九州最古とみられる神像彫刻が、福岡県太宰府市の民家に保管されていたことがわかった。九州歴史資料館(九歴)=福岡県小郡市=が確認し、21日、明らかにした。平安時代前期の作とみられ、形や構造の特徴から、現存する国内最初期の神像が造られた9世紀制作の可能性がある。 神像彫刻は剣や鏡などのような神体の一つで、神社に人目に触れないよう保管されることが多い。 今回見つかった神像彫刻は貴族の装束をまとう男性の立ち姿で、台座を含め高さは55・6センチ。材はカヤとみられ、内側にえぐりを入れない一木造り。体形は幅広く奥行きがあり量感豊かで、顔立ちは険しい。彫刻表現はシンプルで衣のひだは深く、角張った冠をひもで縛る様子も表現されている。 九歴によると、こうした古式を… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます
太宰府で9世紀の神像確認 九州最古か、民家で発見 2014年09月22日(最終更新 2014年09月22日 19時46分) 九州最古の9世紀に作られたとみられる男神立像(平安時代、個人蔵)=九州歴史資料館提供写真を見る 九州歴史資料館(九歴、福岡県小郡市)が、九州最古とみられる神像彫刻を同県太宰府市内の民家で発見した。形状などの特徴から平安時代前期の9世紀に作られたと推定され、国内最古級の可能性もある。10月10日に始まる九歴の特別展「福岡の神仏の世界」で一般公開される。 発見されたのは、貴族の装束をまとった男神立像(りゅうぞう)。カヤ製の一木造りで、台座を含む高さは55・6センチ。一昨年、宝満山の史跡調査の過程で偶然見つかった。 九歴の井形進学芸員(仏教美術史)によると、頭部が大きく胴体が太いなどの形状、衣のひだの彫り方などの技術が平安時代前期の神像の特徴を示す。井形さんは「古さはもちろ
■「神宮は変わり続けているから、変わらない」 内宮で10月2日、外宮で同5日夜に決まった伊勢神宮の式年遷宮のクライマックス「遷御の儀」。鷹司尚武大宮司(67)は25日、伊勢市の神宮司聴で記者会見し、多くの崇敬を集める伊勢神宮と20年に一度行われる式年遷宮について「神宮は変わり続けているからこそ、変わらないでいる」と思いを語った。 神宮最大の祭事とされる式年遷宮。意義について鷹司大宮司は「20年に一度、国も人も若返るという『常若(とこわか)』を願い祈るもの」と説明。形や心を次の世代に新しくして伝えることを「世界に類を見ない形で引き継ぐことに、非常に感慨深いものがある」と語った。 また、神宮が式年遷宮によって変わり続けながら、同じものを新調することで変わらない姿であることに「神宮は遺跡ではない。生きている神宮をもっとみなさんに思ってもらいたい」と呼びかけた。 鷹司大宮司は平成19年7月に就任。
島根スサノオ 新戦力フリーマンが初公開練習 プロバスケットボール男子bjリーグの島根スサノオマジックが5日夜、松江市鹿島町の鹿島総合体育館で、10月から始まる新シーズンに向けて初の公開練習を行い、新加入の選手らが気合のこもった動きを見せた。 公開練習は全11選手が参加。試合形式の5対5、シュート練習などで、個々の動きや連係を確認した。 昨季までベルギーリーグでプレーし、2日前に合流したばかりのブランドン・フリーマン=米国出身=は、持ち前の正確なシュートを披露。練習後の取材に「今までとの違いは覚悟してきた」と語り、新天地での活躍に決意をにじませた。 このほか、新加入の元日本代表センター佐藤浩貴、ドラフト1位新人ガード井手勇次も、軽快な動きを見せた。 パブリセビッチ監督は「全選手が合流したばかりで、戦術を試すには早い」と選手の状態を確かめていた。 チームは8日夜、島根県隠岐の島町で京都ハンナリ
20年に1度の式年遷宮を来秋に控え、三重県伊勢市の伊勢神宮の事務をつかさどる神宮司庁(同市)が、「Shrine」などと従来訳してきた神宮の英語名称を「Shinto Temple」に変更する検討を始めたことが分かった。多くの英和・和英辞典は神社をshrine、寺をtempleとし、中学校でも最初にこう習う。違和感を持つ人も出そうだが、神宮司庁は「外国人に神宮、神道を分かりやすく説明するための検討。専門家の意見を聞きたい」としている。【大野友嘉子】 ◇適切なイメージ 国学院大学神道文化学部のノルマン・ヘイブンズ准教授(日本宗教史)の話 神道は日本固有の文化で、一つの訳語にオールマイティーな役割をさせるのは無理。しかし、人が入れない小さな建物に何かが祭られているというような意味のshrineに対して、templeには人が入って拝むイメージがあり、適切なのではないか。 ◇不可解な変更 タレ
房子内親王(左)と昌子内親王(右)。房子内親王は陸軍の女性用の軍服を着用 北白川 房子(きたしらかわ ふさこ、1890年〈明治23年〉1月28日 - 1974年〈昭和49年〉8月11日)は、日本の旧皇族。北白川宮成久王の妃。明治天皇の第7皇女子。母は、園基祥伯爵令嬢・園祥子。旧名は、房子内親王(ふさこないしんのう) 、諱は房子(ふさこ)、御称号は周宮(かねのみや)、お印は亀。結婚から皇籍離脱前までの名は、成久王妃 房子内親王(なるひさおうひ ふさこないしんのう)。 大正天皇は異母兄、昭和天皇は甥、上皇は大甥、今上天皇は曽姪孫にあたる。 生涯[編集] 1890年(明治23年)1月28日、父帝の明治天皇第7皇女子として誕生。母は園祥子。 幼少時より、すぐ上の姉・常宮昌子内親王(後の竹田宮恒久王妃)とともに高輪御殿で養育される。 1904年(明治37年)、日露戦争の折りには姉妹で全戦没者の氏名・
破産手続きが始まった東照宮の本殿(国指定重要文化財)=青森県弘前市で2012年4月19日、松山彦蔵撮影 本殿が国の重要文化財に指定されている青森県弘前市の東照宮(工藤均代表役員)が、青森地裁弘前支部に自己破産を申請、破産手続きの開始決定を受けたことが19日分かった。同支部の決定は6日付。工藤代表役員によると、負債総額は2億円超に上るとみられる。神社本庁によると、神社の破産は03年の横浜市・伊勢山皇大神宮に次ぎ2例目。 徳川家康を祭るため各地に建てられた東照宮の一つで、1617(元和3)年に弘前城に創建。1624(寛永元)年に現在地に移った。ヒバ材を使った白木造りの本殿は1953年に国の重要文化財に指定された。 帝国データバンクなどによると、境内の結婚式場が90年代に経営難に陥り、拝殿や社務所、敷地などが08年に競売にかけられ東京都の不動産会社所有となった。本殿は東照宮所有だが、現在、宗教活
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