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ブックマーク / bokyakusanjin.seesaa.net (9)

  • 2019年: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 中野三敏先生がお亡くなりになって1ヶ月が経ったが、研究をはじめて40年近く、先生がいらっしゃることが当たり前で、先生に読んでいただくことを目標に、考えたことをまとめて来たものだから、その喪失感は言いようがなく私の中では大きいのである。先生の教え子は例外なくそう感じているだろう。google検索で出てくるような知識ではなく、感銘を受けるとしかいいようのない学藝についての様々な知見を惜しげもなく示して下さった。たぶん我々の世代以下の日近世文学研究者で、先生になにがしかの影響

  • 「古典は本当に必要なのか」シンポの司会として: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 1月14日に明星大学で行われた標記シンポの模様は、Youtubeで公開されています。司会をしました。いろいろと考えるところがあり、総括をしたいと思っていましたが、いろいろなことが重なってなかなか書けないでいました。しかし、これ以上遅延するのも問題かなと思い、やや雑ですが、まとめてみたいと思います。 既に、ブログ等で貴重な「まとめ」やご意見がいくつも出ておりますが、主催者の方でまとめられるであろう報告書にフィードバックされることと思います。シンポ開催前から、非常に関心を集め

  • 古典は本当に必要なのか: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 1月14日(月)14:00から17:30まで、明星大学で、古典は当に必要なのかを、古典否定(不要)派、古典肯定(必要)派が火花を散らしてガチ議論する公開シンポジウム「古典は当に必要なのか」が開催される。主催は明星大学日文化学科、コーディネーターは直前のエントリーで紹介した『怪異を読む・書く』の編者、勝又基さんである。詳細な内容は、明星大学のこちらのウェブサイトでご確認いただきたい。入場無料・予約不要・使用言語は日語である。関心のある方々のご来場を、お待ちしている。

  • 可能性としての古典籍(2日目): 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 10時30分からのパネル「総合書物学への挑戦」には、国文研から、陳さん、落合さん、入口さんが報告。国文研で、新しい学問領域を提唱しようとする共同研究の各代表者である。とりわけ入口さんの発表は、30万点の画像データを全部見るという前提での研究の可能性を探るもので、のレイアウトや、文化としての表記を、それこそ領域の垣根を超え、「書物」という1点の共通点を土台に、しかも現物ではなく画像データでできる研究を具体的に提案するもので、刺激的な発表だった。 落合さんの書誌学用語の再検

  • 可能性としての古典籍(初日): 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 国文学研究資料館の大型プロジェクトに関わる、初めての国際研究集会が、日と明日、国文研で開催されている。今日は、オープンサイエンスに関わる九州大学名誉教授有川節夫先生の基調講演と、古典籍データベースをめぐる4つの報告、およびパネリストの方々の討論があったが、想像以上に面白かった。 有川先生の「古典籍共同研究とオープンアクセス」の講演。ちらっと九州弁らしきことばが出てきたと思ったが(「~しきらん」)。 オープンサイエンス、シチズンサイエンスという概念で、古典籍データベースの

  • くずし字学習アプリ開発のためのアンケート実施中: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 (当面、このエントリーが先頭に来ます) 私たちの科研(挑戦的萌芽研究)プロジェクト「日語の歴史的典籍に関する国際的教育プログラムの開発」では、くずし字をスマホで学習するアプリの開発を行うため、「くずし字学習・教育」に関するアンケートをWeb上で実施しています(日語・英語)。くずし字を読みたい!と思っているすべての人々は、このアンケートにお答えいただければ幸いです(主として海外の方を想定していますが、日人の方も大歓迎です)。アンケート回答時間は3分ほどです。アンケート

  • 西鶴論争が盛り上がってきているのかな?: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 笠間書院の西鶴リポジトリが、活発化している。3月27日の西鶴研究会における中野三敏先生の発表を前に、「文学」に発表された中野先生の「西鶴戯作者説再考」への感想・批判が次々にアップされているのだ。 口火を切ったのは篠原進氏で、司会の立場からの有働裕氏のコメントをはさみ、木越治氏、堀切実氏、中嶋隆氏らが意見を述べている。 今までほとんど反応のなかった西鶴戯作者説に対して、今回はネット上にこういう場が設けられたことも幸いしているとはいえ、多数の方の反応があるのは、中野先生が「戯

  • 江戸の文学史と思想史: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 井上泰至・田中康二編『江戸の文学史と思想史』(ぺりかん社、2011年12月)は、刺激的なである。。池澤一郎・田中康二・川平敏文・井上泰至の60年代生まれ四人組による「挑戦状」(跋文)である。思想史研究に対する文学研究側からの挑戦状であるとともに、近世文学研究の現況に対する挑戦状でもある。かつて、40代(つまり60年代ということだ)に文学史を語らせるシンポジウムをやらせたら面白いのではないかというようなことを書いたが、それに近い試みが実現したことになる。 儒学(池澤)・国

  • 『江戸の文学史と思想史』続: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 『江戸の文学史と思想史』の話を続ける。 池澤氏に続いて田中康二氏。「国学」と題するが、要は「宣長問題」である。宣長を対象とするだけに「架橋」で新味を出すのは難しい。最初の研究史は、宣長研究の拠点形成史というスタイルであるが、インパクトはいまいちか。論では『玉鉾百首(解)』でもって、文学史と思想史をつなごうとするが、これも狙いが透けて見えて、論は予想通りの展開である。『玉鉾百首解』の諸調査に基づく流布状況のところでは書誌学用語の使い方に疑問が残る。とはいえ、宣長の和歌で

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