タグ

ブックマーク / ginyu.hatenablog.com (4)

  • 私のはなし 部落のはなし - 吟遊旅人のシネマな日々

    一人の学生が、屠場(とじょう)の人々を撮影した「にくのひと」というドキュメンタリー映画を作った。思いのほか評判を呼んで劇場公開にこぎつけるところまで行ったが、部落解放同盟兵庫県連合会の抗議を受けて、作品はお蔵入りとなった。それから10年、かつての学生は部落問題に無理解だった自分を顧みて、今度こそは部落問題についての映画を作りたいと切望してカメラを回し始めた。そして完成したのがこの映画、3時間半の力作として世に出た。 作は被差別部落に生まれ育った人々の肉声によって織り上げられていく。八十代の女性から二十歳の青年まで、多くの人々が自身の経験を語る。座談会形式だったり単独インタビューだったりと語り方は様々だが、それらはオーラルヒストリーの手法によって記録されていく。つまり、口述による歴史である。記憶をたどる歴史である以上、そこには間違いや隠蔽が生まれるだろう。言い淀みが何を意味するのか、沈黙の

    私のはなし 部落のはなし - 吟遊旅人のシネマな日々
    kaikaji
    kaikaji 2022/05/24
  • 羊飼いと風船 - 吟遊旅人のシネマな日々

    チベットを舞台にした映画はあまり見る機会がないので、その雄大な美しい風景を見ているだけでも引き込まれていく。と同時に、チベットとモンゴルの区別もつかない自分自身の無知が恥ずかしい。バター茶を飲む遊牧民という文化や風習は同じでも民族まで同じかどうかはわからない。細かいところはまったくわからない、だからこそチベットの歴史とモンゴルの歴史、それぞれに思いを馳せる。 チベットは現在、中国の自治区として存在している。その歴史は今まで映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」などで描かれてきた。そして今、中国の一人っ子政策の弊害がこの地にも押し寄せ、その政策に翻弄される家族の物語が作で描かれる。 映画のタイトルとなっている「風船」は、コンドームのことである。子どもたちが、それが何かを知らずにコンドームを膨らませて遊ぶ、そのシーンから始まるこの映画は政府が配給したコンドームを一つの象徴として描いていく。

    羊飼いと風船 - 吟遊旅人のシネマな日々
    kaikaji
    kaikaji 2021/02/07
  • 涙するまで、生きる - 吟遊旅人のシネマな日々

    今年のマイベスト10に入る映画。劇場で見たのはだいぶ前だけれど、今こそこの映画を大勢の人に見てほしい。 フランスはアルジェリア戦争から何も学ばなかったのか? シリアへの空爆を再開するような愚かなことはやめてほしい。平和への願いを込めてこの映画を紹介します。 作はアルベール・カミュの短編集『転落・追放と王国』のなかの一編「客」を原作とする。ヴィゴ・モーテンセンはアメリカ人なのに各国語が堪能で、作ではフランス語、スペイン語、アラビア語を駆使する。 舞台はカミュの作品らしく、やはりアルジェリアの荒涼とした山間地。山肌にへばりつくようにポツンと建つ小さな校舎で子どもたちに教えているのはダリュという白人。授業が終われば校舎の一角がそのまま一人暮らしのダリュの自宅となる。なだらかな起伏の広がる大地と山並には底なしの渇きが漂う。水はどうやって確保するのだろうか。砂漠のサラサラとした砂ともまた異なり、

    涙するまで、生きる - 吟遊旅人のシネマな日々
    kaikaji
    kaikaji 2015/11/17
  • ハンナ・アーレント - 吟遊旅人のシネマな日々

    「ローザ・ルクセンブルク」でバルバラ・スコヴァを見て以来、あっという間に26年が経っていたことに気づいたのは、彼女の姿を一目見た瞬間のこと。「うわ、おばさんになってる」 わたしは26年前に見たはずの「ローザ・ルクセンブルク」よりも、作により深い共感を抱いた。アーレントが語る言葉の力強さに感銘を受けたからだ。 映画は、1960年にアルゼンチンでアイヒマンがイスラエルのモサドに拉致されるところから始まる。翌年イスラエルで裁判が始まった。そのころ米国への亡命20年を超えていたハンナ・アーレントはイスラエルでの公判の傍聴を希望する。そして『ニューヨーカー』誌にルポを掲載することを約束していた。愛する夫にキスとともに送り出されたハンナは、裁判を傍聴して、被告アイヒマンが自分の想像していた人物とはかなり異なることに衝撃を受ける。そして、アイヒマンが特別な悪人ではなく、凡庸な悪人に過ぎないこと、誰もが

    ハンナ・アーレント - 吟遊旅人のシネマな日々
    kaikaji
    kaikaji 2014/01/06
  • 1