ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (17)

  • 学力調査結果を公表すべきでない理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    橋下知事「学力調査の市町村結果、公表すべし」 学力調査非公表なら「私の責任で公表も」 秋田県知事、いずれもasahi.comより。*1 上記記事に関連して。 調査というのは、何を、どういう方法で測り、それにどういう意味があるのかをきちんと考えられる人にとってのみ、意味がある。公表が問題になっているその学力調査というのは、何をどういう方法で測ったのか。そして、測った時点での測定値にはどういう意味があるのか、そういうことも含めて丁寧に検討するのでないならば、結果だけ公表しても意味がない。そして、「結果だけ公表しても意味がない」ということがわからない人に対して公表することは、明白に害がある。 たとえば、ある地域の学校の教育力を測定したいのであれば、ある時点での学力を測り、なんらかの教育手法を試した後、もう一度学力を測定し、どのくらい変化があったか、ということを問題にしなければならない。また、その

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    kaikai00 2008/09/10
  • 新自由主義者なら教員免許更新制には反対すべき - モジモジ君のブログ。みたいな。

    教員免許更新制が取りざたされているけれども、こんなものに賛成している輩は「新自由主義者」ではない、と言っておく。たとえば『資主義と自由』(品切れ中)などを読めば書いてるけれども、ミルトン・フリードマン*1は、医師免許制にさえ反対している。政府ではなく、市場に認定させよ、というのが新自由主義の主張のはずだ。 最低でも、民間企業が運営する認定試験を全部容認した上で、どこの認定試験でもいいから一つ持っていれば学校で働ける、という制度にするべきだ(ハイエク*2の通貨発行自由化論を想起せよ)。それでこそ「新自由主義」である。 教員免許更新制に反対していない論者は(賛成していない、ではない、明示的に反対しなければならないはずだ)、新自由主義者でさえない。市場を信頼していないのだから。新保守主義に迎合する、ただの裏切り者(新自由主義にとっての)である。 ただし、以上は、新自由主義者が、口で言うほどに市

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    kaikai00 2007/12/19
  • 教育における強制・矯正・共生 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    私たちが学ぶ必要があることは、直接的に自分にとって役に立つこと、必要なことだけではない。私たちの社会は、一つの経済をなしており、その中で、十全に暮らせている者もあれば、そうではない者もある。そして、そうではない者たちが十全に暮らすためには、既存の社会構造を前提にして自身の努力で埋め合わせるか、さもなければ社会構造の方に変わってもらわねばならない。*1 社会構造を変えるとは、私が変えることができるのでもなければ、あなたが変えることができるわけでもない。しかし、あなたと私ならば、変えることができる。そういうものである。あなたと私は、私の生存と生活についての問いを共有し、あなたの生存と生活についての問いを共有しなければならない。あなたの生存と生活が十全なものではないならば、それはあなたと私が共同して解決すべき問いであるし、私の生存と生活が十全なものではない場合にも同様である。 私の生活が十全なも

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    kaikai00 2007/10/31
  • 学校を廃棄したその後、中間?まとめ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    かなり多岐にわたる話に踏み込んで書き散らかしたままなので、発端の記事に戻って整理してみる。 ブログの関連記事の整理 まず、最初に問題にしたのは次の発言だった。 学校をなくすっていうと、「どこで漢字を覚えるのよ、九九を覚えるのよ、もっと現実的なことを言ってよ」とか言われるんだけど、どっちが当の意味で現実的なのかと考える。このまま学校って装置を延命して奉って行くことがどこまで現実的なんだ。(PART5の真ん中へん) http://www.allneetnippon.jp/2007/09/2_12.html 構図を単純化すれば、次のようになる。 α:「九九や漢字を覚えること」を優先して、現にある学校の暴力性について考えていない学校肯定論 β:現にある学校の暴力性をなくすことを優先して、「九九や漢字を覚えること」について考えていない学校廃棄論 世間は圧倒的にαに近いだろうから、βの立場から、ま

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    kaikai00 2007/09/25
  • モジモジ君の日記。みたいな。 - 「対案を出せ」論法について

    何かについて批判的なことを言うと、すぐさま「だったら、どうするんだ、対案を出せ」などと恫喝される。これは不当だ。しかし、私たちは、ある瞬間を空白にしておくことはできないのであり、そこに何かがなければならないなら、やはり対案は必要なのである。とすれば、先の不当さは何に由来するのか。ここにあるズレをきちんと見ておかなければならない。*1 「対案を出せ」論法批判 批判は、あくまでも問題の所在を示す。その解決が可能かどうかは分からない。大抵、示せない。しかし、それが問題であるならば、明らかに問題なのだ。たとえば、必ずしも死ななければならない理由がないのに、人が死ななければならなくなっているとき、それは問題だ。そのような状況は、「あってはならない」こととして認識されなければならない。そのようなことが「現実に起こらない」ために、何かをしなければならない。私たちは現にある現実を、そのどこかを、変更しなけ

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    kaikai00 2007/09/22
  • 収容所としての社会と教育 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「学校を廃棄したその後」のコメント欄より。 特に、一番新しいコメントに対して。 toledさんとのやりとりは毎度緊張感がありますね。この問題ではハッキリと立場違うしね。そのあたりをぶつけあってみると面白いもんになるはずだ、とは思うわけです。今回は長くなったので、記事で応答します。 収容所としての学校/社会 その人の中に(いまは)ないものが、どこからやってくるのか。これが第一の問いだ。論理的に二つの可能性しかない。一つは、その人の中から自然にわきおこってくるという発想。いま一つは、内から自然にわきおこってくるわけではなく、少なくとも外からの刺激が必要だという発想。これは形而上学的な立場選択の問題だから、選ぶしかない。これが出発点。僕は、外から来るしかないだろう、という立場である。「自然に」という人については、そのような立場であると表明されれば、とりあえずはよい。そこで違いがハッキリするから、

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    kaikai00 2007/09/22
  • 学校を廃棄したその後 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    貴戸理恵の不登校系トークラジオ第2回@オール・ニート・ニッポンを聴取。常野さん(id:toledさん)も出演してる。気になった、象徴的な場面を取り上げる。PART5終わり頃の貴戸氏の発言(の大意)。 学校をなくすっていうと、「どこで漢字を覚えるのよ、九九を覚えるのよ、もっと現実的なことを言ってよ」とか言われるんだけど、どっちが当の意味で現実的なのかと考える。このまま学校って装置を延命して奉って行くことがどこまで現実的なんだ。(PART5の真ん中へん) http://www.allneetnippon.jp/2007/09/2_12.html 貴戸氏や常野氏の、いろいろ言ってきているところの、ずっと気になっているのはまさにこの点なのだ。「どこで漢字を覚える」、「どこで九九を覚える」、こうした具体的な問題について考えないでどうするんだ、と。もちろん、「漢字や九九」のために、「今ある学校をその

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    kaikai00 2007/09/19
  • 応答責任、再論 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    応答責任について、再度確認しておこう。 たとえば、ほっておけば自分では何もできないであろう赤子*1がいて、それを見ている人がいるとする。その人は、その赤子の面倒を見るのだ、と決意したとする。ある人は、そこで初めて倫理的責任が生じたのだ、と言う。そして、そうした何らかの手続きを経てその人に引き受けられた責任にしたがって、その赤子の面倒を見る、つまり、責任を果たす。──しかし、こうした記述は、私たちが無力な者を目撃するときに生じている様々なことどもを、きちんと捉えているだろうか。 次のような問いを立ててみよう。赤子の面倒を見ると決意したその人が、決意する前に考えることは一体何であろうか。明らかなことは、その人は決意する前には何ら強いられるような感覚を感じず、自らの意志によって決意したときに初めて何かの強いられる感覚を感じる、というようなものではないということだ。私たちは、決心しようとしまいと、

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    kaikai00 2007/05/09
  • 運動の戦略、とか言われるものについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    社民的なものが後退戦を続ける中で「自己批判せよ」みたいな話がよく聞かれる。戦略がバカげているから支持を集められないのだとか、正しいことを述べているだけではダメだとか、まぁ、そういう話。・・・もちろん、戦略は大事だ。しかし、僕が思うような意味での大事さは、巷でしばしば見聞きするところの戦略論とは全然違うものであるらしい。そのあたりのことを、少し整理してみる。 前提を整理しよう。私たちと彼らの目指すものは異なっている。単に方向が違うだけではない。私たちは一部の人たちに重荷を押し付けるようなやり方をやめよう、と言い、むしろその重荷を共に背負うこと、そうした重荷を減らすことを主張すると同時に、重荷を減らすための努力を求めるという意味においてさらなる重荷を背負うことを求める。一方、彼らは、相変わらず重荷を一部の人に押し付け続け、そうした負担から共謀して逃れ、安穏と暮らそう、と誘惑する。どちらの道も同

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    kaikai00 2006/11/27
  • 府民集会に行ってきました - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ひさしぶりに義務的な外出の予定が入ってない木曜日。休みたかったのだけど、昨日の強行採決を見せられては一応顔を出さなきゃy。というわけで、教育法改悪に反対する府民集会に出かけてきました。終わってから軽く暖かい焼酎を飲んで、明日からまた頑張ろう、というところです。人数はよく分からないのですが、でもとにかく沢山いました。過去、扇町公園に何回か出かけていった中では、一番多かった。東京方面でも、ほかでも、皆さん頑張ってらっしゃるようで。お互い無理せず淡々と行きましょう。 というわけで、行ってきました、って報告だけで。明日も東京方面では日比谷野外音楽堂で集会があるんですね。行かれる方は体に気をつけて。

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    kaikai00 2006/11/17
  • 教育基本法、あるいは日本における民主主義の山場 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性・若者・学生を探せ 内閣府やらせマニュアル - 保坂展人のどこどこ日記 やらせ×やらせ=教育法改正賛成の声の幻 - 保坂展人のどこどこ日記 次々明るみにでる一連のタウン・ミーティング(TM)のやらせスキャンダル。民主国家においては、ありえない、あってはならないスキャンダルの一つといっていい。議論の余地はない。・・・といいつつ、議論してみよう。TMを盛り上げたいのであれば、イベント開催の広報にこそ力を入れればいいのだ。ついでに「反対意見の方こそ集まれ」とでも言えば、そこに政府の誠実さを見出し、シニシズムに陥っていた人も訪れるかもしれない。なぜ、教育行政筋の人間ばかりを集めるのか。なぜ質問の「内容」まで用意するのか。あるいは質問の内容を用意するにせよ、なぜ「反対意見」のフォーマットも併せて用意しないのか。いくらでも突っ込みを入れられる。・・・と同時に、そもそも政府筋からの呼びかけで集め

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    kaikai00 2006/11/12
  • 政治の生産性 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    教基法、与党単独採決も=やらせ質問「つまらぬこと」−自民・二階氏@Yahooニュース 自民党の二階俊博国対委員長は10日夜、那覇市で講演し、教育法改正案について「国会の会期もある。いつまでも慎重審議で(野党に)引きずられていたら、政治の生産性が上がらない」と述べ、与党単独での採決も辞さない考えを示した。 また、二階氏は、野党がタウンミーティングでの「やらせ質問」などの真相解明が先決としていることに対し「教育法を60年ぶりに改定しようとしている。それに比べたらやらせがあったなんてつまらないことだ」と語った。 via. http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20061111/1163223189。 annntonioさんは「「生産性」という偏った見方と判断になじむ案件ではない」という言い方をしているけれども、この言い方はいただけない。「何の生産性か」と問わなけ

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    kaikai00 2006/11/12
  • 募集定員200名、関係者ご招待279名?! - モジモジ君のブログ。みたいな。

    9月2日、青森県八戸で行われた『教育改革タウンミィーティング』の募集定員は、200名だったが現実には400人を超える人が参加した。ここで、一般の参加者は何人だったのか? と問うと、山信一郎大臣官房官房長は「186人です」と答弁した。私は、「知人に聞いたところ、5人応募したが1人しか入れなかったと聞いている。何人の人が応募して、選外となったのか」と問うと、「全員が入れたはず」とのちぐはぐ答弁。この点は再調査を要求した。 ところで、このミーテイングに参加した人の話によると「主婦です」と話し始めた人のところで、ドッと笑いが沸いたという。なぜなら、この「主婦」は先日まで校長であり、その前は市教委の指導主事だったから、教育界の人たちは「主婦」という言い方に思わず口元を緩めてしまったのだという。「そのぐらい、学校長・副校長・事務職員・教育委員会などの関係者が多かった」と聞いたので、この関係者の人数は

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    kaikai00 2006/11/11
  • 教育を行政が支配するとどうなるのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    教育が行政を支配するとどうなるのか。つまり、教育法が与党案の線で改正されるとどうなるのか。私たちはそのサンプルを既に知っている。教育行政がどれほど無知で無責任で狡猾で嘘つきであるのか。この10月に出たばかりのだが*1、国旗・国歌法制定以来の経緯が、丁寧な実例とともに整理・紹介されている。 子どもが見ている背中―良心と抵抗の教育 作者: 野田正彰出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/10/13メディア: 単行 クリック: 1回この商品を含むブログ (6件) を見る 目次は次のとおり。右側に簡単な内容を紹介。 Ⅰ 「心の教育」が学校を押しつぶす 「心のノート」など心理主義的ナショナリズム導入の契機となった1998年中教審答申の批判。 Ⅱ 「民間人校長」は、なぜ自殺したのか 「民間人校長」をトップダウンの教育行政貫徹の道具として扱う教育行政の実態。 Ⅲ 「君が代」強制によって、

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    kaikai00 2006/11/03
  • 「国会TVを見る」運動ってどう? - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm 参議院インターネット審議中継 去年の選挙前に「国会議事録を読もう」と呼びかけたのだけれど、基的には同趣旨。ただ、議事録はいい資料だけど、残念ながら速報性がない。実際の議論があってから3、4日遅れてくる。これは、文字に起こされた議事録を発言者に回して「これでよいか」という確認を取ってからウェブにアップされる、というシステムのためらしい(詳しくは知らないが)。そこで、即日から閲覧できる画像なんだけど、一度、衆議院TVのサイトに行ってみて欲しい。たとえば10月6日予算委員会だと、次のように表示される。 金子一義(予算委員長) 9時 00分 01分 菅直人(民主党・無所属クラブ) 9時 01分 58分 田中眞紀子(民主党・無所属クラブ) 9時 59分 1時間 00分 岡田克也(民主党・無所属クラブ) 10時 59分

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    kaikai00 2006/10/09
  • 思想の左右に関係なく「改正」に反対すべきである - モジモジ君のブログ。みたいな。

    教基法「改正」に反対の声を上げているのは主に左っぽい人たちなわけだが、しかし、この「改正」の問題点は左派的価値観にのみ関わりのあることではない。政治的立場を問わず一致して反対すべき問題点に絞って提示してみたい。 教育法「改正」を問う―愛国心・格差社会・憲法 作者: 大内裕和,高橋哲哉出版社/メーカー: 白澤社発売日: 2006/06メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (6件) を見る 参考資料はこの。前半が高橋哲哉&大内裕和の対談、後半が大内裕和氏による問題点の整理という構成。後半部を参考にしつつ論点を抽出する。 教育の目的の変更:「個人の価値」の尊重から国策としての人材育成へ 教育主体の変更:主権者から教育行政へ 新自由主義的理念へのシフト 平和憲法との切断、改憲への布石 1は愛国心、3は格差社会、4は憲法との関連で左派の関心を集めているところでもあり、あちこ

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    kaikai00 2006/10/04
  • 国旗・国歌なんぞ、私事でやれよ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    石原都知事が都議会で咆えているようです。つまり、地裁でどんな判決が出ようとも、一切の処分を撤回はおろか保留さえせず、一切の説明において以前と同じものを繰りかえし、判決について内容に踏み込んだ反論は一切しない、ということです。地裁って何のためにあるんでしょうね???愚弄される裁判所。愚弄される都議会。以下に9月26日都議会の議事録より関連部分だけ抜き出してあります。 【曽根はじめ議員】 九月二十一日、東京地方裁判所において、都教委が出した通達と命令で卒業式や入学式などで日の丸に向かって起立し、君が代を歌う義務はないこと、起立、斉唱などをしないことを理由にいかなる処分もしてはならないという画期的な判決が出ました。 判決は、日の丸・君が代強制問題についての都側のいい分をことごとく退けています。 第一が、強制が憲法に違反するという指摘です。都教委の通達は、起立、斉唱などの行動を命じたのであって、内

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    kaikai00 2006/10/04
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