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2014年1月6日のブックマーク (4件)

  • 合理的政治人としての岸信介 - himaginary’s diary

    年末年始に何となく手元の岸信介に関するを幾つか*1眺めていたら、この人は基的に、一般に思われているような単なる権力志向の右翼政治家ではなく、所与の前提下で最適な政治解決策を求める、という、ある意味非常に学校秀才的な合理的行動を取る人だったのではないか、という気がしてきた。ただしその際、目的至上主義に走る余りルールを枉げることも辞さず、というスタンスが色々問題を呼んだように思われる。 以下、そうした観点から彼の行動を簡単にまとめてみる。 満州 満州国が建国されたという前提下で、最適な経済の仕組みを策定 「出来栄えの巧拙は別として、ともかく満州国の産業開発は私の描いた作品である」という有名な台詞にあるように、官僚の枠を超えて自由に腕を振るった 戦時経済 戦時経済という前提下で、最適な経済の仕組みを策定 場合によっては上司たる小林一三大臣との衝突も辞さず 人もその時は官僚としての振る舞いを

    合理的政治人としての岸信介 - himaginary’s diary
    kaikaji
    kaikaji 2014/01/06
  • 栗原裕一郎「慎太郎と龍」(in『すばる』2014年2月号)

    村上龍と石原慎太郎の類似性を日という共同体への「嫌悪」であることに注目した論説。 特に面白く思ったのが、村上龍の「嫌悪」の変化だ。『愛と幻想のファッシズム』では、日の戦後民主主義を代表とする「戦後のすべて」が嫌悪の対象となっていた。ところがこの著作の準備の過程で経済学に出会い、やがて「それまではその外部に自身を置き唾棄していた共同体の内側で、可能性を与える、価値を見出す、という動機が見られるようになった」。 栗原さんはこの「転換点」を97年前後に求めている。また21世紀になってからは、かって嫌悪した共同体の中に、「危機感」を抱いたり、「戦争」を生きている経営者たちを見出すようになった。 しかしこの「発見」は、「何ら希望がないと嫌悪し続けてきた共同体の中に、自分が欲していた理想があったということになる。この矛盾は、作家・村上龍にとってはクリティカルなねじれであるだろう」と栗原さんは指摘し

    栗原裕一郎「慎太郎と龍」(in『すばる』2014年2月号)
    kaikaji
    kaikaji 2014/01/06
  • 反中反韓感情が反米感情と結合すれば袋小路

    中国韓国との関係改善は五里霧中である。中韓両国内の情勢はともかく、日国内においても、反中、反韓感情が国民の間でかつてない程高まっている。この現象は、単なる好き嫌いの次元にとどまらない。 私は、外交問題の専門家ではない。しかし、私の専門である財政の分野でも、防衛費のあり方を通じて、この現象は無視できないものとなっている。政府債務が累増し厳しい予算制約に直面している中で、緊張が高まる安全保障環境を踏まえ、防衛費をどう支出するかが重要な課題である。 特に中国北朝鮮を意識すれば、厳しい財政状況を理由に防衛費を抑制するとはけしからん、という意見は、2013年度よりも2014年度の予算編成時の方が確実に強まった、と財政の研究者として感じる。事実、2014年度政府予算案での防衛関係費は4兆8848億円と2年連続増加し、当初予算ベースでは第1次安倍内閣時(2007年度)の4兆8016億円を上回

    反中反韓感情が反米感情と結合すれば袋小路
    kaikaji
    kaikaji 2014/01/06
  • ハンナ・アーレント - 吟遊旅人のシネマな日々

    「ローザ・ルクセンブルク」でバルバラ・スコヴァを見て以来、あっという間に26年が経っていたことに気づいたのは、彼女の姿を一目見た瞬間のこと。「うわ、おばさんになってる」 わたしは26年前に見たはずの「ローザ・ルクセンブルク」よりも、作により深い共感を抱いた。アーレントが語る言葉の力強さに感銘を受けたからだ。 映画は、1960年にアルゼンチンでアイヒマンがイスラエルのモサドに拉致されるところから始まる。翌年イスラエルで裁判が始まった。そのころ米国への亡命20年を超えていたハンナ・アーレントはイスラエルでの公判の傍聴を希望する。そして『ニューヨーカー』誌にルポを掲載することを約束していた。愛する夫にキスとともに送り出されたハンナは、裁判を傍聴して、被告アイヒマンが自分の想像していた人物とはかなり異なることに衝撃を受ける。そして、アイヒマンが特別な悪人ではなく、凡庸な悪人に過ぎないこと、誰もが

    ハンナ・アーレント - 吟遊旅人のシネマな日々
    kaikaji
    kaikaji 2014/01/06