姓は姫(き)。西周とも呼ぶ。封建制度をもって統治。開祖は武王(ぶおう)。太公望(たいこうぼう)の力をかりて殷を滅ぼす。都は鎬京(こうけい)(12代幽王まで。後の長安)。諸侯国間に礼秩序による政治体制を敷く。前771年北西方から侵入した犬戎(けんじゅう)に追われ、前770年、13代平王は成周(今の洛陽(らくよう)付近)に遷都。これ以後を東周と呼ぶ。王室の統治力が弱まり、春秋戦国時代となる。周王室は前256年、37代のとき秦(しん)に滅ぼされる。 前770年、周の東遷から、前221年、秦の統一までの約5世紀半の間をさす。前403年、韓・魏・趙が晋を3分した時を境に、前半を春秋時代(「春秋」の名に由来)、後半を戦国時代(「戦国策」の名に由来)に分ける。 周室の衰微により、群雄割拠の状態となり、対立抗争が激しく繰り返され、春秋末期にはその中で比較的勢力の強かった秦・晋・斉・楚・魯・衛・燕・曹・宋・