ブックマーク / blog.tatsuru.com (13)

  • 多数派であることのリスクについて - 内田樹の研究室

    神戸新聞に隔週で「随想」というコラムを書いている(これが二回目)。神戸新聞を読んでいない方のために再録しておく。 これは先週書いたもの。 橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。 首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。 公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。 まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。 私はこの手法に反対である。 脅

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    juyenmaru 2011/09/20
    かつてジークハイルとか米英撃滅と叫んでいた大衆は、敗戦後どこに雲散霧消してしまったのかというお話
  • 「まったなし」を待っていただけないでしょうか。 - 内田樹の研究室

    民主党の代表選挙があった。 一国の総理大臣を決める選挙なのだが、あまり盛り上がらない。 私自身も選挙結果にそれほど興味がない。 日政治過程は成熟期にあり、誰が総理大臣になっても、それほど違いが出ないようにシステムが作り込まれているからである。 安全と言えば、安全だし、不活性的と言えば、不活性的である。 東日大震災以来の官邸の対応について「スピード感がない」という批判が繰り返されたが、たぶん「スピード感がない、だらだらしている」というのが成熟期に入った政治プロセスの特徴なのだろう。 「スピード感がない」というのは、いまの政治を否定的に論評するときの流行語になっている。 同じように「まったなし」というのが財政危機や景況についての形容の定型になっている。 状況は「まったなし」で切迫しているのであるから、「スピード感のある」対応が必至である、という言明は整合的なように聞こえるけれど、こういう

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    juyenmaru 2011/08/30
    仕事がたまって焦りだした時ほど、かえって意図的に仕事の手をスローダウンすることがある。慌てるとミスや見落としが頻発してかえって仕事が遅くなる。「慌てず急いで正確にな!」(さらヤマ)
  • 再録しますね(1) - 内田樹の研究室

    菅内閣の支持率が20%を切った。末期的な数値であるから、もう政権は長くは保つまい。だが、「次の内閣」に私たちはどれほどの期待を託すことができるのだろう。 わが有権者たちは久しく政治の不調を統治者の個人的無能に帰してきた。「総理大臣が無能だから、外交も経済もうまくゆかないのだ」とメディアは書き立て、野党政治家たちもそう言ってきた。だから、「首のすげ替え」以外の選択肢はないのだと。そうやって過去5年間、私たちは一年に一人の割合で総理大臣の首をすげ替えてきた。 システムの失調を特定の個人の無能や悪意に帰して、それを排除しさえすればシステムは復調するという思考法に私たちは深くなじんでいる。「首相のすげ替え」も「小沢おろし」もその意味で思考パターンに代わりはない。けれども、そのようにして私たちの社会からは「公民」というものが消え失せつつあることについては自覚的であらねばならない。 「公民」とは自分と

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    juyenmaru 2011/08/26
    “「自分と意見を異にする人間はここから出て行け」とすっきり言える人間は、どれほど権威があっても、威信が高くとも、財貨や情報を占有していても、「公民」とは呼ばれない。単なる「強い私人」である”
  • ラジオについて - 内田樹の研究室

    子守康範さんのMBS「朝からてんこもり」に三月に一度ペースで出演している。 早起きするのがたいへんだが、ラジオにかかわっている人は、なぜかみんな気分のいい人ばかりで、仕事はたのしい。 同じメディアなのに、どうしてテレビや新聞とラジオとでは、こんなにキャラクターが違うのかとときどき思う。 たぶんラジオは「声」だけでリスナーとつながっているからだと思う。 声はその人の「正味のところ」がかなりむき出しになる。 話している内容のコンテンツがうまく理解できなくても、その人が「自分に向かって語りかけている」かどうかは理解できる。 それはその人が発する声の中に「自分の声域と周波数が合う音」が含まれているからである。 価値観が合うとか、趣味が似ているとか、イデオロギーや信教になじみがいいとか、そういう顕在的なレベルの出来事ではない。 もっと身体的で、もっと深いレベルの出来事である。 「声の深い人」というの

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    juyenmaru 2011/08/25
  • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

    大阪維新の会が教育条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育政治的中立性とは、来、教育法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

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    juyenmaru 2011/08/22
  • 歩哨的資質について - 内田樹の研究室

    毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。 「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出したものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで70分お話しする。 このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。 私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。 宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか(というより「何がないか」)も知らない。 時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。 『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。 「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。 だれがその大きさを定め、 だれが測りなわをその上に張っ

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    juyenmaru 2011/08/07
  • 140字の修辞学 - 内田樹の研究室

    Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。 たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。 わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。 というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。 何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。 一刀両断的コメントの

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    juyenmaru 2011/08/01
  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

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    juyenmaru 2011/08/01
    誰とは言わないが「自覚なき呪詛」の見本のようなコメントがあるなw
  • 「存在しないもの」との折り合いのつけ方について - 内田樹の研究室

    ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。 能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。 お題は「能の身体性、能の霊性」。 これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。 先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。 けれども、二人とも興味があることが近い。 それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。 「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。 神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。 「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。

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    juyenmaru 2011/07/31
  • 若者よマルクスを読もう・韓国語版序文 - 内田樹の研究室

    石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。 韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日人読者のためにここで公開することにしました。 すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。 韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。 このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。 どうしてこんなを書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。 マルクスは1920年代か

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    juyenmaru 2011/07/16
    社会における一般的な通過儀礼としてのマルクスの意義について
  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

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    juyenmaru 2011/07/05
    なんという知的なイヤミw
  • personal power plant のご提案 - 内田樹の研究室

    関西電力は10日、大企業から一般家庭まで一律に昨夏ピーク比15%の節電を求めた。 どうして、一律15%削減なのか。関電がその根拠を明示しないことに関西の自治体首長たちはいずれもつよい不快を示している。 関電の八木誠社長は会見で、節電要請は原発停止による電力の供給不足であることを強調した。 しかし、どうして首都圏と同じ15%で、時間帯も午前9時から午後8時までと長いのか。 会見では記者からの質問が相次いだが、関電から納得のいく説明はなかった。 関電は経産省からの指示で、今夏を「猛暑」と予測し、電力需要を高めに設定している。 だが、同じ西日でも中国電力などは「猛暑」を想定していない。 また、震災で関西へ生産拠点が移転することによる電力需要増や、逆に、震災で販路を失った関西企業の生産が減少する場合の電力需要減などの増減予測については、これを示していない。 15%の積算根拠としては、猛暑時の電力

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    juyenmaru 2011/06/12
  • 脱原発の理路 - 内田樹の研究室

    平田オリザ内閣官房参与は17日、ソウル市での講演で、福島第一原発で汚染水を海洋に放出したことについて、「米国からの強い要請があった」と発言したのち、翌日になって「不用意な発言で、たいへん申し訳なく思っている」と発言を撤回して、陳謝した。 発言について平田参与は「この問題には全くかかわっておらず、事実関係を確認できる立場でもない」として、事実誤認であることを強調した。 内閣官房参与、特別顧問の「失言」が続いている。 平田参与の前に、3月16日には笹森清内閣特別顧問が、菅首相との会談後に「最悪の事態になった時には東日がつぶれることも想定しなければならない」という首相の発言を記者団に紹介した。 4月13日には松健一内閣官房参与が「原発周辺には10~20年住めない」という首相発言を紹介したのち、撤回した。 震災直後に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘東大大学院教授は、政府の原発事故対応を「場当

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    juyenmaru 2011/05/20
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