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ブックマーク / blog.tatsuru.com (7)

  • 日本維新の会のこれから - 内田樹の研究室

    維新の会が28日に発足した。 同日制定された党規約では、党の意思決定や代表選出について、国会議員と地方議員に同じ力を与えた。 党の重要事項は「執行委員会」で決定するが、代表、副代表、幹事長、副幹事長、政調会長、総務会長で構成される委員会のメンバーの大半は代表が選任する。 国会議員は副代表・副幹事長として執行委員会には加わるが、議決には代表を含む過半数の賛成が必要。 このほか、国政・地方選挙の候補者選定、公認、推薦、比例代表名簿順位の最終決定権は代表に帰属する。 ほとんど橋下徹大阪市長の「個人商店」のような政党である。 この記事を読んで、維新の会のこれからの様子がなんとなく見えてきた。 維新の会の「おとしどころ」がわかったような気がする。 いったいどのへんに「おとしどころ」があるのか、こういうことは事後的に「あのときに私はそう予見していたのだ」と言っても所詮「後知恵」である。 あとで賢し

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    j3672 2012/10/04
  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

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    j3672 2010/01/09
    リスクとデインジャー。デインジャーからは自力で脱出しなければならない
  • 若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)

    CIRCUSという雑誌の取材がある。 お題は「どうして若者はうまく働くことができないのか?」 一方に引きこもったまま労働しない若者がおり、一方に過労で倒れそうな若者がいる。 いずれも「うまく働いている」わけではない。 どうしてなのか。 たしかに「どうしてなんでしょう」と訊きたくなる気もわかる。 お答えしよう。 これは複数のファクターの総合的な効果であるから、単一の原因を探してもダメである。 第一は働く個人の側の問題である。 『下流志向』で分析したように、労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。 学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固

  • 格差社会って何だろう - 内田樹の研究室

    「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。 格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。 どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。 だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。 「格差」とは何のことなのか? メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。 平たく言えば年収のことである。 年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。 とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。 パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。 そういう説明がなされている

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    j3672 2007/07/24
     金は使うだけあればよいという主張。また、金が無くとも幸せでいられるという主張。学者さんらしい提言。この考え方は好きだ。
  • 新学期のご挨拶 - 内田樹の研究室

    2007年度の新学期が始まる。 岡田山に来て18回目の新学期である。 新メンバーで部長会に出てから、最初の三年生のゼミがある。 新顔の15名のゼミ生たちにご挨拶をする。 内田ゼミにようこそ。 日は初日であるので、このゼミではどんなことをやるのかについてご説明しよう。 このゼミは「知識」を得るためのものではない。 「知識」というのは基的に一問一答のクイズ形式でフォーマットされている。 「タイ・カッブの最高打率は?」「0.420」 「ニール・ヤング、ジム・キャリー、マイク・マイヤーズ。共通点は?」「カナダ人」 というふうに。 しかし、実際に人生の岐路でそういうクイズ形式の問いを差し向けられるということは起こらない。 実際に人生の岐路(めいたところ)で私たちが遭遇するのは「答えがもともとない問い」と「答えがまだ知られていない問い」だけである。 「答えがもともとない問い」というのは問いに対して

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    j3672 2007/04/10
  • 創造的労働者の悲哀 - 内田樹の研究室

    興味深い記事を読んだ。 12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。 学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。 あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。 この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。 個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。 東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。 だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。 新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。 オフィスにばりっとし

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    j3672 2006/12/19
    東大卒がニートやフリーターになる可能性は予測される30%に限りなく接近することになるだろう。
  • 少子化と家族解体 - 内田樹の研究室

    火曜の大学院のゼミのテーマは「少子化」であった。 これについては、これまでもすでに何度もこのブログで論じているので、とくに付け加えるべき意見はない。 少子化そのものは日が国民国家として縮小段階に入ったことの徴候であり、無限の経済成長、無限の資源、無限の市場というありえない幻想から醒めつつあることを意味している。 こういうものは個人の発意や決断でどうこうなるものではなく、地学的な変動のようなものである。すでに人口負荷が日の国土と環境の耐力限度を超えているのであるから、縮むのが合理的なのである。 これについては今年のはじめごろ、古田隆彦青森大学教授(人口社会学)の所論を紹介した。それを再度ご紹介しておこう。 人口容量(carrying capacity)という概念がある。 日列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている。

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    j3672 2006/11/11
    社会的なふるまい方の原則はどんな場合も同じである。それは「世の中が全部『自分みたいな人間』ばかりになったときにでも生きていけるような生き方をする」ということである。
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