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美学と歴史に関するja_bra_af_cuのブックマーク (14)

  • "The Modern System of the Arts" Part I P. O. Kristeller - Lichtung

    はじめに 稿は、クリステラーの著名な論文「近代的諸芸術のシステム:美学史研究」Kristeller, Paul Oskar. "The modern system of the arts: A study in the history of aesthetics part I." Journal of the History of Ideas (1951): 496-527. の読書ノートである。 この論文は「「五つの主要なアート(絵画、彫刻、建築、音楽、詩)(the five major arts)を構成要素とする〈アート〉(Art)」という概念は18世紀以前には存在していなかった」ことを歴史的に示す。 わたしたちがよく耳にし、当たり前の概念として受け入れ、用いるアートという概念が、どのような背景の下で現れたのかということをクリステラーは問う。 クリステラーのこの主張は発表後広く受け入

    "The Modern System of the Arts" Part I P. O. Kristeller - Lichtung
  • ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第6章 強化された形式主義 - Lichtung

    第6章 強化された形式主義 この章では、音楽における情動をうまく扱うために、強化された形式主義についての議論とそれに対する反論を概観してゆく。 まず第1節で、伝統的な形式主義について確認し、第2節では強化された形式主義を統語論的な要素、そしてその要素と情動的な要素との関係から組み立ててゆき、同時にそれらに対する反論に応答する。第3節では、強化された形式主義に対する〈歴史主義的要因〉〈機能的要因〉〈社会環境的要因〉、以上の三つの要因からの反論を検討する。 第6章 強化された形式主義 第1節 伝統的な形式主義について 第2節 強化された形式主義 第1 統語論的説明 1 音楽の構造 2 カデンツ 第2 第1の統語論的説明への反論 :音楽のはたらきとしての緊張と情動としての緊張 第3 月並みな情動と統語論的要素の関係 第4 第3の関係性への反論:音楽と内容 第5 まとめ 第3節 3つの反論 第1 

    ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第6章 強化された形式主義 - Lichtung
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2017/06/15
    従来の形式主義はある形が何かを指示・意味することと情動を持つことを混同してて(カント,ハンスリックとそれ以後もここにおいてつながる),キヴィはそれを切り分けた感じなのかな
  • ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第4章 もうすこし歴史の話を - Lichtung

    はじめに 断片的だった知識がひとつの流れとして立ち現れる、そうしたことを歴史叙述は行う力があるのだと、キヴィの整理を読んでいると気づかされる。 ピーター・キヴィの『音楽哲学入門』今回で4回目となった。全13章の三分の一の少し手前、まだまだ長いが一行ずつ読んでいきたい。 第1章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第1章 …の哲学 - Lichtung 第2章→Dedicated to Peter Kivy. Introduction to a philosphy of music 読書ノート その2 第2章 すこし歴史の話を - Lichtung 第3章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』読書ノート 第3章 音楽における情動 - Lichtung 第5章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第5章 形式主義 - Lichtung 第6章→ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』

    ピーター・キヴィ『音楽哲学入門』 読書ノート 第4章 もうすこし歴史の話を - Lichtung
  • モダニズムの擁護(アドルノ) 田辺秋守 - garage-sale

    モダニズムを理論的にもっとも精妙に擁護したのは、T・W・アドルノ(1903-69)であろう。アドルノの遺作となった『美学理論』(1970)〔邦訳『美の理論』〕は、ボードレール以降の歴史的なモダニズム芸術を範にとる、モダニズム美学の批判的集大成となっている。ドイツ語ではモダニズムという芸術上の潮流を、それよりもやや広義な概念である「モデルネ」(Moderne)という語で表現するのが普通である。後にハーバーマスのところで見るように、モデルネは「美的モデルネ」や「文化的モデルネ」ばかりでなく、「社会的モデルネ」、すなわち社会の近代化論にまで拡大することのできる概念である。 a 〈新しさ〉のカテゴリー アドルノがモデルネの芸術(モダニズム)に特徴的なカテゴリーとして考えるのは、〈新しさ〉(das Neue)である。ボードレールが抵抗を示した社会は技術進歩と功利性ばかりを追求する社会であったが、アド

    モダニズムの擁護(アドルノ) 田辺秋守 - garage-sale
  • 20世紀における「現代音楽でない音楽」の系譜 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    20世紀は(残念ながら)「現代(無調)音楽」の時代である。 バッハ〜モーツァルト〜ベートーヴェン〜シューベルト〜ショパン〜ワグナー〜マーラー〜ドビュッシーなどなど数百年に渡って脈々と伝えられてきた「クラシック音楽」には、その時代時代に「新しいがゆえに難解で理解しにくい音楽」が確かに存在した。 しかし、新しく・難解な音楽も、数十年の時を経てみれば受け入れられる。新しい音楽は、理解し受け入れるのに「少しばかり」時間が必要なだけなのだ。そう思われてきた。 ところが、20世紀に登場した「現代(無調)音楽」は、ちょっと様子が違う。 無調で作品が書かれるようになったのは、まさしく20世紀初頭である。それは、調性にがんじがらめになり肥大した後期ロマン派音楽の反動として、産声を上げた。 最初は「太刀打ちできないほど巨大な」伝統的音楽への「ごまめの歯ぎしり」的な反抗に過ぎなかったはずだった。音楽とはメロディ

    20世紀における「現代音楽でない音楽」の系譜 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/04/26
    グリーンバーグなんか読むと,ナチズムなんかのポピュリズムへの危機感があったのだろうなという感じはする>大衆忌避
  • 近代芸術(モダン・アート)という「歴史=物語」── モダニズム再考──  森雅彦 - garage-sale

    PDFで読む 1.近代芸術の外部 芸術ははじめからこれは芸術である、これは芸術でないといったかたちで存在するわけではない。いわばあるコンテクストの中で芸術となる、あるいは芸術にならされるのです。それは近・現代のモダン・アートにおいても変わらないので、ここでの話はそうしたことの一端に関わるものです。 市民社会において育まれた近代芸術は、とうぜんながら大きな特色を持っている。こころみに、何でもよい、皆さんのお手元にある美術史の教科書を開いてみていただきたい。近代以前、すなわちプレモダンの芸術について、それらはたとえばロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココといったように、おおきな時空間の枠組みで語ることを怪しまないけれども、近代になると実に多様な傾向の芸術に出会うし、めまぐるしく変わるイズムの変貌に圧倒されるに相違ない(図1)。むろんロマネスク、ゴシックにせよ何にせよ、

    近代芸術(モダン・アート)という「歴史=物語」── モダニズム再考──  森雅彦 - garage-sale
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/04/05
    "芸術という倫理はあえて── あえて素朴に、振る舞うべきだ" "批判性に富む芸術、異物としての、諸能力の女王としての芸術の有意味性は、おそらくマネの時代以来今なお変容していない"
  • 【報告】UTCPレクチャー「哲学ディシプリンとしての美学の誕生」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    2010年6月4日、パリ第4=ソルボンヌ大学教授ジャクリーヌ・リシュテンシュテイン氏による講演が行われた。今回はソルボンヌと日の諸高等教育機関との協力関係樹立という公務を帯びて来日された由で、多忙なスケジュールの合間を縫っての(しかし充実した)レクチャーとなった。 【ジャクリーヌ・リシュテンシュタイン教授】 リシュテンシュテイン教授はとりわけ古典主義期(17世紀)フランスの芸術理論の緻密かつ大胆な読解で知られるが、今回の講演では視野を拡げ、美学の歴史を辿りなおされた。中心となる地域はドイツとフランスである。 今日美学は哲学の一部門として確固たる地位を占めている。しかしそこに至る道のりは決して平坦なものではなかった。周知のとおり、近代的ディシプリン(学問領域)としての美学 esthétique, Ästhetik は、ライプニッツ=ヴォルフ派の哲学者バウムガルテンの著書 Aesthetic

    【報告】UTCPレクチャー「哲学ディシプリンとしての美学の誕生」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/05/27
    19世紀、美学をフランスに移植する際に抵抗があった。創作者たちの実践的な理論と「18世紀半ば以降の美術批評の系譜」という「美に関する二種類の言説がすでにあり、いずれも哲学とは無関係だった」ため、とのこと。
  • ニュース - 環境 - マダガスカル島、危機に瀕する森林 - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)

    海外FX業者を利用する上で、ボーナスは絶対に欠かせません。口座を新規開設するだけでもらえる「口座開設ボーナス」、入金時にもらえる「入金ボーナス」、その他にもキャッシュバックなど、様々なボーナスがもらえます。 受け取ったボーナスはそのまま取引に使え、利益が出た時は出金することも可能です。お得はあっても損はないボーナスなので、海外FX業者を選ぶ際には必ず比較しておきたいところです。 そこでこの記事では、海外FXボーナス(口座開設ボーナス・入金ボーナスキャンペーン)全195社を徹底的に研究した上で、おすすめ完全比較ランキングにまとめました。日人に人気のFX業者だけでなく、マイナーの海外FX業者や注意点なども詳しく解説していきます。 「海外FXボーナスが豪華な業者をすぐに知りたい」という方向けに、海外FXボーナス選びに役立つカオスマップを作成したのでこちらも併せて参考にしてください。 「どのFX

    ニュース - 環境 - マダガスカル島、危機に瀕する森林 - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)
  • ニッポンの美の概念 婆娑羅とヤンキー - チェコ好きの日記

    私は地方公立中学の出身なんですが、公立中なので、クラスにはもちろん“ヤンキー”がいました。朝教室に行くと黒板にデカデカと「喧嘩上等」と書いてあったり、授業中に隣のクラスの子が鉄パイプを持って殴り込んできたり、校庭を原付で走り回った子が警察呼ばれたりしていました。 そんなヤンキーくんたち、服装がとにかくド派手。特に、うちの中学のヤンキーはおしゃれな“チーマー”とかではなく、特攻服とかを着ている暴走族系のヤンキーだったので、私はよく背中に書かれている文字に釘付けになったものです。「あの漢字、何て読むんだ……?」と。 今となってはすっかり保守派と化してしまい、あまりけばけばしいものは好まない私ですが、中学2〜3年生くらいのときって男女問わずヤンキー的なものがかっこよく思えてしまうこと、ありますよね。ヤンキーくんが卒業式のときに着てきた、おそらくいちばん気合いの入った特攻服、今でも覚えています。「

    ニッポンの美の概念 婆娑羅とヤンキー - チェコ好きの日記
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/02/27
    「風流」とか歌舞伎(http://gogen-allguide.com/ka/kabuki.html)とか、派手さ・アウトローさを重んじる美意識はあったっぽいよな
  • n11books.com

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/01/07
    民族誌でも視覚の優越があったってのは聞いたことが
  • 「美学」の喪失 室井尚 - garage-sale

    「美学」の喪失─<芸術>の死後どこに行くのか? (このファイルは、2005年3月26日に、東京大学郷キャンパスで開かれた美学会東部会で口頭発表したものの草稿です。自分では大変面白いものだと自信があるのですが、誰も「美学」に掲載させて欲しいと言ってこないので、ここに載せることにしました。) 前置き、あるいは美学の喪失 去る2月2日に吉岡健二郎先生が亡くなられた。密葬だったのでまだ知らない方もおられるかもしれない。私が京都大学文学部美学美術史学研究室に入った時の主任教授である。1975年のことだった。もう1つ、一昨日の3月二24日、私は満50歳になった。身体は全然元気だし頭の中身もさほど成長しきっていないのだが、それでもこれまで半世紀も生きて来たと思うと、やはりやや回顧的な気持ちにはなる。この2つの出来事に遭遇したことが、今日の美学会で「美学」そのものについて話をしてみようと思ったきっかけで

    「美学」の喪失 室井尚 - garage-sale
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/12/27
    あとでしっかり読む。美学の教科書を読んでて、こういう近代西欧批判的な事柄への注目の薄さっていうのは気になってた
  • 自律と疎外の構造──モダ二ズム芸術論の再編成へ向けて──外山紀久子 - garage-sale

    PDFで読む 序 『モダンの五つの顔』の著者マテイ・カリネスク*1によれば、「モダ二ズム」という語は英語圏では1900年から1920年頃にかけて批評用語としての芸術的文学的概念を獲得し*2「1927年、ローラ・ライディングとロバート・クレーヴスが共著『モダ二スト詩概観』を出版したころには、この用語は──いまだ広く論争の余地を残しながらも──意味のある文学的範躊として確立していたにちがいない」と推察される。その『モダ二スト詩概観』で主要な論点となっているのは、既成の詩的伝統からの積極的逸脱、とりわけ、「モダ二ストの詩は普通の読者になぜ人気がないか」という章のタイトルが示すように、それが平均的読者に示す難解さであり、一般読者の常識的な基準から乖離しているという特徴が注目されている*3。伝統からの意識的積極的逸脱としてのモダ二ズム、およびその結果としての大衆からの疎外・「不人気」という観察は、1

    自律と疎外の構造──モダ二ズム芸術論の再編成へ向けて──外山紀久子 - garage-sale
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/12/12
    自律・内向と外向を軸に様々な論者の見方――アヴァンギャルド=モダニズム、アヴァンギャルドはモダ二ズムの特殊な位相・連続的、「互いによく似ていながら仲の悪い双生児のようなもの」――を整理。
  • 『西洋美学史』twitter読書会 11章~13章

    DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis では第11章カント。ここでは自然と芸術の関連というサブタイトルがついているが,実際にはカントの芸術定義に大半を使っており,それに対する後世の反応という文章構成になっている。 #西洋美学史読書会 2012-08-24 22:29:24

    『西洋美学史』twitter読書会 11章~13章
  • 芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    「「芸術」否定の書」と背表紙に銘打たれた『芸術崇拝の思想  政教分離とヨーロッパの新しい神』(松宮秀治、2008、白水社)は、「芸術はいかにして<神>となったのか」を近代ヨーロッパの思想、文化などと絡めて論じた。 国家権力から分離した宗教の穴を埋めるものとして、芸術が科学と同様に「市民宗教」の位置を占めていった経緯を明らかにし、近代以降の芸術崇拝がどのように定着していったかについて解き明かしている。 ‥‥と紹介するとかなり学術的な内容に思えるが、文章は平明で読みやすい。終わりの方は「肥大化した「芸術」という観念」を批判する余りやや筆が走っている印象もあったけれども、西欧で不当なまでに高い価値を与えられた近代以降の芸術(美術、アートに置き換え可)のあり方を見直そうとする筆者の主張は明快。「芸術は良いものだ」という「信仰」から自由な観点で芸術について考えたい人におすすめ。 芸術崇拝の思想―政

    芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/09/14
    『芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神』レヴュー。岡田暁生のいう音楽が「神なき時代の宗教になった」ことと同じ文脈のようだ。
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