その地図を見ていないのではっきりした事は言えませんが・・・ 清朝時代、モンゴル人は民族としては統一されておらず、多くの部族があり、それぞれの部族に王がいました。そして、その部族ごとに、清朝は外蒙古と内蒙古において土地(放牧地)を与えていました。 1911年に清朝が倒れた時、外蒙古は一人の指導者を立てて一つにまとまり、ロシアの支援を受け独立します。その時、軍を内蒙古に派遣し、一時はその大半を制圧しましたが、中国に配慮したロシアからの撤兵要求があり、内蒙古から撤兵しました。その後も外蒙古はロシアと、その後に成立したソ連の影響下にあり続け、1924年にはモンゴル人民共和国となります。そうしたロシア・ソ連という後ろ盾があった為、外蒙古は一つにまとまっていました。 一方の内蒙古は、1932年に満州国が建国された時、その東部内蒙古と呼ばれる内蒙古の東部地域が、日本により満州国に組み込まれました。そして
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