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ブックマーク / nakaii.hatenablog.com (3)

  • 翻訳の絶滅/二つの翻訳 - 翻訳論その他

    自分で作った集客用のサイト(2005年開設、HTML手打ち)を閉じることにしたので、いくつかのテキストを何度かに分けてこちらのブログに移植します。今回は「二つの翻訳」という表題の、2006年10月28日付けの文章です。翻訳不可能論をめぐって錯綜する様々な論点を整理するという意図をもって書かれたもので、当時はこれで翻訳論の基的なトピックは総ざらいできたのではないかと不遜にも思っていました。 というのも、翻訳について書かれたって意外とたくさんあるわけですが、「即効3か月!なんで、私が翻訳家に!」の類から理論書の体裁をとった硬い感じのに至るまで、どれを読んでも金太郎飴の如し、斬新なアイディアに出くわすことなんてまずなかったからです。アントワーヌ・ベルマンの邦訳はまだ出ていなかったし、翻訳論版「紋切型辞典」が作れたら面白いんじゃないかと考えていたのだ。 それはそれとして、いまやニューラル機械

    翻訳の絶滅/二つの翻訳 - 翻訳論その他
  • 「こなれた日本語」の弊害(追記あり) - 翻訳論その他

    こなれた日語。って言い方? ありますよね。翻訳文について言われるやつ。まあ、誉め言葉。の一種。なのかしらん? 「来年度の日のGNP成長率は四%前後になります」 という発言に対して、 「Oh, it's too optimistic!」 という反応があった場合、田中さんは決してこれを、 「それは、あまりに楽観的すぎます」 なんてこなれない日語に置き換えたりせずに、 「読みが甘すぎやしませんか」 と訳してくれるのだから、舌を巻く。 (米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』) 田中さんって知りませんけどー。でも「それは、あまりに楽観的すぎます」でいいじゃん。ていうか、こっちの方がいいじゃん? だって「読みが甘すぎやしませんか」ってゆう? いいます? いわないでしょう、ふつう。ねえ。ようするにコレ、「こなれた日語」なんですけど、いわねーなー。ていうか。いえねーなー。 「読みが甘すぎやしません

    「こなれた日本語」の弊害(追記あり) - 翻訳論その他
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/05/21
    "こなれた日本語"の方が芝居がかって不自然になるケース/直訳的な方が自然なケース
  • 「作者の死」?――ロラン・バルト雑感その3 - 翻訳論その他

    ロラン・バルトが描いてみせた「作者の死」の光景には、作者の死体と並んで、批評家の死体が転がっている。 ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。このような考え方は、批評にとって実に好都合である。そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられて

    「作者の死」?――ロラン・バルト雑感その3 - 翻訳論その他
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