529 :AA作った:2006/05/19(金) 00:44:55 lニニニ7 「| 「| lニニニ7 lニニニ7[][]┌─┐ _ri____[][] ノ丿|/ | | | | // ─」 .// . | 口 | └i r-i | lニニニl </ </ \7 |/ ノ |/ . .└─┘. |/ l」 \ | ∩∩ あふれ出るインテリジェンス! V∩ (7ヌ) (/ / / / ∧_∧ || / / ∧_∧ ∧_∧ _(´∀` ) ∧_∧ || \ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄ ⌒ヽ(´∀` ) // \ /⌒ ⌒ ̄ヽ、三文 /~⌒ ⌒ / |サブカル
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
このブログ 半年以上休止してたんですが今年の4月にアドバンスに入って再開したわけなんですが、もちろん放置してたわけでアクセスは1日に15ipほどでした。 それで、別にアクセスをあげるために更新してるわけではないんですが、やはり、日々の反応は気になるわけで、アクセスカウントは見るわけで、やはり再開し1ヶ月が過ぎると若干ですがアクセスはあがりました。 あまりアクセスをあげる努力はしていないんですが、『動けば自分のブログも動き出す』を実感しながら楽しんでおります。 再開当初、検索ワードで来る方は皆無で、最近では10人くらいは検索ワードからやってきてるみたいだし、その増えてく過程が、結構楽しいです。 最近のアクセスログを晒しますとこんな感じとなっております。 過去1週間の閲覧数とランキング 日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング 5/18(木) 445 pv 100 ip -位(549503 B
BLOG STATION:ブログのネタと書き続けることについてのKenさんのコメントレスにずきずき、ぎゅーっときました。 私は、その人の日常が垣間見えるブログが好きです。どんなブログであっても、文章のすみっこにふと見えるその人の日常のようなものが見えると、少し嬉しいような温かい気持ちになります。 それは、その人が確かに存在して何かを感じたり考えたりしたということが、感じられるからかもしれません。 私がここで書いているもの。嬉しかったこと、怒ったこと、悲しかったこと、悩んだこと、泣いたこと。それは私が確かに存在して、現実に考えたり感じたりしたこと。それは私のかけがえのない大切な日常の一部です。 つまらない日常なんてものはない。どのような日常であっても、それはその人にとっては大切なもの。あなたの身近に存在する人がいなくなったら、毎日何気なくしていたことができなくなったら、そこにあったも
経緯がさっぱり分からないのだけど、「文化系女子」に関連して一悶着あったようで。 「文化系女子」問題については、猫でもわかる!最近のはてな村の騒動のお話で知ったんですが、経緯が全然良く分からなかった。その後、ARTIFACT@ハテナ系を読んで、以下のような経緯なのかなと良く調べもせず納得した。 ユリイカなどを通じて「文化系女子」と言う言葉が女子を中心に広がる ダ・ヴィンチを通じて「文化系女子」が男子に広まる 男子が「文化系女子」好きと思う 誰かが「文化系女子」萌えと書く 文化系女子が男子(非モテ男)キモイという なんだ、この小学校で男子と女子が分かれて争うみたいな構図。ホームルームで長引いて家に帰れないみたいな。クラス全員机に突っ伏しさせて「誰だ、委員長に『文化系女子萌え』と言ったのは。正直に手を挙げなさい」みたいな。 問題は好きを萌えに変換してしまったことなんですが、好きから萌えに変換され
PowerEdge SC440をQuad Core + 8GBメモリで動かす はてなのnaoyaさんの日記でQuad CPUでxenを動かしてるという事が書いてあったので、自宅でもはてなのサービスをまねた構成をしたくなったので人柱やってみました。 タイトルの通り、1万5千円で買ったSC440をDELL公式のスペックよりもオーバースペックな事をして動かしました。 まずは、メモリから。 ミラクルリナックスの中の人曰くマザーボードの仕様的には8Gまでいけて、8Gちゃんと認識したという事で、以前から買い漁ってたTranscendの1GB DDR2 667MH ECC メモリの 2GB 番の TS256MLQ72V6U 4枚買って来て刺した所 BIOSでは8G認識してるのにOS上げたら3.5Gにも満たなかった、よく考えて64bit番のCentOS入れたら無事8G認識しました。 次はCPU、SC440
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
自分の意思表明としては最悪の選択 ちょっと話はそれるけど。「がんばります」という意思表明の言葉は、あまりにもあいまい。 信頼できない人ほど、がんばりますというあいまいな言葉で自分の意思だけを示して具体的な策については触れない。 がんばってに現状否定は含まれているのか? 「おい!。(がんばっているのか?)がんばれよぉ?」と、いわれたら… 相手の認識は、私はがんばっている状態ではなくがんばっている状態してほしいということだろう。 願望というか、がんばっている状態にしろよと批判の意図が明白です。 ありきたりな励ましの言葉と具体性がないことへの罪悪感 がんばってと言うことは、誰でもできる。 対象の潜在的可能性や、現状の動機付け、どのような効果をあげているかなどという部分を一切無視して、励ますことができると考えている。 なんて傲慢で、節操のない言葉だ。 こんな言葉を口にはしたくない。 と、思っていま
自分のブログへのアクセス数と、自分が他人のブログに対して残したコメント数の間には相関関係が見られるという主旨の記事。 それは事実だと思う。 なぜかと言うと、要するに 自ブログへのアクセス=リピーター+検索経由+ネットに貼られたリンク経由なわけで、純粋に機能的観点から考えた場合、そのコメントの書き手に対する興味を起こさせるようなリンクをネットの随所に残せばアクセスが増えるのは当然。 いわば、いいコメントを他人のブログに残すということは、アクセスへの水路を自分のブログへ向けて引くことだといえる。「ブログつくったんで見に来てください」とか、まったく交流がないのに「相互リンクお願いします」系のコメントは論外だが。 ただ、このコメント→アクセス増のメカニズムは、奥がある気がする。 他人のブログに興味を持ってコメントを残せばアクセスは増える。これは事実だ。しかし、そもそも、他人のブログに興味を持たない
2.ビジネスリサーチの情報収集 デスクトップ調査 の基本〜アニュアルレポートなど公開情報から… デスクトップ調査 とは、主にインターネットなどを使用して、公開情報を調査して整理・分析を行うものです。「CIAも収集する情報の95%が公開情報」ということで、情報不足とい… 2021.01.28 2021.05.13 1915 view コラム〜リサーチャーの日常 人生を通じてマッチクオリティーを追求する 知識の幅が最強の武器になる という本で初めて知った「 マッチクオリティー 」という言葉は、経済学の用語で、ある仕事をする人とその仕事がどれくらい合っているか、その人の能力… 2021.05.04 2021.05.13 295 view 2.ビジネスリサーチの情報収集 日常的な情報収集・整理術(Feedly+Dropbox) 【 ビジネス 情報収集 と 情報整理 の基本 】いま目の前にあるリサー
「この件につきまして、発表させていただきます」 この手の「させていただく」表現が世の中に溢れかえっている。 目立つようになってからもう長いことたつのでそろそろ収まるかと思っていたが、 ぜんぜんやむ気配はない。むしろしょうけつをきわめる一方である。 こいつが大嫌いである。もとより人に頭を下げるのが嫌いな元軍人の父をもち、 武士は食わねど高楊枝をきめこんでいるような偏屈な男であるから、 へり下る敬語表現自体をあまり好きでないという傲慢なところがある。へん、 オレがあんたに発表させてやってるってわけじゃないだろ? 自分の発表だったら堂々と自分の意志でやってるんだという態度でしゃべれよな、 というわけだ。 ところがそういう時代遅れの中年オヤジの意固地な思いなぞ、 もちろん誰にも聞こえるわけはなく、 あらゆるところでこの軟弱卑屈が幅を利かせるようになってしまった。 ちょっと巷の文例を蒐集してみたので
この間から、ちょっと考えてることがあるんですが、少しまとまりつつあるので書いときます。 ululunさんのところで、いくつか記事を読んでいろいろ思ったことがありまして。 煩悩是道場-「言葉の奴隷」は誰なのか 煩悩是道場-ウエブログを書くならば、突っ込まれるくらいが丁度良い。のかもしれない 煩悩是道場-目隠しをして象を撫でる、あるいはダーティペア6巻について ここに挙げた記事や、そこに寄せられたコメントを読みながら、それに触発されて、あれこれ考えているうちに、「やっぱり、どんな形であれ、ネガティヴメッセージを発するのは難しいなぁ」と思った次第。 で、ここから書くことは、僕自身が文章を書くときには「こういう姿勢でいたいなぁ」と思っていることです。だから、他の人に対して、「こうして欲しい・こうしなさい・こうしろ」ということを言いたいわけではありません。 1 ネガティヴメッセージって(自分内定義)
よそのブログで, のボタンを見つけたとき,ぼくはこう思う。この人,はてなユーザーだな。「無断リンク禁止」とか「勝手にトラバするなよ」という人ではないはず。なら,ブクマして,少々きついコメント入れても大丈夫だろ。いきなり言及しても大丈夫かも。 で,安心してそのブログが読めるわけです。知らない土地(他のブログサービス)へ行ったとき,同郷(はてな村)の人に出会ったような安堵感。…ちょっと大袈裟。 読者の便宜を考えてブログに付けられた各種アイコンやリンク。そのブログ主のブログスタイルを明示する役割も果たしている。どんなふうに読めばよいか,どう関わればよいのか,ヒントを与えてくれている。 ボタンはその主張がわりと強い,と感じています。
Kenさんの記事「ブログのネタと書き続けることについて」は、久々に感ずる所の多いブログ論でした。 多くの人はこの記事から「書き続ける事=継続が大切だ」という事を読み取ったみたいだけど、僕は全然違いました。 僕が感じたのは「ブログとか関係なく、生活を楽しもうよ」というメッセージ。Kenさんの意図とはちょっと違うかも知れないけど。僕は究極的には「書く事になんか意味はない」と思ってます。書く事よりも感じる事の方がずっと大事だろう、と。 生活を楽しんでいない人の書くブログはつまらない。楽しくない生活を無理矢理「ネタ化」しているブログは痛々しい。 ブログって自分の生活の一部、と言うか一コマに過ぎない。それに気を取られすぎて生活が楽しめなくなっている人も多分たくさんにて、そんなのは「写真を撮る事を気にしすぎて景色をよく見てない人」みたいなもんだ。 記録・ログを残したいという気持ちからブログって書き始め
「304 Not Modified コメントとトラックバックの違い」を読んで。 以前の私ならこういう記事読むと「あなたに好意を寄せている人が傷付きますよ」と書き込みをしたものだった。 つまり、特定の好きなサイトを挙げる事は、そのサイトのようなサイト運営をしていない人にとっては「では私はあなたには好かれないのだな」と思ってしまうものだから。 だが、それは私自身がそう思う傾向にあったからに他ならない。「あなたに好意を寄せている人が傷付く」ではなく「私が傷付きます」と言わなければならなかったのだね。 そういう話は最近でもよく聞く。誰かが、ではなくあなたがなのではないのですか、と。 話は変わるが。私はコメントをつけようとすると自分語りをしてしまうのだから、トラックバックを送るのがいいのだろう。だが、私は筆者のように何を気をつけていいのかが分らない。分らないのなら様々な人の「これがそうだ」「これはい
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
子供の頃ですから、今から30~40年くらい前のことです。俺は「少年マガジン」を愛読しておったわけですが、後ろのほうのページに、なんかもの凄くトラウマチックな広告が載っておりましてね。正直、見るのもイヤだったですよ。 それがですね、なんと「まんが上達のヒミツ」という通信教育の広告なんです。なんですか、ひとめ見て、こんなところで絶対習いたくない、と個人的には強く思わせるものがありましたです。理由は広告に載っている「作例」のせいなんですけど。「つづきをクリック」すると見れますけどね。できればクリックしてほしくないですよ。 クリックしてしまいましたね。もう後戻りできませんね。 一瞬こう、「ウナギ犬?」とか思ってしまいますが、赤塚先生のウナギ犬より前からありました、この広告。 ●若いマンガ家はひっぱりだこでスゴイ収入。新時代の新職業です。 なんて書いてありますけど。どんなものなんでしょうね。俺にとっ
重油をはじめ様々なものを口にふくんでは、ふいている b:id:niyagawaさんが気になって、今までに ふいてしまった飲み物を調べてみました。 量が多くなってしまったので、畳んでおきます。 リンク先は、はてなブックマークのエントリーページです。複数あるものについては、2つ目以降のタイトルをアスタリスクに省略しました。 取得したのは 2006年05月18日現在までのもの。 ふいたもの リステリンふいた ITmedia News:iPodに映画割引クーポンを配信 * * 酢ふいた ITmedia News:ビートルズ対iTunes、結審を待つ「2つのApple」 * * アミノサプリふいた マイクロソフト、ゲーム内広告企業Massiveを買収 - CNET Japan * ドクターペッパーふいた llameradaの日記 - クラスタリング技術を使った「はてなブックマーク」でのお気に入りユー
なんつーかあれだよね。熱い思いがほとばしるブログ記事っていいよね。情熱的って言うか文章から勢いを感じるってーの?だけどそういうブログに限って皮肉屋がネチネチとケチつけてんだよね。自分はクールに論理的な文章を組み立ててアンタの文章斬っちゃいますから!っていう感じのヤツ。バカだよねーあーいうのって。論理の前に自分の欲望とかが先に走ってるのに気がついてないだよね。「言いたいこと」が先にあってその後に「言いたいことを正当化する理屈」がついてきてるんだけど、書いてる本人は「論理的に考えたら自然とこういう結果(意見)になった」みたいに思ってる。自分の思いにすら気がつかないバカだよね。まあ、誰とは言いませんが。と言う訳で誰に対して言っているのか分からないululunメソッドで書いてみました。 こんばんわ。誰に言ってるのか分からないので有名なululunです。 なんだか呼ばれたような気がしましたのでコメン
他人の不幸は蜜の味: ブログを始めた方へ(アクセスとコメントの事) 僕は「最高のアクセスアップ術は他人のブログにコメントを残す事だ」と思っていて、基本的にそれは変わっていません。というか、すべてはそこから始まるものだと思います。(スパムとか無意味なコメントはダメだけど) あ!確かに…以前から漠然と思ってたのはこれだったんだ…。 かなり前の記事になってしまうんですが BLOG STATION:面白いブログが読みたい・まとめ編 「我々は書き手であると同時に、読み手でもあるのだ」 私の場合、どちらかというと、「書き手である前に読み手である」と思ってます。 gooブログを始めたのが約2年前。 ブログという言葉を知ったのがその前の年の夏ごろ。 それから半年ちょっといろんなブログを「読むだけ」の時期があって…。 (「半年ROMれ」を地でやったわけだ…) それで、今でも書き手というよりは読み手だという意
こちらのブログには認証がかかっています。 ユーザー名 パスワード Powered by Seesaa
まず一つのブログを、一つの記事と言ってもいい、真面目に読んでいない。すべて流し読みしていることだ。考えれば何か浮かんできそうなものだが、何かが浮かんでくる前に「ふーん」と軽く口にし、満足してしまう。 さらにはコメントを書く際に、このコメントによって誤読される恐れはないだろうか、私が誤読している可能性はないだろうか、とつい考えてしまう。こんな面倒なことならばコメントなんて書かなくていいや、と消極的になってしまう。 出会いは別れの始めである。 ブログの開設はそのブログの閉鎖の始まりを意味する。生まれた瞬間に死が間違いなく訪れるように。このブログだっていつか閉鎖するときが必ず訪れる。いつかネットから失われるのだ。それが明日かもしれないし、一年後かもしれない。私という個人の人間が存在していた唯一の居場所が失われる。ブログを開設していた頃に人様のブログにどれ程のコメントを残しただろう、ど
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;; {;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; コメントが長くなるようだったら ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙ トラックバックにすればいい… `Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f 俺にもありました ~''戈ヽ `二´ r'´:::. `! コメントとトラックバックの違いは、コメントはブログ主へ、トラックバックは読者へのメッセージが強いことでしょう。決して上記のような、文章の長さの違いではないですよね。もちろん、長くなったからトラックバックにしようという考えは間違ってはいませんが、ただそのままトラックバックを送るのではなく、その文章がブログ主
May 18, 2006 わかりやすさとよい文章 カテゴリ:文章、創作・表現、ことば アドルノと共に考える――良い文章とは何か【大澤真幸萌え(おまえ)さま】(情報元:はてなブックマーク) わかりやすさと文章のよさは必ずしも一致しないのだな…と思った。 文章に何を求めるか。という部分によっても「よい文章」というのは変わるのだろう。情報のみを求めているのであれば、わかりやすい=よい文章だろうと思う。 考えさせる文章の場合、結論が無かったり、「で、結局何が言いたかったの?」と思わせてしまう場合もあるだろうから、手っ取り早く情報を求める場合、それはむしろマイナスとしてみられるだろう。 「触発させる」、「考えさせる」文章というのは、読んでいてなにかモヤモヤしたものを感じるような文章だと思う。文章の要所、要所に、あるいは出されていた結論が、理解や納得だけを生むものではなく、そこから何かを喚起させるよう
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