンサード リンク ・木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか ■世界は名詞の集まりか、動詞の集まりか 「いないいないばあ」のDVDのエンディングロールがテレビに表示されると彼は「おわっちゃった」という。 1歳の息子は動詞をよく覚える。「あった」「終わっちゃった」「ないない(なくなった)」「いっちゃった」。私の予想は名詞を先に覚えてから動詞の順だと思っていたので、「コイツ天才か?」と親バカな勘違いをしそうだったが、このによれば普通のことなのだそうだ。西洋人のこどもは名詞から覚え、東洋人のこどもは名詞と動詞を半々くらいずつ学習していく傾向があるという。 それは母親のことばの教え方と深い関係がある。典型的な東西の母子のおしゃべり例が紹介されている。 西洋の母親: 「これはクルマ。クルマを見てごらん。これ好

    it1127
    it1127 2008/02/29
    世界は名詞の集まりか、動詞の集まりか
  • 数学屋のメガネ:ロジック(論理)の理解 21  抽象の論理、具体の論理(その2) - livedoor Blog(ブログ)

    宮台真司氏の「選挙結果から未来を構想するための文章を書きました」という文章を読んで、改めて抽象と言うことのイメージを考えてみた。以前と同じような内容もあるかも知れないが、もう一度いくつかのポイントを確認しておこう。 抽象というのは、同時に捨象のことであるというのを僕は三浦つとむさんから学んだ。現実に存在する具体的な対象の属性の中から、ある属性を引き出し、他の属性をすべて捨てるときに抽象という考えを得ることが出来る。現実の存在は、無限に多様な属性を持っている。調べ上げればきりがないくらい属性を見つけることが出来るだろう。その中で、自分が論理展開をするのにもっとも質的だと思われる属性を引き出すことが抽象のポイントと言うことになるだろうか。 だから、この抽象という思考は、個別的な対象から引き出すことも出来るし、ある集合を想定して、その集合に属する要素に共通すると思える属性を抽象するというような

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    it1127 2008/02/27
    象徴と抽象
  • 橋本治「小林秀雄の恵み」(4)《美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。》 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    第5章「じいちゃんと私」にいたって、「小林秀雄の恵み」というタイトルに意味が明らかとなる。 橋治は37歳のときにはじめて、小林秀雄の「居宣長」を読む。それは「デヴィッド100コラム」というで「『居宣長』― 書評」というのを書くためである。これは100編のコラム(?)を収めたで、ほかにも「『箱男』― 書評」とか「『氷点』― 書評」とかいうコラム?もあるが、別に書評集ではなくて、「スーパーのチラシ研究」とか、「『てなもんや三度笠』をもう一度」とか、もうまったく雑多な文を集めたである。 まず先に「『居宣長』― 書評」というタイトルを決めて、後から「居宣長」を読んだのだそうで、どうも小林秀雄のをまともに読むのは始めてということであったらしい。その動機は、日で一番難解といわれているに挑戦する、というようなものであったようである。 「デヴィッド100コラム」は「ロバート」という

    橋本治「小林秀雄の恵み」(4)《美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。》 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    it1127
    it1127 2008/02/27
    世阿弥がその芸の目標を「幽玄」とか「侘び」とか「寂び」とかいう抽象的な言葉ではなく、「花」という具体的なものを指す言葉で示したということである
  • 所長のページ/象徴の世界

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    it1127 2008/02/27
    物の象徴主義と抽象概念に乏しい日本語との関係
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1188.html

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    it1127 2008/02/27
    日本人が弱いのは、手で触れないもの、目に見えないもの、概念でしか語れないもの。でも、見立てはじょうず。
  • Inexus Electrical Services

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    it1127 2008/02/22
    そっちは遠いし、暗くて見つからないんじゃないかと思って。このたとえ話、誰が言ったのだっけ。