第一話 宇田川はどの辺りを流れていたのか(1) ハチ公口から東南に伸びるセンター街の辺りは、現在「宇田川町」の地名で呼ばれ、かつてそうした名の川が流れていたことを覗わせる。 しかし現在の繁華街の様子を見ても、川の痕跡を思わせるものは全く残っていない。この町のどこを、どの様に宇田川は流れていたのだろうか。 左は大正5年(1916)まだ宇田川がこの辺りを悠々と流れていた頃の地図である〔明治42年測図大正5年修正、陸地測量部一万分の一地形図「世田谷」より抜粋〕。 図の左上から右下にかけて流れているのが宇田川。右下のY字路が現在の109の場所。ここから斜め上方へと伸びる道が現在の文化村通り、当時の農大通りである。下に伸びるのが道玄坂。ただし道幅は今よりはるかに狭かった。 農大通りの先にある学校は大向小学校といった。移転、併合をへて現在は区役所そばの神南小学校に吸収されている。跡地に建っているのが東