川越と東京を結ぶ交通手段は、江戸時代から入間川を通じた水運が発達していたが、明治維新と共に日本に導入された鉄道を建設しようという機運が、明治20年代以降ひときわ高まった。 1895年(明治28年)、川越鉄道(現・西武国分寺線・新宿線)が川越駅まで開通し、甲武鉄道(現・JR東日本中央線)に乗り入れて飯田町駅 - 川越駅間を直通した。その後1900年代(明治30年代から40年代)にかけて、日本興業鉄道(小石川下富坂町 - 高崎間)[10]・京越鉄道(池袋 - 川越間)[10](ともに未成線)など、川越の周辺で数多くの鉄道が企図・発起されたが、申請却下や免許失効などで実現しなかった。 日本興業鉄道の発起人には、後に東上鉄道の発起人になる内田三左衛門や千家尊賀が名を連ねていた。内田の出地は川越の豪商。千家の出地は出雲大社の宮司の家柄で、兄千家尊福が貴族院に4回当選して、埼玉県や静岡県、東京府の知事