古代に塩の一大産地だった大嶋郡(現・山口県周防大島町)の郡印が押された、奈良時代のものとみられる文書の断片が、かつて東大寺(奈良市)の倉として使われた正倉院(同)で発見された。 奈良時代に東大寺と大嶋郡のつながりを示す文書はこれまで見つかっておらず、新たな事実をうかがわせる貴重な史料。 地方の郡レベルからの文書が正倉院で確認されるのも珍しく、塩害を受けた田地を意味するとみられる「成潮」という語句も、史料として初めて確認された。 宮内庁正倉院事務所の飯田剛彦・保存課調査室員が、正倉院紀要30号に寄せた論文で明らかにした。 文書の断片は縦8・7センチ、横7センチで、もとは正倉院の唐櫃(からびつ)(収納箱)から発見された。 大嶋郡印が押され、わずかに残った墨書から、田地などにかかわる内容とみられるという。 「成潮」の記述は断片の左下部分で確認。 これまで、海水が入る土地を示す「塩入」や、水害など
ブログの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。 承認制というのは、コメントを書き込まれてもすぐには反映されないということです。私が判断して、これはないんじゃないかなというコメントはブログに反映しません。せっかく書いていただいたコメントも、私の承認がないかぎり、コメント欄に表示されないことになります。「死ね」と書かれたコメントは表示の承認をしません。みなさんからいただいたコメントを表示するかしないかは私が責任をもって決めます。 そして、もう一つ。ブログを持っているみなさんも、これから持とうとしているみなさんも、コメント欄を承認制にしたほうがいいですよ、とお勧めします。 「でも私の使っているブログじゃできません。はてなダイアリーにはそんな機能がないんです」という場合は、そんなブロ
自慢ではないが私は世事に疎くて、書店に並んでいる今週号のステラの表紙の茶髪のおねーさんのドアップを見てつい「これって、あれ、韓国人のユンソナっていうのでしょ」とか言ったらそばにいたものに「ゴマキよ」と言われた。「ゴマキってモーニングなんとかで作詞の盗用とかしてた子か?」と続けると「違うわよ」と言われた。以下略。 なもんで、「サニーサイドアップ」とか言われても、私は知らないよ。っていうか、本物のサニーサイドアップなら知っているぞ。若い頃修道院に暮らしていた私は卵料理ならすぐに十品くらいは作れる。いや、修道院というのは嘘で、トラピストなんですが、ってさらに嘘だが、卵料理のほうはそれほど嘘でもない。 というわけで、喪男でもできる卵料理を紹介しよう。きっと、役立つはずだ(何故と問うなよ)。 の、前にこれ”Poll: How do you like yor eggs?(参照)”を見れ。「藻前ら、どん
いかんなキレそうだ。 日本人の心の源流である「万葉の心」について、改めて考えてみるよい機会だろう。 そんなものは明治時代に与謝野鉄幹とかがフカシたもので、万葉の心というは、古今にそして新古今につがれ、並行して仙覚や契沖といった僧侶たちに守られていたものだった。古今にどう受けつがれ、仙覚や契沖がどう思ったか、それをきちんと辿っていかないかぎり、万葉の心なんてわかりゃしないよ。日本近代が生み出した日本古代幻想に浸ってナショナリズムの情感を濃くしていくだけにすぎない。きっこがやってりゃいい馬鹿話だよ、おっとキレてるなオレ。放言放言。 古代の日本人の素朴な感情を率直に表現している。 万葉集が長く読み継がれてきたのは、そこに時代を超えて強く訴える力があるからだろう。 古代日本人の素朴な感情がないとはいわないが、近江朝廷のサロンを壬申内乱でぐちゃぐちゃにして新政府が新しいサロンを引き継ぎ、律令的帝国国
嫌いなネット用語の各種調査でアルファブロガーやブロゴスフィアなどがでてくることがありますが、 これらのことばを誰が提唱して、誰が使ってるのかをかんがえたことがありますか。 第1位:「フォークソノミー(folksonomy)」 第2位: ブロゴスフィア(Blogosphere)――ブロガーによって構成されるコミュニティ 第3位: ブログ 第4位: ネチケット 第5位: ブルック(Blook)――ブログを書籍化した本 第9位: クッキー 第10位: ウィキ これらの奇怪な言葉を使ってるのが下記のような例です。アルファブロガーの運営者達によって実際に行われたものです。 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/parts/image_for_link/38638-17804-8-1.html 「ブロゴスフィアが横断化されないため、セル化が進み、気づきにくいだ
複雑な事情から、俺んちでEU圏某国の学生の滞在を引き受けることになった。彼は20代前半で、子供の頃から日本のアニメや漫画にどっぷりはまって、それが興じて日本語が達者になったという典型的な経歴の持ち主。滞在中、所用で俺んちに県議会議員をやってる叔父がやってきて、俺を含めた三人で世間話をする機会があった。 とにかく彼は、あこがれの秋葉原に繰り出して早朝から夜まで堪能するなど大満足の日々で、このまま日本に帰化しようかなどと半分本気で言い出すくらいの常時ハイテンション。当然ながらそのすばらしさを叔父にも力説し、日本が自分にとっていかに魅力的な国なのかを喜色満面に語るのだが、そんなコンテンツを数多く抱える日本は素晴らしいという彼に対して、叔父の一言で彼のテンションは急激に下がった。 「アニメとか漫画とかゲームとか、そういったものは所詮はサブカルチャーだ。君が熱中した何とかというゲームソフト(メタルギ
人が自殺して、遺書なりを残すことがある。それが本人の最後の言葉だというのは間違いないが最後の思いであったかどうかはよくわからないと思う。そしてそのわからなさというのはぼんやりと関心を持つ人に、さまざまな憶測というかゴシップが流れ混む。総じて見れば、死者を冒涜したくてたまらないのであり、それは自死へのある自然な嫌悪の表現なのかもしれない。つまり、そうして貶めることで自分の、自殺者への関心への薄暗がりを隠蔽したいのだろう。 自死者が最後に何を思ったのか。そこは究極のところわからない。というか本質的にわからないものがあり、メタ的に見るとたいていは一種の精神疾患であり自己分裂なのではないかと思う。それはすでに書いた。あのおりのぶくまなりのコメントはざっと見たが、あまりそう思う人はいないようであった。私の疑問のコアは伝わってないのだろうとも思うし、伝わる必要もないのだが、自死者に対するある疑問がさら
自分が逮捕されてニュース番組で取り上げられた際、昔の同級生にインタビューで自分の印象について喋られるのが怖い
天然理心流 撥雲会 浪士隊として京へ上り新選組を組織する前の、多摩を中心に盛んに行われていた「根と力」の剣である天然理心流。撥雲会は加藤伊助先生が継承された撥雲館(近藤道場)で稽古されていた天然理心流の形を、九代宮川清蔵先生の指導の下で保存、継承すると共に撥雲館の歴史を研究することを目的としています。 天然理心流は、初代近藤内蔵之助長裕→二代近藤三助方昌→三代近藤周助邦武→四代近藤勇昌宣→五代近藤勇五郎信休→六代桜井金八義祐→七代近藤新吉正行→八代加藤伊助修勇→九代宮川清蔵へと継承され、勇五郎先生以降は撥雲館で稽古を行ってきました。 天然理心流の流名は「天に象り地に法り、以て剣理を究める」ことからといわれ、剣の稽古を通し天地自然の理を自身のものとすることを修行の目的としています。 井上源三郎ご子孫で井上源三郎資料館館長の井上雅雄氏が当会に入門され、このホームページに原稿を寄せていただ
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