(前篇はこちら) ところが清は、18世紀までに手に入れた領域を「神聖不可分」なものとして維持することが、内憂外患の時代における最後のプライドの拠り所であると考えるようになった。 とりわけ19世紀中頃以降激化するヨーロッパ列強の拡張を食い止めるためにも、漢民族の「中国」から遠く離れた土地を囲い込み、そこに近代的な国家主権を設定しなければ安心できないと考えたのである。そこで1870年代になると清は新疆を回復したのみならず、そこに漢民族地域と全く同じ制度を敷いて中国化を進めるために、1884年に「新疆省」を設置した。 漢字や儒教の強要 「異分子」への不安 さらに清は、日清戦争に敗れ、日露戦争で近代日本の「成功物語」に刺激されると、漢民族中心の「近代中国」を作ろうとする中で、漢字と儒教をチベット・モンゴル・トルコ系ムスリムに強要して「中国人」となるように迫る。 何故なら、国内に言語が通じない異分子