コンサート会場で音を立てると説教される問題がどう推移しているのかは、全然知らないのですが、前から思っていることに関連づけると、少し書けそうな気がしてきたので、そんな話。 - 18世紀の音楽会が、歌ありコンチェルトありのごちゃまぜでダラダラ何時間も続いて、会場は出入り自由だったらしい、とか。 お城の中では、音楽家は部屋の隅に立ちっぱなしで、王侯貴族がトランプをしたり、お茶飲みながらしゃべってる脇で演奏していたらしい、とか。 そういう「音楽の社会史」の情報は、たぶんもう常識になっているんだろうと思いますが、ちょっと違う視点から、この件について考えてみたいと思います。 - 昔はヨーロッパでの音楽がノイズ混じりで聞かれていたという話に対して、「昔の音楽家は可哀想、音楽をもっと大事にしなきゃ」という感想をもってしまうと、話はそこでおしまい。「王侯貴族のような自分勝手を謹んで、音楽への尊敬の気持ちをも
伊藤剛『テヅカ イズ デッド ひらかれたマンガ表現論へ』、秋田孝宏『「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画』、永山薫『エロマンガ・スタディーズ 「快楽装置」としての漫画入門』など、マンガ論にあらたな地平があらわれ始めている。 様々な観点から、その「地平」を切り取ることができるだろうが、大雑把にいってそれらのマンガ論の狙いの一つは「これまで無意識にナイことにされてきた問題を示すことで、これからのマンガの捉え方を呈示すること」だといえる。 小田切の『戦争・・・・』もまた、 そのひとつだ。永山をのぞく著者たちは、僕や僕の前後の世代の「マスコミに登場するマンガ論者・批評家・その周辺」の言説を読み、育ってきた世代だといっていい。したがって、これらの動きはある意味では必然で、先行する言説のもつ「無意識な抑圧」や矛盾、陥穽を突くものとなる。 もちろん、その点だけでこれらの本を評価なり批評してしま
あまり女を憎まないでほしい これに関する言及などを見ていて。 テレビや雑誌といったマスメディアでは男性批判を多く見かける(※追記あり)。特に最近では若年男性への批判がひどい。ニートやひきこもりは、若年男性層の問題と繋げられた光景は日常茶飯事だ。*1それに対するバックラッシュとして、男性による女性*2叩きがネット上の特定箇所で発生しやすいのだろう。 昔からそうしたマスメディア上の男性叩きはあったが、男性全般という形であり、若年男性層に寄っていったのは最近ではないか。また、男性側にも、経済面などの観点から、「女にそのぐらい言わしておけ」的な余裕があったのではないだろうか。 マスメディアとネットの意見、どちらが多く目に入る機会が多いかといえば、これは当然マスメディアだろう。そうした情報を浴びているからこそ、女性嫌悪に走る男性が出てくる。そして、一部の特殊な例の女性を探してきて、女性叩きをする。*
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