このことから、遅くとも1814年(文化11年)には大阪で年越しそばが、年中行事として定着していたことが窺える。 さらに年越し蕎麦の起源を遡ると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があり[4]、これが転じて大晦日だけに行われる年越し蕎麦になったと考えられている[5]。年越し蕎麦に関する記録は江戸時代中期頃まで遡ることができる。その当時の江戸では江戸患い(脚気)が流行しており、「そばを食べている人は脚気にならない」という巷説が江戸での蕎麦の流行を後押しした[6]。 年越し蕎麦に関する伝承としては、年を越してから食べることは縁起がよくないとするものや、蕎麦を残すと新年は金運に恵まれず小遣い銭にも事欠くことになるといったものがある[2]。 1756年(宝暦6年)の『眉斧日録』には「闇をこねるか大年の蕎麦」と記述されている。1812年(文化9年)の旅行記(