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赤間さんところで土曜の朝日新聞で経済思想関係の記事があったことを知り、ちょっと読んでみた。 http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090207/1234016184 折しも,藤生京子「古典の思想家 再注目 世界不況の経済学」(朝日新聞,2009年2月7日付)の記事があった。危機の時代を迎え,スミス,ケインズ,ハイエク,シュンペーター,ガルブレイスなど近現代の「経済学・経済思想の泰斗」が引っ張りだこで,「遠ざけられがちだった古典」が注目されている,という。スミス,ケインズ,ハイエクの写真を載せ,堂目さん,間宮さん,稲葉さんらの談話などを引いて,「公共政策と個人の生活をつなぐ回路が,人間社会を,深く多角的に洞察する古典の知見から見つかるかもしれない」と結んでいる。 元記事http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY20090
「派遣村」にジミンのおっさんが出かけて、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」と呆言し、公的に叩かれているけれど、ネットのある部分ではとても擁護されているとかにゃんとか。 2chとか やふのコメントとか直接見ると頭に来て仕事にならにゃーので、ここらへんのコピペを見ているわけにゃんが、いやいやいや、これはコピペでもゲロ臭くて鼻がひんまがりそうですにゃ。 「黙って死んどけ」 「若い頃何もしなかったことを棚に上げてよくやるわ」 「どんだけクズなんだよ 派遣は」 「こんなやつらを保護する必要なんかない。自分で何かする必要がないだろ。」 「この件については黙ってるつもりだったが、あえて言うわ。「死ね」/他者からモノを恵んでもらう立場である自覚がない。努力する人は助けたいが、恥の欠片もない猿に恵んでやるものは持ち合わせていない。」 などなど ニンゲン、ここまでゲロ臭くなれるもの
自由主義的人間、家族主義的人間、社会民主主義的人間―『ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学』 G. エスピン‐アンデルセンより。 ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学 G. エスピン‐アンデルセン (著), Gosta Esping‐Andersen (原著), 渡辺 雅男 (翻訳), 渡辺 景子 (翻訳) 2000年5月10日 桜井書店 4000円+税 午前7時起床。浅草は晴れ。G. エスピン‐アンデルセン の『ポスト工業経済の社会的基礎―市場・福祉国家・家族の政治経済学』を再読し始めている。 『資本主義が生み出す階級的分断と社会的不平等とを、議会制民主主義はいったいどのよな条件のもとで是正することができるのか。これが現代という時代を貫く中心的課題であり、広義の政治経済学の核心問題である』(「訳者あとがき」:p261より)は、米国流のグロー
ハイエク 嫌いじゃない ハイエクは、経済学的にはオーストリア学派のリバタリアンであることで、(町内会的なあたしは)ハイエクを嫌っている、と思われる方が多いかもしれないが、あたしの少ないハイエクに対する知識や、池田信夫さんのこの本を読む限りにおいては、ハイエクは嫌いじゃないし、今、ハイエクの思想を考えてみることは、無駄なことではない、と思う。 というよりも、あたしは(ハイエクに限らず)真性のリバタリアニズムの、ナショナリズムと対立する姿勢に、共感さえ感じていたりするし、それはナイーブなものであることは百も承知なのだが、リバタリアニズムの、首尾一貫した個人の自由を尊重する立場は、あたしが毛嫌いしている新保守主義(ネオリベ)とは、対極のものだ(と理解している)。 3種類の経済学的リバタリアニズム 森村進さんによれば、経済学的なリバタリアニズムには3種類あって、それぞれが異質な自由擁護論を持ってい
阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」 2006年3月24日 [ハイエク]別の顔のハイエク1――ウィキペディアと市場 私にとって、ネット空間とは何かという問題に先立って、市場空間とは何かが常に先にあった。そこで思い浮かぶのはオーストリア生まれの経済学者フリードリッヒ・A・ハイエク(1899~1992)である。価格メカニズムのことを「テレコミュニケーション・システム」と呼んだのは彼なのだ。今思えば奇妙な呼称である。しかし経済学の根幹を情報理論として組み換えたかに見える彼の試みは、「ウェブ進化論」や「はてな」のようなナイーヴすぎるネット信仰が跋扈する今、再読するに値すると思う。 自分の経験を語ろう。 英国にセジウィックという地名がある。ケンブリッジ大学の学部キャンパスがあるところで、モダンなコンクリート建築の校舎が並んでいる。学生や教師が暮らすカレッジ(学寮)の多くがレンガ造りや石造りの伝
「真理に向かう前進的発展が期待されたのは、個人の理性の力能(それを真の自由主義者は信頼しなかった)からというよりむしろ、個人間の討論と批判の過程の結果からであった。個人の理性と知識の成長でさえ、個人が右の過程の一部であるかぎりでのみ可能とみなされるのである」 アメリカが推し進めるグローバリズムの基本的な考え方は、政治的にはネオ・コンサバティブ、経済的にはネオ・リベラリズムだと言えます。 ネオ・リベラリズムとは、経済学的に言えばフリードマンなどに代表される「新古典派」と呼ばれる潮流の考え方であり、資本主義経済における経済政策の在り方を、アダム・スミスなどの「古典派」経済学が提唱した「レッセ・フェール」(自由放任)に近づけよという主張です。 国家が出来るかぎり経済過程に介入することは避け、市場原理にまかせて自由な競争を行うことこそが経済の発展につながるという考え方です。 小泉首相が掲げる
やっとハイエク本ができた。発売は19日だが、アマゾンでは予約の受付が始まった。あくまでも新書なので、「ハイエク入門」として誰でも読めるようにやさしく書き、専門的な議論や文献は省いた。しかしケインズとの論争は現在の世界経済を考える上でも示唆に富んでいるし、彼の法哲学はShleiferなどの実証研究でホットな話題になっている。また「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否した彼は、行動経済学の元祖としても再評価されている。そういう専門的な議論や参照文献のリストアップは、サポートページでやる予定である。序文を引用しておこう: 世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通
自由主義とは人間観である。「人間とは何か」という問いに対する深い悩みである。道徳が人間に期待する価値に対して、現実の人間はどれほど応えることができるのか、理性的な思索は人間の弱さや情念を把握しきれるのか。そのような理想と現実の距離を社会制度に反映させようとしてきた思想が自由主義である。 合理主義啓蒙思想は政治的な公民による投票は正しき民意を反映する、つまり「個人の意志が全体の意志と一致する」というフィクションを創出した。国民に主権を与えてこの筋書きを展開したのがルソーの「社会契約論」である。しかし見方を変えればこれは多数者による全体主義である。我国でもよく耳にする「国民が求めている」などという息苦しいイデオロギッシュな言葉は、この合理主義啓蒙思想により支えられている。 これに対してD・ヒュームやA・スミスなどに代表されるスコットランド啓蒙思想は、このような原子論的人間観は現実的ではなく、実
また磯崎さんからのTBをネタにして恐縮だが、「個が確立していない社会で市場経済をやるというのは、結構キツいんじゃないか?」という問題を、私もいま講義でテーマにしている。特に重要なのは、人類の所得が産業革命以後、わずか200年で1万倍以上になったのはなぜか、という謎だ。ちょうどその講義ノートを書いていたので流用すると、これには古来、多くの答があるが、私はこの資本主義という奇蹟は、17〜8世紀のイギリスに一度だけ起こり、他の経済的に成功した国は、それを輸入したのだと思う。その要因として有名なのは資本蓄積(Marx) 近代的個人の成立(Weber) 財産権の確立(North-Thomas) 法の支配(Hayek) 科学と技術の融合(Mokyr)こうした要因がすべてそろったことが近代西欧の成功の要因だったが、このうちどれを重視するかは人によって違う。かつて重視された1は、現在ではあまり問題
ハイエクの「市場・知識・自由」を読み始めている。ポパーの「歴史主義の貧困」は翻訳の問題なのか、原文が難渋なのか、なかなか難しかったけれど、「市場・知識・自由」は語り口が明快でわかりやすい。 この本の冒頭で、ハイエクが依拠するイギリス風の「反合理的個人主義」の立場を、フランス風の「合理的個人主義」と対比させながら説明している。 自由な人びとの自然発生的な協力は個々人の知性が完全には理解できないほどの偉大な事物を創りだすこと、そういうことが個人主義の主張である。……人間は高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理的で誤りに陥りやすい存在であり、その個々の過誤は社会的過程のうちにおいてだけ訂正されると考え、きわめて不完全な素材をもっても有効に活用することを目指す反合理的主義的アプローチは、おそらくイギリス個人主義のもっとも著しい特徴である。……右のような見解に対してデカルト的あるいは合理主
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