1996年の灰塚アースワークスに参加し岡崎乾二郎の近くにいながら「日本における抽象」から距離を置いていた山内崇嗣(1975-)は、日本というローカルな場所での「アート」にシニカルな視線を寄せ、その「悪い場所(椹木野衣)」におけるズレた感覚に基づいて制作する、という意味では、実は岡崎と会田の間にいたと言っていい。山内は、やがて「日本における洋画」をモチーフとする中で、やはり迂回した形でブラッシュストロークを慎重に俎上にのせてゆく。具象画の中でイメージと知覚のコンフリクトを追いながら、山内はそこに絵の具が剥落したようなイメージ、いわば偽のブラッシュストロークをちりばめた。その扱いは洗練されているとは言い難いが、主題となるイメージのもったりした絵の具の質感にはネタのようでいてベタなタッチが見て取れる。 ここまで見ると、主流/傍流を問わず、意識的な画家達は、とにもかくにもブラッシュストロークを回避